「セーラー服ソング歌謡祭」(4)80年代編 菊池桃子が紺のブレザーで自身初のチャート1位を獲得

「セーラー服ソング歌謡祭」(4)80年代編 菊池桃子が紺のブレザーで自身初のチャート1位を獲得

「セーラー服ソング歌謡祭」(4)80年代編 菊池桃子が紺のブレザーで自身初のチャート1位を獲得

 青春のきらめく季節だけ着ることを、そして歌うことを許されるのが「セーラー服ソング」だ。80年代以降、世の男子たちを胸キュンさせた名作の数々を一気にパワープレイ!

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 80年代らしいソロアイドルの戦国時代はまだまだ続く。菊池桃子がささやくように歌う「卒業」(85年)は、自身初のチャート1位を記録し、売り上げも自己最高の40万枚近いヒットとなった。紺のブレザーに赤いネクタイを、清楚に着こなせる稀有なアイドルであった。

 逆に中山美穂は、当時のヤンキー文化を味方につける。人気シリーズとなった映画「ビー・バップ・ハイスクール」の主題歌「BE−BOP−HIGHSCHOOL」(85年)は、不良だらけの映画に清涼剤の効果をもたらした。

 こうした流れを大きく変えたのが、フジの「夕やけニャンニャン」から飛び出したおニャン子クラブの面々。メンバーの多くが現役の女子高生で、放課後のクラブ活動のようなノリは熱狂的なファンを獲得。

 グループとしてのデビュー曲である「セーラー服を脱がさないで」(85年)は、逆説的な制服ソングだが、派生ユニットとして高井麻巳子(後の秋元康夫人)と岩井由紀子が組んだうしろゆびさされ組の「うしろゆびさされ組」(85年)は、赤いスカートのセーラー服がインパクト大。

 そんなおニャン子関連で初めてチャート1位に輝いたのが、中島美春の卒業ソングとしてリリースされた「じゃあね」(86年)だ。

「なかじの歌いながらの涙は印象的。世代的に初めてアイドル引退の瞬間に立ち会いました」(アイドル評論家・織田祐二氏)

 空前の活況を呈した80年代が暮れてゆく…。

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