歴史の闇に切り込むラブ・サスペンス『スパイの妻』 娯楽映画で社会問題を提示し 見事ヴェネツィア銀獅子賞受賞!

歴史の闇に切り込むラブ・サスペンス『スパイの妻』 娯楽映画で社会問題を提示し 見事ヴェネツィア銀獅子賞受賞!
『スパイの妻』©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

■脚本ユニット<はたのこうぼう>と恩師・黒沢清監督とのタッグ作!

軍国主義へと向かってゆく雰囲気のことを「軍靴の音が聞こえる」と表現するが、『スパイの妻』(2020年)は軍人たちが工場へと軍靴を鳴らしながら歩んでゆく姿で、まさに幕が開ける。社会が戦時へと突き進んでゆく日本を舞台に、国家機密を知った優作(高橋一生)は、自身の正義を貫くため公表に踏み切ろうとする。一方、彼の妻・聡子(蒼井優)は、夫婦の愛と国家への忠心との狭間で苦悩しながらも、“国家を裏切る優作の妻”=“スパイの妻”として生きてゆこうとする姿が描かれている。この映画は夫婦愛の映画であり、スパイ映画でもあるのだ。

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『スパイの妻』©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

今回の審査員のひとりである『東ベルリンから来た女』(2012年)などのクリスティアン・ペッツォルト監督は「この映画にはオペラ的なリズムがある」と演出方法や映像の特徴を指摘しながら、「1930〜1940年代の伝統的な映画スタイルによって政治ドラマを描いている」と講評していたのが印象的だった。

『スパイの妻』©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

■重要なのは“衝撃的な機密の内容”よりも“抑圧に抗う人間の生き様”である

社会の中で自由に生きようとするいち個人にとって、窮屈な世相であることを提示するため、優作と聡子の夫婦は貿易商を営む富裕層として描かれている。それは戦禍による日常生活への影響・落差が大きくなるからという点だけでなく、「私たちに戦争なんて関係ないわ」と享楽的な思考を持っている人々が、如何にして戦争に巻き込まれてゆくのか? ということを提示したかったからのように思わせる。社会に抑圧されるような状況下でも、自身の欲望や幸福を願う人間が当時もいたはずだからだ。蒼井優は富裕層の妻を演じているが、当時の上流階級らしい言葉遣いを操りながら、終盤では凄まじい姿を見せてゆく。ラストから逆算してアプローチした彼女の演技には、圧倒されるばかりだ。

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『スパイの妻』©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

『スパイの妻』は戦時下の物語だが、いつの時代も個人の自由を守るため、人間は社会との軋轢の中で試行錯誤を繰り返し、闘ってきたという歴史がある。それゆえ、劇中で描かれる機密の真偽だけでなく、人間の本質的なものに対する真偽というものが、この映画では国賊たるスパイ活動とも呼応させている。つまり、衝撃的な機密の内容も重要だけれど、もっと重要なのは抑圧に抗う人間の生き様の方だと感じさせるのだ。そこには「日本という島国の物語である」或いは「約80年も前の物語である」という海外からの視点を超越した普遍性がある。ヴェネツィア国際映画祭の審査員たちの琴線に触れた理由は、そんなところにもあるのだろう。

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『スパイの妻』©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

『スパイの妻』が纏っている「社会問題を描き、テーマは重厚であるにも関わらず、基本的には娯楽映画だ」という作品の特徴は、奇しくも前年の金獅子賞に輝いた『ジョーカー』(2019年)の特徴とも重なる。このこともまた、“現存する世界最古の映画祭”という歴史あるヴェネツィア国際映画祭で、『スパイの妻』が評価された由縁のように思えるのだ。

『スパイの妻』©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

文:松崎健夫

『スパイの妻』は2020年10月16日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開

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