映画を作ることで“戦争で病んだ”心の治癒を行う【映画で何ができるのか】

映画を作ることで“戦争で病んだ”心の治癒を行う【映画で何ができるのか】

映画『セメントの記憶』は渋谷・ユーロスペースほか全国順次公開中 - (C)2017 Bidayyat for Audiovisual Arts, BASIS BERLIN Filmproduktion

 シリア軍の元兵士のジアード・クルスーム監督が亡命先のレバノンで、シリア人移民労働者を見つめたドキュメンタリー映画『セメントの記憶』が渋谷・ユーロスペースほか全国順次公開中だ。クルスーム監督は第67回ロカルノ国際映画祭(スイス)で上映された前作『ジ・イモータル・サージェント(英題) / The Immortal Sergeant』(2013)に続いて、シリア内戦が人々にもたらした影響と戦争の怖さを伝えるべく作品を作り続けているが、同時にそれは戦争で精神を病んでしまった自分の治療のためでもあるという。来日したクルスーム監督に真意を聞いた。(取材・文:中山治美)

映画という武器で戦争の怖さを伝えたかった

 3月21日、東京・茗荷谷の筑波大学東京キャンパスでクルスーム監督の前作『ジ・イモータル・サージェント(英題)』の上映会が開かれ、約100 人の観客が集まった。同作は当時、シリア軍に従軍していたクルスーム監督が秘密裏に撮影した軍内部の映像と、巨匠モハメド・マラス監督作品の撮影現場のスタッフ・キャストを中心にバッシャール・アル=アサド大統領の政権や内戦をどう思っているのか? を尋ね、忌憚(きたん)のない声を集めた映像で構成されている。政府派と反政府派の両方の視点から、2011年に勃発したシリア内戦の現実を浮かび上がらせようと試みたドキュメンタリーだ。

 同時に本作は、クルスーム監督が他国への亡命を決意するに至った作品でもある。制作した理由について、クルスーム監督は「戦争の怖さを伝えたかった。戦争が起こればどちらかの支持を表明しなければならない。だからわたしは映画の最後にメッセージを出しましたが、両方を支持せず、映画という武器を使ってシリアの中身を暴こうと決めました」。

 クルスーム監督は1981年シリア・ホムス出身。シリアでは、父ハーフィズ・アル=アサドと次男バッシャール・アル=アサドによる独裁政権が約50 年に渡って続いており、クルスーム監督もその真っ最中に生まれた。

 「当時6歳でしたが、よく覚えているのが小学校入学してまず最初に指導されたのが、反イスラエル&反資本主義宣言。ナチス・ドイツがアドルフ・ヒトラーの名前を国民に連呼させたように、アサドの名前を何度も唱えさせられました。学校も民家も、いたるところにアサド親子の写真が貼ってあるのです。幼少時代からそういう教育を受けていると、武器を渡されたら当たり前のように従軍するようになりますよね。それはまた、反政府軍側の環境で行われる教育も然りです」(クルスーム監督)

 幸い、クルスーム監督の両親は宗教的な観念もなくリベラルで、学校で教えている教育がプロパガンダであることを熟知していたことから、帰宅すると家庭で学んできたことの真偽を子供たちに教えてくれたという。

 「“学校の教育と忠誠心には常に疑問を持つように”と言い聞かせられました。この約50年で、アサド親子はわれわれの文化も教育も抹殺してしまった」(クルスーム監督)

いかにして戦争の渦に巻き込まれないようにするか

 クルスーム監督が、漠然と映画の仕事に就きたいと考えたのは高校生の頃。それも7歳の時、父親が映画館に連れて行ってくれた体験が大きい。クルスーム監督によると、アサド親子が政権を握るまでのシリアでは、年間100本の映画が製作されるという黄金期があったという。しかしクルスーム監督が生まれてからというものは、プロパガンダ映画が主流。あるいはポルノ映画だったという。それは映画館に集った人たちが反政府デモなど良からぬ会合を開かないよう、わざと人が来ないような作品を上映するという政策であった。もっとも今は多くの映画館が爆撃されてしまったので、それも懐かしい思い出かもしれない。

 「暗闇の中で、皆で映画を観る喜びを味わう。その映画が持つコンセプトに共感しました」(クルスーム監督)

 クルスーム監督は2000年の19歳の頃、ロシア・スターリングラードの映画学校へ留学した。シリアでは18歳から徴兵制があり、逃れるための対抗手段でもあったようだ。2005年に帰国し、映画やテレビの現場で働きながら、2009年には、シリアの中で文化も人権も奪われて虐げられた環境の中で暮らすクルド人女性グループを追った短編ドキュメンタリー映画『オー・マイ・ハート(英題) / Oh My Heart』を製作するも、シリア国内では上映禁止となる。

 その矢先に徴兵へ。クルスーム監督が配属されたのは映画班で、バースィル・アサド劇場の運営を任されていたこともあったという。期間は1年半で終わるはずだった。しかし2011年の内戦勃発で有無を言わせず延長が決定。おまけに軍曹へと昇格し、内戦の最前線に向かわなければならなくなってしまったという。

 育った町は戦車と爆撃で破壊され、派兵されたシリアの首都ダマスカスでは、デモ隊に銃口を向けなければいけない。疑念の最中に撮ったのが前述した『ジ・インモータル・サージェント(英題)』だった。

 「当初はただ映像を撮っていただけで映画にしようとは考えていなかった。とにかく当時は、自分の人間性を正気に保つことに必死で、いかにして戦争の渦の中に巻き込まれないようにするか。そのために、カメラを回していれば自分は映画監督なのだと実感できた。昼は兵士で、夜は映画の撮影現場のアシスタントディレクター。二重生活は苦しくもあったけど、この2つがあったから精神のバランスを取ることができたと思う。結果的に映画が僕を守ってくれた」(クルスーム監督)

レンズを通して現実を理解する

 カメラのレンズを通して世界を見ることで、自分が置かれている状況を客観視し、かつ撮った映像を確認することで現実を理解する。セルフドキュメンタリーは時に、メンタルヘルスケアに効果を発揮する。ルーマニア郊外にする一家を1年に渡って追ったドキュメンタリー映画『トトとふたりの姉』(2014)もその一つだ。

 彼らの生活環境は劣悪でドラッグが蔓延しており、母親は麻薬売買で服役中。17歳の長女も薬物に手を染めてやがてHIVへの感染が発覚する。そんな中、14歳の二女アンドレアは街の児童クラブで行われていた映画教室に参加したことがきっかけでカメラに興味を抱き、ビデオ日記を綴るようになる。これが彼女の心理状態に劇的な変化をもたらした。レンズを通して生活を見ることで自分が置かれている状況を理解し、夜な夜な、うっ積した感情をカメラに向かって吐き出すことで前向きな感情が湧いてきたのだ。そしてついにアンドレアは10歳の弟トトを連れて今の環境を抜け出し、家族にも別れを告げて、自ら孤児院に入ることを決意する。

 同作の監督で、映画教室の講師も務めたアレクサンダー・ナナウ監督も「自分が撮影で参加するというアイデアを二女アンドレアはとても気に入りました。わたしは、彼女がビデオ日記のようなものを始めれば、それが彼女にとって自分自身と向き合うためのよい手段となり、重要なものになるだろうと思っていました。しかし正直なところ、彼女がこれほど大きな才能を発揮することは予想していませんでした」と振り返っている。
 
 クルスーム監督も政府軍からの脱走を決心する。ダマスカス市内に8か月潜伏。そこで『ジ・インモータル・サージェント(英題)』の編集作業を行い、2013年にレバノンに亡命する。国を離れたからと言って、心が休まるというわけではない。シリア同様、かつて内戦(1975〜1990)のあったレバノンの首都ベイルートは開発ラッシュで、町のいたるところで工事が行われている。その音が、戦争の記憶を蘇らせるのだ。

 ある日、クルスーム監督は音の根源である建築現場へと赴いた。そこにいたのは自分同様に祖国から逃れてきたシリア人移民労働者。今まさに故郷を破壊されている人たちが、戦争被害国の再建に携わるというシニカルな現実があったのだ。その建築現場に密着して作り上げたのが『セメントの記憶』だ。ビルの管理会社に取材交渉すること1年。10日間のみの限定で撮影許可を得た。

 「ただし労働者にカメラを向けるのは容易ではなかった。わたしのことが誰だかわからないからおびえていたし、何よりシリア人にとってメディアはプロパガンダという認識が強い。なので、シリアから逃れても劣悪な環境で労働をさせられている自分たちの状況を、プロパガンダに利用されるのでは? と懐疑的でした。最初はカメラを置き、彼らの信頼を得るところから撮影を始めました」(クルスーム監督)

 本作には、シリア人移民労働者にとっての『セメントの記憶』を観客に伝えるため、シリア内戦の惨状も挿入されている。作品のためとはいえ、膨大な映像を観る日々。その作業もまた、クルスーム監督には辛い日々だったと吐露する。

 「社会的に阻害されているシリア人移民労働者の現状を伝えるためだとは認識しているのだけど、時々、自分は何をしているのだ? と自問していました。特に大量虐殺の映像を観たとき、これを使って映画というアートを作る意味があるのか? 疑問しか抱けなくなったこともあります。そこで今回は比較的、ソフトな映像を使用しました。観客に血を観せたくなかったし、亡くなった方へのリスペクトもあります。代わりに音を効果的に使いました。時に過激な映像を観せるより、悲鳴などの方が観客に状況を想像させ、強い印象を残す場合があります」(クルスーム監督)

 本作を撮影後、クルスーム監督はドイツ・ベルリンに移住し、新作映画に取り組んでいる。今度は初のフィクション。シリア人男性がドイツ人女性と恋に落ちるも、男性には戦争のトラウマがありしばしば2人の関係にも微妙な影を落とす。そこでポーランドに赴き、体に不調をもたらしている悪い血を吸い取るという民間療法を活用して、男性の悪い記憶を取り除こうとする物語だという。どうやら実生活の出会いが基になっているようだ。

映画を作ることで人間性が保てているかを確認

 最後にあなたにとって映画製作は使命か? それとも冒頭で語っていた自身のメンタルケアなのか? をもう一度尋ねてみた。

 「シリアの現状を伝えるのも仕事。でもやはり、映画を作ることで自分の人間性が保てているかを確認する時間であり、心の治癒だと思う」(クルスーム監督)
 
 約1週間の日本キャンペーンを終えて、クルスーム監督はベルリンへ戻った。配給会社が連絡をしたがしばらく返事がなくて心配していたところ、精神的に疲れて体調を崩していたという。実はクルスーム監督はシリアで兵士と映画のアシスタントディレクターという二重生活を送っていた時に精神のバランスを崩し、統合失調症を患っている。今も催眠療法を定期的に行っているという。

 これはイラク北部での、イスラム過激派組織ISISの性奴隷被害者ナディア・ムラドさんに密着したドキュメンタリー映画『ナディアの誓い−On Her Shoulders』(2018)でも映されていたが、メディアの取材を受けるムラドさんは当時の状況を振り返る時に毎回、涙を流していた。当事者に過去も忌まわしい記憶を蘇らせる行為が、いかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)を誘発させる行為であるか。取材する側にとっても悩ましい問題である。

 しかしシリア情勢はますます混迷を極め、世界で戦争がやむことはない。戦争の不毛さは、シリア・アレッポで、爆撃を受けた市民を救出する自警レスキュー隊ホワイト・ヘルメットの活動を追ったドキュメンタリー映画『アレッポ 最後の男たち』(渋谷・シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中)を見れば明らかだ。

 せめて並々ならぬ決意を持ってカメラの前に立ち、声を発した彼らの思いが一人でも多くの人の心に届き、世の中を変える力になることを願うばかりである。

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