神田うの、W不倫報道を笑顔で一蹴「ウゼーんだよね」夫からは拒絶?【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】

神田うの、W不倫報道を笑顔で一蹴「ウゼーんだよね」夫からは拒絶?【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】

神田うの

タレントで実業家の神田うのが7月24日、自身のインスタグラムを更新。米・ニューヨークからの帰国便の機内で撮った画像を投稿したのだが、これが批判の声を集めた。画像は、ビジネスクラスクラスとみられるドアで仕切られた個室内でくつろぐ神田が、黒いシャネルの上着を大きく開口し、ピンク色の下着をのぞかせている。着用していたのは、自身がプロデュースするナイトブラ『AtelierUNO』の宣伝を兼ねていたとみられるが、ネット上ではバッシングを浴びた。

 神田は1989年、14歳で芸能事務所に所属。17歳のときの1992年に雑誌『プチセブン』(小学館)のモデルに抜擢され、タレントでもブレイク。セレブな”お騒がせタレント“として業界からも一目置かれる存在となった。私生活では、2007年10月にパチンコチェーン店や不動産会社を経営する日拓グループ社長・西村拓郎氏と結婚。2011年10月、長女を出産すると、ママタレとして一時代を築き上げた。

 「趣味は結婚式」と公言する神田だけに、これまで7回の結婚式を挙げている。ただ、かつて夫妻は“離婚寸前”ともいわれていた。

 2008年、夫妻はそろって不倫を報じられた。先に神田が『FLASH』(光文社)にキャッチされた同年2月、仕事先のパリで西村氏との共通の友人であるリゾート会社の男性社長と密会したというものだった。そして同時期に、西村氏は美人ホステスとの「函館一泊火遊び旅行」を『FRIDAY』(講談社)に報じられたのだ。

 翌3月、神田は都内で取材に応じ、“W不倫疑惑”を笑顔で一蹴。まず、自身の不倫疑惑について「会っていません。(パリで)見てもいません」ときっぱり。続けて、「私のは誤解です。彼は実際に行ったんだけど」と西村氏の疑惑に言及した。

 これに神田は、「行くのは聞いていたけど、ホステスも連れて行ってビックリ」と発言。実は同月、夫妻は急きょグアムに旅立ち、現地でバーベキューをする姿が目撃され“仲直り旅行か”と注目されていた。これに神田は、「仲直りというより、誤解解き旅行。私の方がかなり誤解していた。今はすごく納得して、逆に2人の絆が深まりました」とあっけらかんとし、昨晩も西村氏が「豆乳入りとり鍋を作ってくれた」とノロケを見せた。

 だが2010年6月、一部スポーツ紙が夫妻の別居を報じるなど、結婚生活は決して順調とはいえなかった。2012年12月のニュースサイト『日刊サイゾー』では、“週刊誌記者”の証言を掲載。タレコミによれば、「(夫妻は)離婚寸前までいったが、周囲から夫婦関係解消のために子作りを勧められて一念発起」したとのこと。

 ところが同月、西村氏の元愛人を名乗る銀座のホステスが『週刊文春』(文藝春秋)に夫妻の内情を激白。ホステスによると、西村氏は「もとより女好きの性分」と明かし、「結婚してもおかまいなし」で派手に女遊びを繰り返していたという。さらに、神田がセクシー下着で夜の夫婦生活を迫る行為に、西村氏は「ウゼーんだよね」とうんざりしていたとし、「我慢と努力を重ねている」生活を送っていたとまでブチまけた。

 同サイトでは、神田がタレント・美川憲一のススメで子作りに励んだことに触れ、神田が停滞した夫婦仲を美川に相談する中で、「子どもを産めば変わるわよ、まだ諦めちゃダメ」と諭されて子作りに励んだと報じている。そのかいあって、長女の誕生後、西村氏は女遊びや夜遊びをパタリとやめたと前出・『週刊文春』が報じている。

 夫妻は離婚の危機を乗り越えたが2020年11月、西村氏が脳梗塞で倒れ、同時期に神田も入院を余儀なくされた。2021年9月、神田はニュースサイト『AERAdot.』の独占取材に応じ、夫への献身的な介護と想いを吐露。かつては、「愛よりお金」と豪語していた神田だが、「生きてくれさえすればいい」と夫への愛を語った。妻として母として、女性としても輝き続ける神田のさらなる活躍に期待したい。

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