人種差別に大量虐殺……悪名高き独裁者ムッソリーニが現代に蘇る!『帰ってきたムッソリーニ』は “笑ってる場合じゃない”ブラックコメディ

人種差別に大量虐殺……悪名高き独裁者ムッソリーニが現代に蘇る!『帰ってきたムッソリーニ』は “笑ってる場合じゃない”ブラックコメディ
『帰ってきたムッソリーニ』© 2017 INDIANA PRODUCTION S.P.A., 3 MARYS ENTERTAINMENT S.R.L.

ムッソリーニってどんな人? 人種差別に大量虐殺……つまりクズ中のクズです!!

悪名高き独裁者が、もし現代に蘇ったら……? という秀逸なアイデアでスマッシュヒットを記録した『帰ってきたヒトラー』(2015年)が、なんとイタリアでリメイク! ヒトラーに変わって現代に蘇ったのは、もちろんベニート・ムッソリーニだ!!

がっつり『帰ってきたヒトラー』をなぞってはいるものの、単なる二番煎じと思うことなかれ。ムッソリーニはかつてヒトラーが師と仰いだ人物で、ファシスト党を率いイタリアを独裁した悪名高き人物。控えめに言っても大量虐殺を行った人間のクズとしか言いようがない人種差別主義者だが、不遜なドヤ顔と具体的な自説、巧みな話術で当時のイタリアを掌握してしまったことは歴史が証明している。

オリジナル版の『〜ヒトラー』はモキュメンタリー要素が強かったが、本作は映像に安っぽさもなく、よりドラマ的な演出が目立つ。巻き込まれ型のリアリティや民衆を巻き込むコメディ要素こそ薄れたものの、映画作品としてのテンポの良さは『〜ヒトラー』以上だ。ムッソリーニの早口で過剰に滑舌がいい喋り方など、演じたマッシモ・ポポリツィオの(あまり似ていない見た目をカバーする)努力も伺い知れる。

「当時も人は彼を笑ってた」ネタ化した独裁者に釘を刺す虐殺サバイバーの言葉にドキリ

冴えない映像作家が現代に現れた独裁者を利用して一発アテようと目論むが……という基本設定や、突如登場したムッソリーニ本人をコメディアンと思い込んだ脳天気な国民たちにより、ネットやテレビで人気を博していく展開もオリジナル同様。相違点としては、リメイク版だけにヒトラーをネタにしたり、“初めてのインターネット”のシーンでは愛人クラーラ・ペタッチのエピソードが出たり、クライマックスのサプライズ的な演出を廃したあたり。そしてもっともパンチが効いているのは、やはり大量虐殺にまつわるパートだ。

『〜ヒトラー』ではホロコースト・サバイバーの老婆がヒトラーを罵倒したが、本作ではムッソリーニが過去の悪行を糾弾されるシーンをより重く描いていて、同じくサバイバー老婆の「当時も人は彼を笑ってた」という言葉には、某大臣の言動などをネタに笑っている我々日本人もハッとさせられるはず。

意外とフツーの人かも……? あえて人間味や優れた部分も描くことで危機感を煽る

本作で描かれるムッソリーニも「国民の意見を聞き、それを吸い上げただけ」とか言うのでタチが悪く、非常に胸クソ悪い。もっとクズ野郎として描いて良かった気もするが、彼の残虐性を強調することによって“自分とは全く価値観の異なる人間”という印象を与えてしまうことは避けたかったのだろう。2010年代のイタリア国民の潜在意識の中にもムッソリーニは確実に存在し、ひとつボタンを掛け違えれば地獄のような時代に逆戻りすることも十分にある得る、という警鐘を鳴らすための“塩梅”にはかなり気を使ったはずだ。それは『〜ヒトラー』の原作小説の著者も意識した部分だったようだが。

ムッソリーニは1945年にパルチザン(※ゲリラ/レジスタンス)によって処刑された(実行者については諸説あり)が、一時的とはいえ多くの国民や企業がファシズムを支持したことは事実。ただし第二次世界大戦の日独伊三国同盟の中で、イタリアは唯一独裁者を打倒した国である。自国の恥部を描き負の歴史に学ぶ国民性を見習いたい。

『帰ってきたムッソリーニ』は2019年9月20日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか公開

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