『リング』『らせん』の“Jホラー・ブーム”を巻き起こした火付け役は女子高生だった!

『リング』『らせん』の“Jホラー・ブーム”を巻き起こした火付け役は女子高生だった!
『リング』©1998「リング」「らせん」製作委員会

■【映画宣伝/プロデューサー原正人の伝説 第11回】

日本ヘラルド映画の伝説の宣伝部長として数多の作品を世に送り出すと共に、宣伝のみならず、映画プロデューサーとして日本を代表する巨匠たちの作品を世の中に送り出してきた映画界のレジェンド原正人(はらまさと)。全12回の本連載では、その原への取材をベースに、洋画配給・邦画製作の最前線で60年活躍し続けた原の仕事の数々を、原自身の言葉を紹介しつつ、様々な作品のエピソードと共に紹介していく。

原への取材および原稿としてまとめるのは、日本ヘラルド映画における原の後輩にあたる谷川建司。第11回目の今回は、角川書店との資本提携によるエース・ピクチャーズ設立後の『失楽園』(1997年)の大ヒットによって勢いを得た原正人が、若手プロデューサーたちのバックアップに回って製作総指揮(エグゼクティブ・プロデューサー)に当たり、Jホラー・ブームに火をつけた『リング』『らせん』(共に1998年)のプロジェクトの詳細をご紹介しよう。

■興行の閑散期を埋める素材としてのホラー映画

映画界には“稼ぎ時”という時期がいくつかある。クリスマスの時期から年末年始にかけてのお正月映画、子供やファミリーにアピールするような作品が多く公開される春休み、映画界が発明した活性化策としてのゴールデン・ウィーク(1951年のこの時期に大映と松竹で獅子文六原作の『自由学校』が競作され共に大ヒットしたことから、以後業界を挙げてゴールデン・ウィーク興行を育てていった)、そしてアクション大作などの公開時期というメージがある夏休み、である。

『リング』©1998「リング」「らせん」製作委員会

逆に言うと、そういった特別な稼ぎ時以外の時期は閑散期という位置付けだとも言えるのだが、そんな中で、正月休みと春休みの間の時期、つまり2月前後の寒い時期というのは、昔からホラー映画をぶつけると意外なヒットに結びついたりしてきた。ヘラルドでは『悪魔のいけにえ』(1974年)以降、“悪魔シリーズのヘラルド映画”をキャッチフレーズにしていた時期があったが、その『悪魔のいけにえ』も、『ゾンビ』(1978年)も、『地獄の謝肉祭』(1980年)も、『死霊のはらわた』(1981年/1985年公開)も、『クリープショー』(1982年/1986年公開)も、すべてこの時期に公開されている。

エース・ピクチャーズの親会社という立場となった角川書店もまた、自社で刊行したホラー小説「パラサイト・イヴ」(原作:瀬名秀明)の映画化作品を1997年の2月に公開して成功していた。そして、1997年に『失楽園』を大ヒットさせたエース・ピクチャーズが、翌1998年のこの時期に放って、新たな“Jホラー・ブーム”の火をつけたのが、原作小説を角川書店が手掛けていた『リング』『らせん』の映画化2本立て興行である。

『リング』
発売元:角川書店
販売元:ポニーキャニオン
価格:Blu-ray¥3,800(本体)+税
©1998「リング」「らせん」製作委員会

「ヘラルド・エース時代に僕がバックアップした『スワロウテイル』(1996年:岩井俊二監督)でつきあいのあった河井プロデューサーから僕に企画が持ち込まれ、それで僕がエグゼクティブ・プロデューサーとして、角川さんの力を借りて、資金とマーケティング面でバックアップすることになりました」

“呪いのビデオ”という都市伝説を題材とした『リング』と、そこで登場した“貞子”の素顔が明らかになる続編『らせん』とを、同じキャスト(『らせん』は新たに佐藤浩市の演じる主人公が登場するが、中谷美紀、松嶋菜々子、真田広之らは同じ役で登場)でそれぞれに製作し、2本立てで公開するというアイディアは、河井真也、仙頭武則、一瀬隆重という本2作に名を連ねた3人の若手プロデューサーたちが練ってきたものだ。角川書店では映画より先にテレビ版の『リング』(1995年)を製作していて、『らせん』の映像化企画も検討しているところだったこともあり、この企画に全面的に協力する大キャンペーンを張った。

『リング』©1998「リング」「らせん」製作委員会

かつての森田芳光監督がそうだったように、若く、才能のある監督やプロデューサーたちが、何とか自分の企画を実現させたいときに真っ先に相談に来る相手というのが、当時の原正人の立ち位置だった。河井真也は『私をスキーに連れてって』(1987年)などを手掛けたフジテレビの俊英、仙頭武則は『女優霊』(1995年)などを手掛けたWOWOW出身のヒットメイカー、一瀬隆重は27歳の若さで『帝都物語』(1988年)のエグゼクティブ・プロデューサーを務めて注目を浴びた才人。

3人それぞれに実績のあるプロデューサーだったが、角川書店という強力なメディアを背景に持つ原正人の映画プロデューサーとしての力は、この時期の日本映画界において群を抜いて大きなものだったのだ。

「ひと口にプロデュースといっても、その時々、ケース・バイ・ケースで自分の役割を変えて映画を作ってきました。エース・ピクチャーズ設立時、僕の年齢は60歳を過ぎていましたから、自分のこれまでの経験や人脈を活かして、資金調達や配給などの面から若いプロデューサーたちをサポートする機会が増えてきていました」

中田秀夫監督が怖がらせる演出に徹して作った『リング』、飯田譲治監督がミステリー的要素のある原作に忠実に描いた『らせん』の2本立て<デュアル・ホラームービー>は、「その謎は『リング』に始まり、その恐怖は『らせん』につながる」というキャッチフレーズのもと、後に“Jホラー・ブーム”と位置付けられることになる大きなブームを巻き起こした。

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©1998「リング」「らせん」製作委員会

■「角川冬のホラーシリーズ」が引き起こした不思議な現象とは!?

シリーズ物の映画というのは、基本的には第1作がヒットしたので二匹目のドジョウを狙って製作されるものであるため、大抵の場合は「1作目の7掛けの成果でも御の字」というような本音が見え隠れし、結果的には第1作目の成績にはるかに及ばない、というケースが多い気がするのだが、『リング』『らせん』はこの常識が通用しない不思議な現象が起こった。

『リング』©1998「リング」「らせん」製作委員会

『リング』『らせん』は2月の興行の閑散期にあって配給収入で10億円という大ヒットを記録しているが、ちょうど1年後の1999年のこの時期に「角川冬のホラーシリーズ」と銘打たれて公開された『リング2』『死国』の2本立て興行では、配給収入で21億円と、第1作目の倍以上の成績を上げたのだ。

ちなみに、『リング』の続編には既に原作・映画ともに『らせん』があった訳だが、『リング2』は原作小説からは離れて、新たに映画『リング』の続きとして製作されており、『らせん』とはパラレル・ワールドの形でストーリーが展開する。また、『リング2』の後には更に第3弾として2000年に『リング0 バースデイ』が製作されたほか、『らせん』にもその後、続きの物語として2012年に『貞子3D』が製作されるなど、どんどんその世界が広がっていった。

毎年恒例の「角川冬のホラーシリーズ」が日本中を席巻した“Jホラー・ブーム”を牽引して圧倒的な支持を得ていった背景として、女子高生たちが大勢駆けつけて、その怖さを口コミで広めていったことが知られている。デート・ムービーとしてのホラー映画という位置付けは昔からあったが、女子高生たちがブームに火をつけたという点でこのシリーズは新しかった。彼女たちが友だちに語りたくて仕方なかったものこそ、長い黒髪で顔が見えない薄気味悪さ、井戸の中から這い出てきて身体をくねくねと動かしながら迫ってくるねちっこさでホラー映画史上の人気キャラクターとなった“貞子”だった。

■アスミックとの合併の副産物として生まれたハリウッド版『ザ・リング』

『リング』『らせん』の公開から3か月後、エース・ピクチャーズは住友商事の子会社で、ヘラルド・エース時代からのライバル会社として多くの洋画を配給し、またエース時代の原がプロデュースした『写楽』(1995年)の製作にもコミットしていたアスミックと対等合併し、原がその社長に就任することになる。新生アスミック・エース・エンタテインメントは、一挙にエース・ピクチャーズの3倍以上の規模の会社となった。

それはちょうど、弱小洋画配給会社だったヘラルド映画が、経営の傾いていた名門ニッポン・シネマ・コーポレーション(NCC)を吸収合併して日本ヘラルド映画になったのと似ているが、邦画製作に圧倒的な実績を示していたエース・ピクチャーズと、商社系ならではの海外との交渉力を有するアスミックの良いところをそれぞれに補う形でのウィン=ウィンの関係という点が違っていた。その“副産物”こそが『リング』のハリウッド版リメイク、『ザ・リング』(2002年)だと原は語る。

「ハリウッドが日本の映画のリメイク権を買ったという話はよく聞きますが、実際に映画化されたという話はあまり聞きません。これほど早くきちんとした形で製作されたのは珍しいことです。……米国版の『ザ・リング』は原作ではなく、映画版『リング』のリメイクです。リメイク権を買ったのはスピルバーグの製作・配給会社であるドリームワークスです。僕は2000年には宿痾の胸部疾患のため社長の職を辞しましたが、作品のリメイク権譲渡は後任の椎名保社長の陣頭指揮で交渉し、非常にしっかりした条件で契約をまとめることができました」

ハリウッド版『ザ・リング』は、全米で1億ドルを超えるヒットとなり、日本でもアスミック・エース配給で20億円の興行収入を上げている。まさしく、1本の『リング』という映画の企画の提案を原正人がエグゼクティブ・プロデューサーとして形にしたところから始まった「角川冬のホラーシリーズ」が、“Jホラー・ブーム”という全国的なムーブメントを巻き起こし、グリコも顔負けの“一粒で何度も美味しい”コンテンツとして機能した、と言えそうだ。

文:谷川建司

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