ハチミツ二郎「急性肺炎とコロナで2回死にかけた」

ハチミツ二郎「急性肺炎とコロナで2回死にかけた」

ハチミツ二郎「急性肺炎とコロナで2回死にかけた」

●ゲスト:ハチミツ二郎(はちみつじろう) 1974年、岡山県生まれ。2001年、現在の相方・松田大輔と「東京ダイナマイト」を結成し、オフィス北野に所属。2004年の「M-1グランプリ」で決勝へ進出し、全国区の人気を得る。2008年、オフィス北野を退社し、現在は吉本興業に所属。大のプロレス好きで、プロレスラーとしても活躍。大仁田厚との対戦経験もある。自身の半生をつづった著書「マイ・ウェイ東京ダイナマイトハチミツ二郎自伝」(双葉社)発売中。

 漫才師としてだけでなく、大のプロレス好きが高じてプロレスラーとしても活動した「東京ダイナマイト」のハチミツ二郎が、自身の半生をつづった著書「マイ・ウェイ」を上梓。病気で死の淵をさまよった2回の経験から、ビートたけしに対する思いまで、天才テリーに明かした。

テリー 自伝「マイ・ウェイ」読みましたよ。ハチミツさん、病気で2回も死にそうになってるんだね。

二郎 そうですね、最初は急性肺炎による心不全で。2018年に埼玉のイオンモールで営業をやった日の夜に40度の熱が出たんですよ。で、次の日にNGK(なんばグランド花月)で4ステージという仕事があったんで、解熱剤を飲んだりして。免疫力が下がってたんでしょうね。それで、どこかで肺炎の菌を吸い込んでしまったんだと思います。

テリー 休めなかったの?

二郎 一応マネージャーに連絡して「どうする?」って聞いたら「二郎さんが決めてください」って。そう言われたら、行くしかないじゃないですか。

テリー そうか。相変わらず吉本興業はひどい会社だね(笑)。それで?

二郎 3ステージ目が終わったところで、座って背中を曲げてるような状態じゃないと息ができなくなって、4ステージ目はやめて帰ることにしたんですよ。それでタクシーを呼んでもらって、最初の行き先は新大阪駅だったんですけど、そんなところまで行くのはとてもムリだと。それで急きょ、近くの救急病院へ向かうことにしたんです。

テリー その時はどんな状態だったの?

二郎 あとで知ったんですけど、パルスオキシメーターで計ったら血中酸素飽和度が67%しかなかったんです。90%を切ると重症、80%を切ったら死ぬって言われてるんですけど。それっていうのは、もう水中で溺れてるような状態らしいです。

テリー へぇ~。

二郎 で、そんな状態でタクシーを降りて、病院の入り口に行ったら、「祝日の救急はあちら側です」って書いてあって、建物を半周しなきゃいけなくて。

テリー その時はマネージャーも一緒?

二郎 いや、1人です。で、縁石やポールを伝いながら何とか受付まで行ったら、そこの人が生年月日から何から全部書けって言うんですよ。「持病」とか「飲んでる薬」とか。

テリー まあ大事なことなんだろうけど、すごく日本的というかね。

二郎 それでゼェゼェ言いながら、その紙を渡して、椅子にダーンと倒れて。でも、しばらく誰も来ないんですよ。で、やっと何分かして来たと思ったら、今度は「保険証ありますか?」って。

テリー アハハハハ。それって、もうコントだよね。

二郎 ほんとに。またそういう時に限って「餃子の王将」とか薬局のカードが出てきて、保険証が見つからないんですよ。で、やっと見つかって。

テリー 大変だなぁ。

二郎 でも、パルスオキシメーターで67%って数値が出てからは早かったですよ。急にバタバタし始めて、「もう死ぬから家族呼べ」って。

テリー え、それ聞こえたの?

二郎 聞こえました。なのにベテランの看護師さんが「大丈夫ですから」って手を握って、さすってくれるんですよ。でも、それが意外と落ち着いて。もし誰かが同じような目に遭ったら、俺も絶対そうしようと思いますね。

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