ジャニー喜多川氏に人生を弄ばれたジャニーズ創成期メンバー メディアは美化報道を自重すべし!

 7月9日、解離性脳動脈瘤破裂による、くも膜下出血で亡くなったジャニーズ事務所の創設者・ジャニー喜多川さん。その後の報道を見ると、これまでの功績に対する賛美が溢れかえっている一方で、ジャニーさんが起こした「あやまち」について言及する大手メディアは皆無といっていい状況だ。

 もちろん、それは想定内のことなのだが、筆者自身はその栄光の影に隠れ、ジャニーさんの性の玩具にされて事務所を去り、寂しく散っていった故・真家ひろみさんと故・北公次さんのことを忘れない。

 朝鮮戦争の後、日本に帰国してアメリカ大使館に務めていたジャニーさんが、近くの代々木公園で遊んでいた子どもたちを集め、アメリカ仕込みの野球を教えていたのはよく知られているが、そこで真家さん、あおい輝彦、飯野おさみ、中谷良の4人をスカウトし、1962年4月に「ジャニーズ」を結成。直後の6月に「ジャニーズ事務所」を創業すると、日本人初の男性アイドルグループとして本格的にデビューさせた。

 こうしてジャニーズ事務所の第1号タレントとなった「ジャニーズ」は、『涙くんさよなら』などのヒット曲を飛ばして大活躍したが、1967年に突然解散する。

 実は、この解散の直前、「ジャニーズ」がデビュー前にダンスレッスンなどのために通っていた「新芸能学院」が起こした裁判で、学院がジャニーさんのセクハラ行為を告発していた。「ジャニーズ」は証言を求められ、あおいと飯野は、セクハラ行為を否定したが、真家と中谷は「覚えていません」と答えていて、これが解散の原因だと言われている。

 その後、真家ひろみは芸名を真家宏満と改名してワイドショー『3時のあなた』のアシスタントを務めたり、日活ロマンポルノに出演したりしたが、再ブレイクはならず、79年には文豪・池波正太郎さんが名付け親になって芸名を立花正太郎に改名。テレビ時代劇や舞台に出演したが、役者としても芽が出ず、82年にタクシー運転手に転身した。

 その頃、筆者は取材で真家さんと会った。真家さんはハイテンション気味に「僕は作詞をしているんです」と言うと、タクシーを青山墓地近くに停め、自作の詩を見せてくれた。再デビューを真剣に考え、そのためなら、どんなステージでも立つと意欲を燃やしていた。取材の帰り際に「明日から新宿のホストクラブでホストをやるんです。そのステージで歌いますから、見に来てください」と言われ、翌日ホストクラブを訪ねてみた。

 他のホストが、いかにもホストらしい独特の衣装を身につけるなか、真家さんは、ジャニーズ時代の、昔のステージ衣装のようなものを着て、ひとり浮いていた。やがて歌の段になってステージに立ったが、あまりの下手さにドン引きした。ホストはもちろん、女性客の誰ひとり、彼が一世を風靡した「ジャニーズ」の真家ひろみだとは気づかなかった。

 それでも彼はめげずに「再デビューする」と語っていた。ステージの後、筆者の取材の狙いを察知したのか、ジャニーさんからの性的虐待について、詳しくは語らなかったものの、事実を認めてくれた。にもかかわらず、前向きに芸能界復帰へ励む姿勢に心を打たれ、再起を期待していたが、2000年3月、夢を果たせないまま、心筋梗塞で他界。53歳の若さだった。初代「ジャニーズ」のメンバーとして、あまりにも寂しい最期だった。

 もうひとり、忘れられないのが北公次だ。彼もまた、ジャニーさんにスカウトされ、「ジャニーズ』のバックダンサーを経て、1968年に「フォーリーブス」のメンバーとしてメジャーデビューした。女性ファンの圧倒的支持を得て、70年からは7年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。 

 ところが、まもなく“男性アイドル冬の時代”が訪れ、「フォーリーブス」の人気も下降。78年に解散した。ジャニーズの“女帝“と呼ばれたメリー喜多川は、退社の意向を示した北を慰留したが、北の意思は固く、ジャニーズを退社。79年、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された。薬物の使用は「フォーリーブス」時代からだったが、ジャニーズ事務所はその責任を回避したばかりか、“北潰し“を始めた。

 当時、筆者の仲間だった記者が、北の再起について相談に乗っていた。「彼の再起に協力してくれないか」と頼まれ、豊島区大塚の居酒屋で北と初めて会った。話を聞くうちに、「ジャニーさんに性的虐待を受けた」と聞かされた。北がメリーの説得に耳を貸さなかったのは、ジャニーさんの呪縛から逃れるためだったのだ。

 その後、88年、北は半生記『光GENJIへ』を出版。ジャニーさんの性癖やジャニーズ事務所の体質を告発した。しかし、ジャニーズの力を恐れたメディアのほとんどがこれを黙殺した。そのため北は再デビューを果たせなかったが、ソロで地道に活動を続け、2002年には「フォーリーブス」を再結成。徐々に復活の兆しを見せたが、肝臓がんに襲われ、2012年2月に他界。63歳の若さだった。

 メディアはジャニーさんの死を“巨星堕つ”などと報じていてきたが、少なくとも、真家さんと北さんの人生を弄んだことは否定できない。最高裁も認めたジャニーさんの少年たちへのセクハラを鑑みれば、メディアはそろそろジャニーさんを美化する報道は自重すべきだ。そうでなければ、真家さんも北さんも浮かばれない。

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