戦争とPTSD『タクシードライバー』が生まれた時代背景 デ・ニーロ×スコセッシの名作に撮影監督&作曲家の貢献

戦争とPTSD『タクシードライバー』が生まれた時代背景 デ・ニーロ×スコセッシの名作に撮影監督&作曲家の貢献
『タクシードライバー』© 1976, renewed 2004 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

■『タクシードライバー』が生まれた時代背景

『タクシードライバー』(1976年)は、前年の『アリスの恋』に続くマーティン・スコセッシ2度目のカンヌ映画祭コンペティション部門出品作で、見事パルム・ドールを受賞した歴史的名作である。今から49年前、スコセッシ30歳、ロバート・デ・ニーロ29歳のときだ。

舞台は70年代半ばのニューヨーク。ベトナム戦争に海兵隊員として従軍したトラヴィス・ビックル(デ・ニーロ)は、除隊後、不眠症になり、一晩中地下鉄やバスに乗って過ごしていた。ならばタクシー運転手になって金を稼ぐ方がいいと思いつき、タクシー会社に出向いて採用される。シフトは夕方6時から翌朝6時まで、週6日勤務だ。

ある日、街を流しているときに、大統領候補パランタイン州知事の選挙事務所で働く清楚な美女ベッツィ(シビル・シェパード)に一目惚れし、選挙事務所に押しかけ、強引にデートに誘う。が、彼女をポルノ映画館に連れていって即座に絶交される。タクシーの前に飛び出してきた美少女アイリス(ジョディ・フォスター)に興味を持つと彼女は家出少女で、スポーツというあだ名のポン引き(ハーヴェイ・カイテル)の下で売春していた。ベッツィにふられて悶々としていたトラヴィスは、タクシー運転手仲間の手引きで銃を手に入れると、彼の目には薄汚れて見えるこの世界を浄化するための計画を練り、パランタインの選挙集会に押しかけていくが……。

トラヴィスのように普通の社会になじめず、他人と正常な関係を結べない男、浄化(クリーン)が口癖の差別主義者は、約50年後の今の方が、より一般的になっているかもしれない。だから現在の目でトラヴィスを批判することは容易だろう。だが、『タクシードライバー』が描く時代、1976年に大統領選が行われたので、予備選挙をその前年とすれば1975年は、まさにベトナム戦争が終結した年である。

トラヴィスは1973年に除隊しているから、ベトナム戦争末期の泥沼状態を体験し、“汚い戦争”をめぐって国内が二分し、混乱し、疲弊した祖国アメリカに帰国した、ということになる。彼の不眠症は一種のPTSDだが、実はアメリカという国自体もベトナム戦争のPTSDに罹っていた。『タクシードライバー』は、そんな時代の病理を、帰還兵トラヴィスに仮託して描いた映画なのである。

■撮影監督と作曲家の功績

監督マーティン・スコセッシ、主演ロバート・デ・ニーロについては今さら言うまでもないが、『タクシードライバー』には彼らの他に欠かせないスタッフが二人いる。撮影のマイケル・チャップマンと音楽のバーナード・ハーマンだ。

マイケル・チャップマンは『タクシードライバー』と『レイジングブル』(1980年)という2本のスコセッシ作品で、映画史に名を残した名撮影監督である。彼のカメラは、フレームをかっちり作るコンポジション優先の画面作りでなく、登場人物の動きに自然に寄り添い、形より動きを重視するところに特徴がある。チャップマン自身が監督なので、カメラで演出することに長けているのだろう。今は絵画のような画面作りが上手い撮影だと言われがちだが、私はチャップマンの『タクシードライバー』や、ラズロ・コヴァックスの『イージー★ライダー』(1969年)のような、自在なカメラワークが映画の本道だと思っている。

バーナード・ハーマンは1911年ニューヨーク生まれで、オーソン・ウェルズの伝説のラジオ番組「宇宙戦争」にスコアを書いたのがきっかけで、ウェルズの『市民ケーン』(1941年)から映画音楽の仕事を手がけるようになった。映画ファンにとって、ハーマンといえばアルフレッド・ヒッチコックで、『めまい』(1958年)、『サイコ』(1960年)、『鳥』(1963年)などのヒッチコックの名作に忘れられない映画音楽を提供している。が、『引き裂かれたカーテン』(1966年)の製作途中で、“ハーマンの音楽は古くさい”と、ヒッチコックから一方的にクビを宣告され、以来、トリュフォーやデ・パルマといった映画好きな映画監督と仕事をするくらいで、“古くさい”という言葉が災いし、ハリウッドから半ば忘れられた存在になっていた。スコセッシがハーマンに依頼しようとしたら、疑問の声があがったとも聞く。しかし、冒頭のタイトルバック場面のアルト・サックス(演者はトム・スコット)をフィーチャーしたジャジーなスコアが流れた途端に、それまでの風評は吹き飛び、ハーマンの天才を世界に再認識させることになった。この音楽なくして『タクシードライバー』は存在しないほどの名映画音楽である。残念ながらハーマンはレコーディングが終わった半日後に心臓発作を起こして急逝し(1975年12月24日)、この映画が遺作となった。文:齋藤敦子『タクシードライバー』はCS映画専門チャンネル ムービープラス「カンヌ映画祭スペシャル2022」で2022年5月放送

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