天才テリー伊藤対談「田原俊彦」(2)小さなイベントにファンが3万人!?

天才テリー伊藤対談「田原俊彦」(2)小さなイベントにファンが3万人!?

天才テリー伊藤対談「田原俊彦」(2)小さなイベントにファンが3万人!?

テリー トシちゃんって、いきなりドーンと人気が出た印象だけど、ジャニーズ時代に苦労ってあったの?

田原 と思うじゃないですか。でも僕、高校の3年間、中央線に乗って(実家のある山梨県)甲府からレッスンのために毎週末、東京に通ってましたからね。

テリー 当時はまったく無名?

田原 ええ。今でこそジャニーズって勢いのあるイメージがあるかもしれないけど、僕らの頃はそうじゃなかったんですよ。音楽界はニューミュージックが席巻していて、ジャニーズはフォーリーブスが解散した直後だから、メチャメチャ低迷していた時期で。

テリー ああ、確かにあの頃、ジャニーズ文化がなくなっちゃうんじゃないか、なんて言われてたな。

田原 そう。練習生の僕らも、先がまったく見えなくて、ただひたすら歌とダンスとお芝居のレッスンをして、来るべき時に備えて準備をしておくしかなかったんですよ。

テリー つまり、いくらレッスンしてもデビューできるかどうかさえわからないわけだ。それって、とても不安だよね。

田原 だから、僕とマッチ(近藤真彦)、ヨッちゃん(野村義男)は、79年の「3年B組金八先生」というドラマに出会わなかったら、たぶんずっと世に出てないんじゃないですかね。そう考えると、全部運なんですよ。翌年、僕が「哀愁でいと」で歌手デビューして、(松田)聖子ちゃんも出てきたあたりからですよね、ちょっと時代が変わってくるのは。

テリー まさにアイドル黄金期の幕開けだ。トシちゃんは、あの時代の熱狂をどう感じていたの?

田原 もちろん、うれしかったですし、「これ、夢なんじゃないの?」って思えるくらいの状況でした。

テリー 何しろ、ものすごい人気だったからね。

田原 うん、ハンパじゃなかった。デビュー直後に、六本木でたのきんトリオのファンクラブイベントをやることになったんです。事務所が用意したのは、キャパ200人ぐらいの小さな会場だったんですけど、そこに当日3万人も来ちゃったんですよ。

テリー えっ、200人のところに3万!?

田原 そう、だから中止ですよ。警察も来て、「何やってんだ、コラーッ!」って大騒ぎになって(笑)。

テリー すごいね。合宿所の前も、いつも女の子だらけだったでしょう?

田原 毎日200〜300人ぐらいいたのかな? もう出入りする時はもみくちゃですよ。昼間、裏口は使えなかったから。

テリー 当時、お休みはあったの?

田原 デビューして7、8年間は休みなしで働いていました。本当に忙しかったです。でも、いつまでその人気が続くかわからないし、いつまでも下手な歌を歌ってられないし、もっと踊りのスキルも上げなきゃいけないし‥‥なので、そんな中でもボーカルレッスンやダンスレッスンに通っていましたけどね。

テリー すごく冷静だね。マッチやヨッちゃんと、そんな将来の話をしてたりしてたの?

田原 いえ、話さなかったです。マッチは車にばっかり乗ってるし、ヨッちゃんはギターばっかり触っている(笑)。まぁ、2人はそういう好きな道を極めていくことを選びましたけど、僕はやっぱり人を楽しませるエンターテインメントが好きなんです。

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