リリー・フランキーと清野菜名が挑んだ「日本の映画界にとってのレボリューション」

リリー・フランキーと清野菜名が挑んだ「日本の映画界にとってのレボリューション」

『パーフェクト・レボリューション』で共演したリリー・フランキーと清野菜名

リリー・フランキーと清野菜名が、障がい者と風俗嬢が織りなす恋をポップに描く『パーフェクト・レボリューション』(公開中)で共演。原案・企画は、自身も脳性麻痺を抱えつつ、障がい者の性への理解を訴え続けてきた活動家・熊篠慶彦で、差別や偏見を受けながらも、純粋に愛し合おうとする恋人たちを描いたラブストーリーだ。

リリー・フランキー演じる主人公クマは、熊篠の分身ともいえる存在で、講演では「障がい者だって恋をするし、セックスもしたい」と訴え続けている。ある日、講演に居合わせた清野演じるミツから「私、クマピーのことが大好き」と猛烈なアプローチを受ける。やがてふたりは深く愛し合うようになるが、次第に人格障がいを抱えるミツの精神状態が不安定になっていく。『パーフェクト・レボリューション』とは、ミツが力説する「不完全な者同士が幸せになること」を指す。

元々、熊篠と交流が深かったリリーだからこそ、クマ役には熱い思いで臨んだという。「障がい者も健常者のように性欲があったり、恋愛したいと思うのは当然のこと。でも、熊篠がそう訴える活動をしていること自体を、良く思っていない障がい者の方もいらっしゃるんです。自分たちに性欲があると知られたら、周囲の人たちがちょっと冷たくなることもあるらしくて。人間の本能はどんな人間にもある当然のものだという認識がまだ少ないのだと思う」。

共演の清野とは特に演技プランなどのやりとりはしていなかったそうだが、本当に息がピッタリだ。「俺たちが自然にやっていることが映画に映っている感じ。ずっと『E.T.』ごっこ(指と指を合わせる)などをやったり、踊ったりもしていた。それはそれで良かったね」。

感情の起伏が激しいミツだが、そのさじ加減について清野は「何も考えてないというか、ただ私はミツだったので、自然に変化していきました」と思うがままに演じていったそうだ。「だんだん暗くしようとか、何かをこうしようとか、そういうプランは全くなかったです。もちろん、その感情はクマピーからもらっていたところが大きいのかもしれないけど、現場がもうできあがっていたので、自然と気持ちがそっちに行ったという感じでした」。

クマがミツを連れて法事に行った時、親戚たちからいろんな横槍が入り、苛立ったミツが壁に寿司を投げつけるシーンがある。リリーが「自然に寿司を投げてました」と言うと、清野は「何かムカついたんですよね」と笑う。

その行為は脚本にはなく、清野のアドリブだったと言うリリー。「周りもびっくりしたんです。実際、急に寿司を投げるから、みんなびっくりしたので、劇中の表情は自然なリアクションでした」。

清野は「私はクマピーのことがすごく大好きで、ミツとして怒りを言葉で言えないからこそ、そういう感情がバンと出ちゃったんだろうなと。台詞が『フ●ック!』だったけど、あまりにも腹が立って、目に入ったのがお寿司だったので投げてしまいました」と苦笑い。

後半になるにつれて、ミツのピュアな心情が溢れ出だしていき、クマの男としての包容力が浮き彫りになっていく。興味深いのは、最初はクマを介護する立場だったミツが、やがてクマの懐の大きさに包まれていくという関係性の逆転だ。

「いきなり手首を切ったり、2人で心中しようとしたりするミツですが、どんどんクマはそんな状況に慣れ始めていくんです。クマが彼女のことを受け入れていき『それならつき合ってもいいや』と思うようになっていく。最初はきつい子だったミツだけど、だんだん女神に見えてくるんです」。

不安定になっていくミツを見捨てることなく、愛し続けていくクマ。彼の「何かを受け入れることは普通の人よりもプロフェッショナルなんじゃないかな」という台詞が心に染みる。果たして2人は、『パーフェクト・レボリューション』を遂行できるのか?

最後にリリーは、本作が公開されることの意義についてこう語った。「この映画は熊篠慶彦が十数年やってきた活動のひとつの節目となります。あいつが自分でプロデュースもしている映画だから、いい冥土の土産ですよ。松本准平監督が一生懸命考え『辛気臭い映画にするのはやめよう』と思って舵を切った。こういう映画があるということが、日本の映画界にとってのレボリューションになる。まあ、パーフェクトとは言いませんが」。【取材・文/山崎伸子】

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