天才テリー伊藤対談「藤村忠寿」(1)HTBに入社したのは楽そうだから

天才テリー伊藤対談「藤村忠寿」(1)HTBに入社したのは楽そうだから

天才テリー伊藤対談「藤村忠寿」(1)HTBに入社したのは楽そうだから

●ゲスト:藤村忠寿(ふじむら・ただひさ) 1965年、愛知県生まれ。90年4月、北海道テレビ(HTB)入社。95年に本社制作部に異動、96年にチーフディレクターとしてバラエティー深夜番組「水曜どうでしょう」を立ち上げる。ローカル番組としては異例の人気番組となり、全国放送、DVDの全国発売、インターネット放送、番組本の発売など、さまざまな事業を展開する。2015年6月に「藤村源五郎一座」を旗揚げするなど、役者としても活動する。19年2月、「水曜どうでしょう」の撮影担当ディレクター・嬉野雅道氏とYouTubeチャンネル「藤やんうれしーの水曜どうでそうTV」開始。最新著書「笑ってる場合かヒゲ水曜どうでしょう的思考」1・2が朝日新聞出版より発売中。

 北海道ローカルのバラエティー番組が全国で人気爆発、大泉洋の存在を世に知らしめた「水曜どうでしょう」の名物ディレクター・藤村忠寿氏が登場。番組内での雰囲気そのままに「水曜──」放送までの経緯、地方局の問題、そしてまさかの大きな夢を語り、天才テリーを驚かす!

テリー 藤村さんは人気番組「水曜どうでしょう」のイメージが強いから、北海道出身かと思ったら、生まれは名古屋なんですね。

藤村 そうです、地元の高校を卒業したあと、北海道大学に入りまして。そこからずっと北海道生活です。

テリー なんでまた北海道だったんですか。

藤村 地元だと、あそこに就職して、将来は家を持って‥‥みたいな、自分の人生の先が全部見えちゃう感じがあったんですよね。何かそれが嫌で。

テリー 東京という選択肢もあるじゃないですか。

藤村 あ、それはなかったです、競争が厳しそうだったから(笑)。ちょうどバブルの時代だったので、引く手あまたでした。どこでも勤められたし、だったら地方でのんびり暮らせたらいいなと思っていて。

テリー 北大っていう響きに、何かロマンチックな感じもありますものね。

藤村 もう単純に「ボーイズ・ビー・アンビシャス」のそれだけで(笑)。大学時代はラグビー部だったんですが、部員だけで借りているアパートみたいなところで、みんな一緒に暮らしていたんです。

テリー ラグビー部か。さぞ骨太の学生生活だったんじゃないですか。

藤村 楽しかったですよ、学校には全然行かなかったですから(笑)。法学部だったんですが、勉強もほとんどしてないですしね。

テリー ええっ、そんな感じでよく卒業できたね。

藤村 北大法学部は卒論がないんですよ。あとは先輩たちから代々引き継いできた授業のノートを頼りにして‥‥。

テリー そんなやる気のない学生が、なぜ北海道テレビ(HTB)を目指すんですか。

藤村 結局、1年留年したんですけど、残っている単位は2つか3つだったのですごく暇で。そこにHTBにいたラグビー部の先輩から「お前、暇だったらバイトに来い」と声がかかって、報道部のカメラマンの助手みたいなのを1年半ぐらいやったんですが、ローカル局の仕事って楽なんですよね〜。

テリー ええっ、それ本当ですか?

藤村 楽ですよ、東京と違って番組を作っていませんから。

テリー まあ確かに、基本は東京の系列の番組を放送しているわけだけど。

藤村 いや、僕、テレビはものすごく好きなんです。テリーさんが作った番組なんか全て見ているぐらいのバラエティー好きですから。でも、HTBに入社したきっかけは、「俺が考えたバラエティーをどうしても作りたい!」みたいな大きな希望があったわけではなくて、「あそこ、楽そうだな」というのが一番の理由(笑)。バイトの延長でそのまま試験を受けて、今に至るっていう感じなんですね。

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