ビリー・ホリデイが名曲「奇妙な果実」に込めた真実とは? 人種差別との闘い描く『ジ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』

ビリー・ホリデイが名曲「奇妙な果実」に込めた真実とは? 人種差別との闘い描く『ジ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』
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■アメリカ音楽界の偉大なるJAZZシンガー

2021年の第93回アカデミー賞でアンドラ・デイが主演女優賞候補となっている映画『ジ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ/The United States vs. Billie Holiday(原題)』(2020年)は、アメリカ音楽界の偉大なるJAZZシンガーであるビリー・ホリデイの人生を描いた作品。

監督のリー・ダニエルズは、『プレシャス』(2009年)で都会の片隅で過酷な生活を強いられる少女の姿を描き、『大統領の執事の涙』(2013年)では奴隷の子どもとして育った男性がホワイトハウスの執事になるという実話を描くなど、アフリカ系アメリカ人(以下、黒人)が困難な歴史を歩んできたという窮状を作品にしてきた。ビリー・ホリデイもまた、黒人差別が渦巻く時代の犠牲となった人物のひとりであったことは、リー・ダニエルズ監督が彼女の人生を改めて映画の題材に採用したことへ得心できる。

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ダイアナ・ロスがホリデイを演じたことで生まれたジンクス

ビリー・ホリデイは1915年に複雑な家庭環境の中で生まれた。彼女の本名はエレオノーラ・フェイガン。“ビリー・ホリデイ”の名は、JAZZヴォーカリストとして契約する際に付けた芸名だった。ミュージシャンである父親は家庭を顧みなかったため、幼いビリーは親族に預けられ、母親は売春によって彼女を育てたのだと伝えられている。

教育を受けることもままならず、施設で暮らしていたビリーは、やがて非合法のナイトクラブで働くようになる。そこで出会ったのがJAZZだったのだ。そんな彼女がいかにしてJAZZヴォーカリストとして成功するのかについては、彼女の人生を映画化したもうひとつの映画『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実』(1972年)に詳しい。

この映画でビリー・ホリデイ役を演じたのはダイアナ・ロス。当時、シュープリームス(The Supremes)のリードシンガーとして人気絶頂だったダイアナは、グループを脱退してソロ活動を開始する時期だった。そんな彼女が映画に初出演した作品が『ビリー・ホリデイ物語』だったのだ。さらに、ダイアナは初主演ながらこの映画でアカデミー主演女優賞の候補となっている。つまり「ミュージシャンがビリー・ホリデイ役を演じるとアカデミー賞を狙える」というジンクスが生まれるきっかけとなったのである。

それは、『ジ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』のアンドラ・デイもまた、本職がシンガーソングライターであるからだ。ちなみに彼女の“デイ”という名前は、ビリー・ホリデイが“レディ・デイ”と呼ばれていたことにインスパイアされて付けた芸名だったという縁もある。

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「ミュージシャンがミュージシャンを演じる」ハリウッド映画の伝統

ハリウッド映画には「ミュージシャンがミュージシャンを演じる」という伝統が存在する。音楽を本職とする者が劇中の歌手として歌えば、その歌声に観客が魅力されるのはごく自然なこと。古くは『ストーミー・ウェザー』(1943年)のレナ・ホーンから、『ボディガード』(1992年)のホイットニー・ヒューストンに至るまで、その例は枚挙にいとまがない。

また、『夜を楽しく』(1959年)のドリス・デイ、『追憶』(1973年)のバーブラ・ストライサンド、『ローズ』(1979年)や『フォー・ザ・ボーイズ』(1991年)のベット・ミドラー、『アリー/スター誕生』(2018年)のレディー・ガガなど、ミュージシャンが主演した映画が、アカデミー主演女優賞の候補になってきたという歴史もある。受賞に至った作品としては、バーブラ・ストライサンド主演の『ファニー・ガール』(1968年)、シェール主演の『月の輝く夜に』(1987年)が挙げられる。

『ジ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』のアンドラ・デイは、既に第78回ゴールデングローブ賞でドラマ部門の主演女優賞を受賞。ある時代における最高のシンガーを、その時代における最高のシンガーが演じることで生まれるのは、彼女たちにしか成し得ないアプローチの演技と映画のダイナミズムだ。高い評価を得る所以を感じさせると同時に、ミュージシャンがミュージシャンを演じることへの親和性をも感じさせる。

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ビリー・ホリデイ=公民権運動を抑圧したアメリカ連邦政府

『ジ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』のサウンドトラック盤には、生前のビリー・ホリデイが歌った楽曲の数々が収録されている。もちろん歌っているのはアンドラ・デイだ。アルバムには「Tigress & Tweed」のような映画オリジナルの楽曲も収録されているが、「The Devil & I Got Up To Dance A Slow Dance」を除いた全ての楽曲がアンドラによるものであるため、彼女のニューアルバムであるかのような趣さえある。このアルバムの2曲目に収録されているのが、ビリー・ホリデイの代表曲のひとつである「Strange Fruit」=「奇妙な果実」。1930年に書かれた曲を、後にビリーがレパートリーのひとつにしたもので、『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実』の副題にもなっていることがわかる。

『ビリー・ホリデイ物語』は1956年に出版されたビリー・ホリデイの自伝「奇妙な果実」(翻訳したのは油井正一と大橋巨泉!)を映画化したものだが、“奇妙な果実”がなんであるかは、“南部の木には奇妙な果実が生る”という歌い出しの詞をメタファーとしている。木にぶら下がっている“果実”とは、リンチによって殺され、木に吊るされた黒人の死体のことなのだ。『ビリー・ホリデイ物語』の劇中では、その光景をビリーの記憶としてフラッシュバックさせている。つまり、「奇妙な果実」は人種差別について歌った楽曲なのである。

奇妙な果実?ビリー・ホリデイ自伝 (晶文社クラシックス)

「奇妙な果実」は、当初から人種差別への抗議を意図したものではなかった。歌詞に描かれた光景をビリー・ホリデイが感じ取り、その感情が聴く側の心を揺さぶったに過ぎないのだ。彼女は先述の自伝の中で、自分が歌おうとしている精神をナイトクラブの観客が理解してくれるかどうかが不安だったことを綴っている。この歌がレコーディングされた1939年当時、人種差別撤廃に対する社会の理解は低く、むしろ白人社会を敵に回すような楽曲を歌うこと自体が挑戦的なことだった。結果、大手のレコード会社は恐れをなし、マイナーレーベルによってリリースされることとなったという経緯がある。『ジ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』は、この「奇妙な果実」を巡るアメリカ連邦政府との対立を描いた作品なのだ。

人種差別の撤廃を訴えた公民権運動へ影響を与えていた「奇妙な果実」だが、人気絶頂期のビリー・ホリデイは重大な麻薬問題を抱え、更生施設への入院、不法所持に対する逮捕を繰り返していた。政府は「奇妙な果実」を彼女が歌うことを妨害。だが、その度に阻止されたため、今度はビリーの麻薬中毒に焦点をずらし、麻薬没滅キャンペーンのターゲットにすることで公民権運動を抑えようとしたのだ。『ジ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』は、ビリーの自伝を映画化したのではなく、2015年に出版された「麻薬と人間 100年の物語」を原作としている。とはいえ、約500ページある本書の第1章(49ページ分)を「アメリカ vs ビリー・ホリデイ」としていて、原作というよりも“原案”といった印象を受ける。

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また自伝である「奇妙な果実」は、後年になって不正確な点があることを検証されている。例えば、2000年に出版された「ビリー・ホリデイと《奇妙な果実》 “20世紀最高の歌”の物語」では、彼女が生活費目的で引き受けたため、よりスキャンダラスな内容に編集されたのではないかと断罪している。それゆえ、彼女の人生を本当の意味で理解するためには、自伝「奇妙な果実」、評伝「ビリー・ホリデイと《奇妙な果実》」、映画の原作「麻薬と人間」といった複数の書籍、或いは『ビリー・ホリデイの真実』のタイトルで発売されているドキュメンタリーや、昨年全米公開されたドキュメンタリー映画『Billie(原題)』(2020年)、さらには映画『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実』などを比較し、多角的な視点を得ることが望ましいとも思わせる。

とはいえ『ジ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』は、“ビリー・ホリデイの真実”を追求するための作品ではない。描こうとしているのは、現代アメリカの<分断>に通じる不寛容な社会のメカニズムと、その圧力に抗うことで提示する「社会が本来あるべき姿」だ。監督のリー・ダニエルズが興した自身の映画製作会社リー・ダニエルズ・エンタテインメントの第1回作品は、ハル・ベリー主演の『チョコレート』(2001年)だった。この映画で第74回アカデミー主演女優賞に輝いたハル・ベリーは、“黒人女性として初受賞”と称えられ、「すべての有色人種の女性たちにチャンスが訪れました。今夜、その扉が開いたんです!」と語った彼女のスピーチは多くの感動を呼んだ。

現在では多様性の観点から、彼女の受賞を“非白人の初受賞”や“有色人種の初受賞”と表記する文面を散見するようになった。社会の変化に応じた表記に異論はないのだが、注視すべき問題は、彼女が白人の母を持つことを理由に“黒人女性の初受賞”と認めない人たちが、ハリウッドに未だ存在しているという実情にある。ちなみにアカデミー賞では、『チョコレート』の例以降20年間、黒人はおろか有色人種の俳優による主演女優賞受賞が一度もない。『ジ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』は、社会問題に対する改革意識とは裏腹なハリウッドに根強く残る差別意識と静かに闘っている。そのことは「奇妙な果実」を歌い続けたビリー・ホリデイの姿と、奇しくも重なるのである。

文:松崎健夫

『ジ・ユナイテッド・ステイツVS.ビリー・ホリデイ』は日本公開未定

【出典】
・「奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝」
油井正一・大橋巨泉・訳(晶文社)
・「麻薬と人間 100年の物語 薬物への認識を変える衝撃の真実」
ヨハン・ハリ著 福井昌子・訳 (作品社)
・「ビリー・ホリデイと《奇妙な果実》 “20世紀最高の歌”の物語」
デーヴィッド・マーゴリック著 小村公次・訳(大月書店)
Lee Daniels Entertainment

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