さらば“お色気漫談”ケーシー高峰さん死去、昨年9月が最後の仕事

さらば“お色気漫談”ケーシー高峰さん死去、昨年9月が最後の仕事

ケーシー高峰さん、倍賞美津子=1970年撮影

 “お色気医事漫談”で親しまれたタレント、ケーシー高峰(けーしー・たかみね、本名・門脇貞夫)さんが8日午後3時30分頃、肺気腫のため福島・いわき市内の病院で死去したことが10日、分かった。85歳。葬儀・告別式は近親者のみで行う。エロを交えながら医学知識を紹介するスタイルでお茶の間の人気者に。昨年4月に肺を患い療養生活を送っていたが、最後の漫談となった同9月の公演では予定を20分もオーバーするトークで笑いを取っていた。

 白衣姿で黒板の前に立ち、スケベな漫談で爆笑を“処方”してきたケーシーさんが逝った。

 所属事務所によると、約30年前に「空気がキレイで、魚がうまい」といわき市に移住。今月8日午前6時半頃に危篤となり、妻の詠子(えいこ)さんや弟子、事務所関係者が見守る中、穏やかな顔で息を引き取った。

 昨年4月下旬に肺気腫と診断され、約3週間入院。その後は仕事をキャンセルして自宅療養していたが、今年3月上旬から再入院していた。葬儀・告別式は近日中に近親者のみで営み、お別れ会の予定はないという。

 山形県出身。医師一家に生まれ、日大医学部に入学するも親に内緒で芸術学部に転部。卒業後は漫才コンビ、大空はるか・かなたとして活動した。1968年に漫談家に転身した。親を喜ばせるために医師の白衣をまとい、エロと毒舌を交えた医学知識を繰り出すスタイルを確立。「グラッチェ(イタリア語で「ありがとう」)」「セニョール(スペイン語で男性の敬称)など“ラテン系あいさつ”をはやらせ、演芸番組で大人気に。日本テレビ系「笑点」の演芸出演回数は40回で、マギー司郎(73)に次ぐ歴代2位を記録。役者としても活躍していた。

 2003年には腰部脊柱管狭窄症を発症。05年には舌がん(舌白板症)で20針を縫ったが、その後、ケーシーさんは「“タン(舌)キュー・ベロマッチ”」「健康のありがたさは病人だけが知っている」と病をネタに笑いを取ることも。肺を患ってからも隠れてたばこを吸っていたという。

 最後の漫談は、昨年9月17日に出演した茨城での演芸会。鼻に酸素吸入器を付け、いすに座った状態だったが、軽妙洒脱な語り口は健在。事務所関係者は「歩行や移動がつらそうだったけど、漫談を楽しんでいた。『15分でいい』と伝えたが、35分もやっていました」と述懐。終了の合図は酸素吸入器の警報ブザー。ケーシーさんは「ピーピー鳴っているので終わります」と笑わせていた。

 同月下旬に収録したBS朝日「お笑い演芸館+」が最後の仕事で、司会のお笑いコンビ、ナイツとのトークを楽しんでいたという。

 和む笑いで昭和、平成を彩った芸人は、令和を前に天へ旅立った。

ケーシー高峰(けーしー・たかみね)

 1934(昭和9)年2月25日生まれ、山形県出身。家業である医師になるため、日大医学部に入学も芸術学部へ転部。57年に卒業後、お笑いコンビ、大空はるか・かなたを結成。68年にケーシー高峰に改名し、漫談家に転身。芸名は当時人気だった米医療ドラマ「ベン・ケーシー」と、憧れの女優、高峰秀子さんから取った。お色気混じりで医学の知識を紹介する医事漫談の第一人者としてバラエティー番組で人気を博し、俳優としても活躍した。

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