手抜きナシ!リアルな演出を底力にした洗練の怪獣映画『空の大怪獣 ラドン』【名画プレイバック】

手抜きナシ!リアルな演出を底力にした洗練の怪獣映画『空の大怪獣 ラドン』【名画プレイバック】

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 2016年、庵野秀明が総監督を務めた映画『シン・ゴジラ』が興行収入82億円を超える爆発的ヒットを記録。『ゴジラ FINAL WARS』以来12年ぶりとなる本家、日本でのゴジラ映画で、怪獣映画が何度目かの復活を遂げた。日本人って、なぜこれほどに怪獣映画が好きなのだろう? 監督・本多猪四郎×特技監督・円谷英二×音楽・伊福部昭と、初代『ゴジラ』同様の布陣で挑んだ映画『空の大怪獣 ラドン』を観て考えた。(浅見祥子)

 本多猪四郎は生涯で計47本の劇場映画を発表、その半数以上が特撮を駆使した怪獣映画・SF映画という、その道の大巨匠である。初代ゴジラだけでなく『モスラ』に『マタンゴ』、テレビでも「帰ってきたウルトラマン」「ミラーマン」を手掛けている。また黒澤明監督と友情を結び『野良犬』では助監督として、『影武者』から『まあだだよ』までの5本で演出補佐として作品を支えたことでも知られる。そんな彼が1954年に第一作目の『ゴジラ』を放った2年後、東宝特撮映画初のカラー作品として発表されたのが映画『空の大怪獣ラドン』なのだ。

 この映画の尺はたった82分、って短いな! 振り返って改めて驚く。それほど緻密で無駄がなく、ビックリな展開と派手な見せ場がごくナチュラルに1本の映画として収まっている。物語は阿蘇山の風景に始まる(→ここで2016年の熊本地震を知る我々は、これから劇中で起こるはずの“災害”を思って少しだけドキリとする)。付近の炭鉱で増水が起き、惨殺死体が発見される。致命傷となったのは、日本刀のような鋭い刃物でないと考えられないような頭部の傷。炭鉱に日本刀? あり得ない。では犯人は?--物語は、謎の連続殺人に始まる。

 暗くジメジメとした炭坑内で発見される惨殺死体、実験室に運び込まれたそれをごろりと手術台へ置き換えるときにチラッと見える死体の薄気味悪さ。ホラー映画のような陰湿な恐怖が漂う。そんなじっとりした空気をうち破るように爽やか美人のキヨ(白川由美)が登場するも、彼女もまた一連の事件の犯人が行方不明中の兄ではないかと苦悩している。彼女の家で恋人の河村繁(佐原健二)がそっと肩を抱いてなぐさめていると、そこへにょっきり! きゅるきゅるきゅるという金属音のような鳴き声も不気味な、巨大トンボの幼虫メガヌロンが姿を現す。

 え! この巨大な着ぐるみをどう捉えれば!? --シリアスな連続殺人モノを観ている気になっていただけに、そのトートツ感に度肝を抜かれる。映画の始まりはドキュメンタリーのように淡々と不穏な場面が積み重ねられ、俳優はセリフをそっけない棒読みで演じる。ときに犠牲者の妻がキヨの元に半狂乱でやってきたりして、そのあたりの描写は切実で、実際にそうしたことがそこで起きているかのようなリアルさを追及しているように見える。「いやこれ、怪獣映画だから」というおふざけや照れは一切なし。それでいて犠牲者の死体をあれ? というほど丁寧に撮っていたり、メガヌロンの出現に科学的根拠を持たせるように説明したりする。そうしたことに手を抜かないからこそ、日常を突き破って縁側からにょっきりと姿を現す非現実、メガヌロンのトートツ感が際立つのだ。

 やがて阿蘇で地殻変動が起こり(→やはり!)、繁が記憶喪失の状態で発見される。こんどは主人公の記憶喪失である。さらに世界各地で、音速を超えたスピードで移動する謎の飛行物体の目撃情報が続出。これが翼竜プテラノドン(=ラドン)で、メガヌロンはその餌に過ぎなかったと判明する。

 ラドンの映画なのに、物語が半分進んでも肝心のラドンはなかなか姿を現さない。ようやく姿を現すシーンはかなりの技アリだ。地殻変動のあと阿蘇高原では家畜の失踪が続き、デート中だったらしいカップルも行方不明となる。記念写真を撮ろうと得意げにポージングした女が突然に何物かを目にし「きゃー!」と叫んで手で口を覆う。慌てて逃げ惑う二人の頭上高くにいるラドンの巨大な翼の影が倒れる二人の背中を横切り、激しい風が吹いたあとには女の足から脱げた白いハイヒールとカメラが残される……。そのネガからラドンの姿が浮かび上がるのだが、ジラし方もシャレている。

 ここから自衛隊の戦闘機VS.ラドンの『トップガン』な空中戦へと突入する。いや、ようやく登場したラドンはまさに人形で、翼を広げてパタパタと飛ぶ姿は凧のようなアナログ感。それを吊るピアノ線まで見えるようだ(いや見える)。飛行機もかなり単純な合成だからその映像がつくりものであることは明らかなのに、奇妙なスケール感があってこの戦闘シーンはやたらに格好いい。そしてこれでもか! というくらいにたっぷり続く。こうした場面でも伊福部昭の音楽は特別で、颯爽と盛り上げている。

 ラドンは音速で飛ぶので、その風圧で戦車も電車も吹っ飛び、瓦屋根ははがれ、吊り橋もねじれながら吹き飛んでしまう。怪獣映画のこうしたシーンをよく「本物のような迫力」というがそれとも違う、明らかな模型である。でもこうしたシーンを見ると、模型だからいいと思えてくるから不思議だ。点灯する「森永ミルクキャラメル」の看板の背景に真っ赤な炎を上げて燃える町並み、電線の垂れた電柱、風圧に耐えきれずにはがれ飛ぶ屋根やミニカーみたいな電車がくるくる吹き上げられて地面に落ちるさま。コツコツとつくったブロックを自ら壊して嬉々とする、子供のころの遊びと重なるのだろうか? これをCG満載でリアルにやられてもな、という気になる。絵ではなく実際につくったものを壊す、けれど模型だから本物を破壊する罪悪感はないし、というような。もちろん大勢の人がキャ〜と逃げ回る群衆シーンもあって、クライマックスは徹底してド派手でお腹いっぱいになる。いわゆる怪獣映画のお約束、その際立って洗練された表現が満載だ。

 けれど人間はなかなかラドンに致命傷を与えられない。柏木博士(平田昭彦)は動物の帰巣本能を利用し、阿蘇山にミサイルを撃ち込んで噴火を誘発してラドンを仕留めようとする。そしてビックリなラストへ。この映画はどこかからでっかい怪獣がやってみんなで力を合わせてやっつけ、めでたしめでたし--な展開では全然ない。作戦会議で出席者の一人が言う。「ラドンが生きている限り、我々は文句の持っていきようのない被害をこうむらなければならないのです」。噴火の火柱を背景に、溶岩流の中で最後の時を迎えようとするラドン。それを見つめる繁やキヨの茫然とした顔。この映画の舞台がたまたま阿蘇であることに、なにか深い意味があるように思えてくる。

 “怪獣の襲来”という現実にありえないことを、いかに説得力を持って描き、エンタメとして昇華するか? そこにはつくり手の工夫が不可欠で、そこに知恵やセンスやコツコツとした努力の入る余地はたっぷりある。それに怪獣ってなんか格好いいよね! というストレートな喜びが、子供はもちろん大人の心をがっちりとわしづかみするのかもしれない。

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