リアル爆破からCGの時代へ! 新旧『ミッドウェイ』と『ダンケルク』から“戦争を描き直す”意義を考察

リアル爆破からCGの時代へ! 新旧『ミッドウェイ』と『ダンケルク』から“戦争を描き直す”意義を考察
『ダンケルク』『ミッドウェイ』パンフレット:筆者私物
昔は“戦争映画”とは基本的に第二次大戦もののことを指し、そうではない戦争映画は、たとえば“ヴェトナム戦争もの”という言い方をした。だが、日本人にとっては今でも戦後=第二次大戦後であるものの、実際には今のロシア・ウクライナ戦争(公式の呼び名ではないが)まで世界では、その間もいつもどこかで戦争は行われてきており、最近のハリウッド映画における戦争映画ではむしろイラク戦争など、もっと近い時期のものが増えてきた。それでもなお、第二次大戦を描いた戦争映画は今も作られ続けている。特にここ数年、かつて映画化された題材を改めて今風の映像で作り直す例が増えている。

■「最新CG技術を駆使して描き直したい」は幻想か?

ではなぜ、80年近く前の第二次大戦を描いた映画がいまだに作られ続けるのか。一つには、それが欧米では“最後のいい戦争”と位置付けられていることと関係がある。戦争にいいも悪いもないようにも思えるが、ナチスドイツやファシズム政権下の枢軸国が領土拡大をもくろんで近隣国に侵攻するのを食い止める、という構図は、少なくとも連合国側にとってはその大義名分を無条件に信じることができた最後の戦争だったということ。そして、もう一つ言われることは、かつての映画で昔の技術で描かれたものを、最新の技術でもっと迫力のある映像にヴァージョン・アップしたいというモチベーションが存在するということ。……だが、本当にそうだろうか。筆者はよく大学の映画史の授業で、「昔の映画作りは今よりもずっと贅沢だったのに、今は代用品ばかりで済ませていて今の観客は可哀そうだ」と挑発するのだが、それは、昔は建物や橋を爆破するシーンを撮るなら撮影のために本当に建物や橋を建設して、火薬を扱う専門家がきちんと計算した上で本当に爆破するシーンを撮っていたのに、今はコンピュータの中でどんな派手な爆破シーンだって簡単に作ることができるから。筆者はこれを “カニカマ理論”と名付けているが、その心は「昔は北の海の深いところに潜って蟹をとって食べていたが、今は見た目も味も食感も本物そっくりなカニカマボコを食べて“おいしいね”と言っているのだよ」ということ。

■R・エメリッヒ版『ミッドウェイ』はボリューム満点のディナーの趣!

スペクタクル映像の作り手として定評のあるローランド・エメリッヒ監督が、新たにミッドウェイの戦いを映画化する、と聞いたときには、「やはり以前の映画化ではアメリカ艦隊と日本の連合艦隊との壮絶な戦いを描く映像としては物足りなかったからかな」と思ったのだが、実際に完成した映画『ミッドウェイ』(2019年)を見て、また監督のインタビューを読んでみて納得した。

インタビューでエメリッヒ監督は「この海戦についての映画は過去にも作られたが、そのどれもあまりよくない」と述べているのだが、それは迫力など技術的な点だけでなく、アメリカ側の立場で言えば、先ずパールハーバーでの手酷い敗北があったからこそ、その後のミッドウェイでの劇的な勝利が際立つ、という「アメリカのカムバックストーリー」として描きたかったからなのだという。確かに、ビジュアル・エフェクトを使うシーンが1,500個もあり、俳優たちはほとんどの場合は何もない中でグリーン・スクリーンの前で演技したというだけあって、今日風のマーベル物と同じように迫力満点のスペクタクル・シーンの連続だし、航空機同士のバトルも、戦艦対航空機の過去の第二次大戦ものには無かったほどの臨場感だ。だが、それにも増して、ストーリーとしての密度の濃さが半端ではない。「ミッドウェイ海戦」をメインディッシュとするならば、その前に「真珠湾奇襲攻撃」が前菜としてデンと控え、さらに『東京上空三十秒』(1944年)で描かれたドゥーリトル爆撃隊のエピソード、ドキュメンタリー映画『ミッドウェイ海戦』(1942年)を撮るジョン・フォード監督とそのクルーのエピソードまできちんと描いているのだから、これはもう、うな重にミニかつ丼とミニうどんまで付けたボリューム満点のディナーの趣だ。

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■W・ミリッシュ版『ミッドウェイ』のこけおどし大作感も捨てがたい!

では、“あまりよくない”と名指しされたジャック・スマイト監督版の『ミッドウェイ』(1976年)は、本当のところどうなのか。スマイトは当時『エアポート75』(1974)など大作を手堅く演出することで知られていた職人監督だが、どちらかというと、本作はプロデューサーのウォルター・ミリッシュの作品として記憶されている。

ミリッシュは『荒野の七人』(1960)の製作総指揮で知られ、『大脱走』(1963)や『華麗なる掛け』(1968)なども彼の会社の作品だったから、実際問題としてその頃のハリウッドで一番力のあるプロデューサーであり、何といっても当時はアメリカ映画芸術科学アカデミー協会の会長を務めていた人。――その実力ゆえに、ミリッシュ版『ミッドウェイ』では、主役のチャールトン・ヘストン、ニミッツ提督役のヘンリー・フォンダ、山本五十六役の三船敏郎、南雲忠一役のジェームズ?田といったメイン・キャストに加えて、ロバート・ミッチャム、ジェームズ・コバーン、グレン・フォード、クリフ・ロバートソン、ロバート・ウェッバー、ロバート・ワグナー、ハル・ホルブルックといった主演スターがキラ星のごとく居並び、戦争映画の大作はこうでなくっちゃ、と思えるオールスター・キャストがウリだった。当時最新鋭の「センサラウンド方式」の音響も大作感を醸し出していた。

もっとも、ほとんどのスターたちは、「たぶん撮影は一日か二日で済ませたんだろうな」という程度の出番の短さだし、肝心の戦闘シーンの多くは実は東宝の『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(1960)、『連合艦隊司令長官 山本五十六』(1968)、日米合作の『トラ・トラ・トラ!』(1970)で撮られたシーンの流用だったりする。……でも、そのこけおどし大作感というのも実は捨てがたい味であって、日本の円谷英二の特撮はやはり世界的に通用するものなのだと実感できたりする。流用シーン以外だと、たとえば管制塔に飛行機が突っ込むシーンなどはスクリーン・プロセス感満載なのだが、要は最新のCG映像を好むか、ミニチュア特撮の手作り感や古いスクリーン・プロセスの合成の頑張ってる感の方を好むか、見る人の好みの問題というべきだろう。筆者はどちらも好きだが。
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■ベルモンド版『ダンケルク』の無常観と余韻の残るラストシーン

昨年惜しくも亡くなったジャン=ポール・ベルモンドが初の戦争映画として主演し話題になったのが、アンリ・ヴェルヌイユ監督版の『ダンケルク』(1964年)。これは、ナチスドイツの侵攻に退却に退却を重ね、「ダンケルクの死の撤退」と呼ばれた悲劇的な出来事を背景に、希望を見出せずに死んでいく兵士たちの土・日の二日間の出来事をペシミスティックに描いた作品で、フランス国内では315万人の動員を記録した大ヒット作だった。

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ベルモンド版『ダンケルク』が主人公を含む数人の兵士たちの視点にほぼ固定されていたのと違って、ノーラン版ではフィン・ホワイトヘッド演じる主人公トミーら兵士たちの視点だけでなく、兵士たちの救出へ向かうイギリスの民間の船の男たち、そしてドイツ軍の爆撃機に対抗するために燃料切れで墜落することも覚悟のうえで戦うイギリス空軍のパイロットたち(演:トム・ハーディほか)、という二つの異なる視点が付加されている点でストーリーに厚みが増した。

唯一、気になって仕方なかった点は、リアリズム追及の一環なのか、映画の冒頭で主人公トミーは便意を覚え、野グソする場所を探していたのだが、そこでその後行動を共にすることになるアナイリン・バーナードと出会い、結局クソすることが出来ないまま物語が進んでいき、野グソの問題が解決しないままになってしまう点。――便意はどこへ行ったのだろうか?

文:谷川建司『ミッドウェイ』(2019年)『ダンケルク』(2017年)はBlu-ray/DVD発売中、U-NEXTほか配信中『ミッドウェイ』(1976年/2019年)、『ダンケルク』(2017年)【日本語吹替版】はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2022年6月放送

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