天才テリー伊藤対談「塩地美澄」(1)秋田での9年間は貴重な経験でした

天才テリー伊藤対談「塩地美澄」(1)秋田での9年間は貴重な経験でした

天才テリー伊藤対談「塩地美澄」(1)秋田での9年間は貴重な経験でした

●ゲスト:塩地美澄(しおち・みすみ) 1982年、北海道生まれ。大学卒業後の2006年、秋田朝日放送入社。「スーパーJチャンネルあきた」「AABニュース&ウェザー」など情報番組やニュース番組を中心にバラエティでも活躍。14年3月末、秋田朝日放送を退社。同年8月よりスペースクラフトに所属。15年6月、週刊誌にてグラビアデビュー。Gカップの胸と抜群のプロポーションで注目を集める。16年3月に発売されたファースト写真集「みすみ」は1万部を超える大ヒットに。現在、セカンド写真集「すきだらけ」が好評発売中。5月25日には最新DVD「すきなだけ」(ともにワニブックス)を発売予定。6月4日(日)神保町書泉グランデにてDVD発売記念イベントを開催。

「東北ナンバー1人気女子アナ」として注目を浴び、現在はGカップのグラマラスボディを武器にグラビア界にも進出、ますますその魅力を拡大している塩地美澄。天才テリーを相手に、局アナ時代から現在までの歩みや恋愛遍歴、そして芸能界で抱える悩みを語り尽くした!

テリー おおっ、久しぶり。前に別の雑誌の企画で会ったよね?

塩地 はい、2年前に。あの時は秋田から上京したばかりで、「彼氏いるの?」とか、プライベートについて聞かれることに慣れていなくて、すごく緊張しちゃいました。

テリー アサ芸はもっとハードだから覚悟しといて。

塩地 アハハハ、お手柔らかにお願いします。

テリー 秋田朝日放送では、アナウンサーを何年やっていたの?

塩地 正社員で8年、そのあと会社を辞めてからフリーで1年、計9年です。

テリー 東京の女子アナは華やかなイメージだけど、地方の女子アナって、どんなポジションなの。

塩地 ホントに「社員」って感じです。取材はもちろん、編集やカメラも全部自分で担当することがありますから。

テリー へぇ。それはそれで、仕事としてやりがいがあるよね。

塩地 そうですね。でも関東から地方に異動になった人だと、2、3年で辞めて東京に戻っちゃうパターンが多いです。やっぱり華やかなアナウンサーのイメージしかないから、仕事内容とのギャップに耐えられないみたいで。

テリー じゃあ北海道から秋田だと、どうだったの?

塩地 私はちょっと南下できたから、うれしかったです(笑)。ちょっとでも雪が少ないところに行きたかったので。

テリー じゃあ、沖縄に行けばいいよ(笑)。

塩地 アハハハ、最終的に目指します。

テリー 振り返ってみて、秋田での9年はどんな時間だった?

塩地 ひと言で言えば、「どうにか私を社会人にしてもらえたな」と思っています。いろいろ貴重な経験をさせていただきました。

テリー どうして、退社することになったの。

塩地 入社5年目の4月に担当が情報番組からニュース番組に変わって、精神的に疲れてしまったんです。しかも、そのタイミングで父にガンが見つかって、余命半年を宣告されちゃったんです。

テリー そうなんだ、悪いことは重なるなァ。

塩地 それで父のため、あと自分の休息のために北海道に帰る時間を作りたいと思って、上司に辞意を伝えたんです。100%で仕事しないと周りにも迷惑をかけるし、自分も納得できないですから。もっとも、引き留められて実際に辞めるまでに、そこから2年半かかったんですけど。

テリー その間、お父さんのお見舞いは大丈夫だったの?

塩地 実家には隔週で帰っていました。月〜金曜の帯番組を担当していたので、金曜日の夜に帰って、土日泊まって、月曜日の午前中の便で帰ってくる、みたいなスケジュールをこなしていました。

テリー それは体にも心にも負担が大きいよな。よくやれたね、えらいよ。

塩地 正直キツいと思うこともありましたが、後悔したくなかったので、頑張れました。

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