“演歌界のプリンス”氷川きよしは、いかにして「解き放たれた」のか?

“演歌界のプリンス”氷川きよしは、いかにして「解き放たれた」のか?

氷川きよし

 もう18年以上も前のこと。氷川きよしに会って、インタビューをした。雑誌で演歌の特集を企画するにあたり、この頃の演歌シーンのまさに旗手であった氷川にどうしても話を聞きたくて、取材の機会を設けてもらったのだ。そしてその席に来てくれたのは、とても物腰の柔らかな、優しそうな雰囲気の若者だった。

「<口には出さないけど、実はみんな、演歌も好きなんじゃないかな?>って。そう思ってました」

 穏やかな口調で語る氷川。彼自身は学生の頃からポップスやロックが好きで、もちろんそれは周りの友達も同様だった。ただ、実はみんな演歌も好きでは……という思いは、ずっとあったのだという。

 とはいえ、この言葉にしてもそうだが、意外な話はさほどなかった。それとともに、氷川の人柄にも発言にも、アクのような強さとか押しつけがましいところが一切ないことが印象に残った。

 そういえば取材に入る前、氷川が所属する日本コロムビア(赤坂にあった古いビルの頃だ)のロビーには歌謡曲ファンか何かの集まりがあったのか、彼と顔見知りと思われるおばさま方が数人来ていた。その人たちと、ひとりずつ、ていねいに握手する姿も、イメージ通りだった。

 あれからそれなりの時間が流れた今、思う。当時の氷川きよしは、解き放たれてなかったってことなのか、と。

 氷川きよしが大変なことになっている! そんな騒ぎが起こっていることをはっきりと認識したのは、今年の初夏に公開されたこの動画が元だった。

 昨年のコンサートの映像だが、なにしろメイクによって妖艶さが異様なまでに浮き彫りになっている。そしてせり上がるゴンドラの上で風を浴びながらシャウトする姿はまるでT.M.Revolutionだ。いや、当のレボレボにしたって、ここまでメイクは濃くない。とにかく何かが振り切れたのが伝わってくる。

 近頃はタマホームのCMでも氷川がバンドと共に華麗にパフォーマンスする姿がOAされている。最初、家でTVを観てて、“ん? このヴィジュアル系っぽいシンガー誰?”と思ったら氷川で、ビックリしたものだ。

 それでは、現在42歳の氷川がここに来るまでを振り返ってみよう。

 デビューシングル「箱根八里の半次郎」が発売されたのが2000年の2月のこと。この曲がいきなりのヒットを記録し、彼はお茶の間レベルで早々とおなじみの存在となった。当時は、いや、今もそうであろうが、演歌界は新たなスターの登場を待ち望んでいた。そこに現れた氷川は、革命的な存在だったと思う。なにしろイケメンだし、スマートだし、いかにも好青年。優しく、笑顔もさわやかで、そりゃあ演歌好きの女性たち、特におばちゃん、おばあちゃんたちは大喜びだったはずだ。

 楽曲も、昔にはやった「股旅もの」路線をデビューに持ってくる斬新さで、この曲の<やだねったら やだね>は実にユニークだった。言うなれば、ポップだった。

 氷川は「演歌界のプリンス」として君臨していく。02年には「きよしのズンドコ節」がヒット。これはかつて小林旭やドリフターズが唄ったズンドコ節を当て込んだもので、これまたこの時代には誰も唄ってなかった<ズンズンズン ズンドコ>という歌詞も含めた楽曲の個性がウケた。

 この頃、氷川の歌に感じたのは、発声がスマートであることだった。当然、王道的な演歌も唄ってはいるものの、基本的に彼の声が表現する歌には、どこかサラリとした軽やかさ、さわやかさがある。このあたりも支持された要因のひとつにあるように思う。

 さて、見逃せないのは、氷川はキャリアのかなり早い時期からポップス路線の曲も唄い、リリースしていたこと。この活動は、主に別プロジェクトである<KIYOSHI>名義で行われてきた。

 まず、01年に出したクリスマスソング「きよしこの夜」はスタンダード曲ではなくオリジナルで、河村隆一プロデュース。切々と唄われるラブソングである。03年には中村玉緒とTAMAO&KIYOSHI名義で「ラブリィ」をリリース。こちらは阿木煬子・宇崎竜童の夫婦コンビによる楽曲だった。

 翌04年の「evergreen(いのちの唄声)」はFANATIC◇CRISIS、ビリケンと共に組んだ特別ユニットでのバラード。また、06年には映画『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』に「未来」と「believe〜あきらめないで〜」を提供している。

 また、氷川はポップスやロックのカバー曲も当初から多数唄ってきた。もちろん演歌もたくさんカバーしているが、その一方で演歌以外のジャンルの曲もコンサートやCD、あるいは歌番組といった場で唄っているのだ。

 たとえばTV番組では、「栄光の架橋」でゆず、「傷だらけのローラ」で西城秀樹といった本家と一緒に唄ったり。ほかにも植木等「スーダラ節」、五輪真弓「恋人よ」、BUMP OF CHICKEN「天体観測」、CHAGE and ASKA「SAY YES」などなど……ほんとに多くの楽曲を唄っているのだ。

 歌手たるもの、他人の曲を唄うこと自体は珍しくはない。ただ、演歌歌手である氷川がポップス、ロックの歌を積極的に唄ってきた背景には、やはりそうしたジャンルが好きであるという前提がうかがえる。

 ただ、それでも演歌歌手としての王道の活動……<氷川きよし>名義のシングルに、そうしたジャンルの歌が入ってくることはなかった。彼はこの20年の間に、先ほどの「股旅」「ズンドコ」のほかに「ドドンパ」「ソーラン節」「浪曲」など、やはり演歌〜歌謡のマナーにのっとった曲を出してきている。中には歌謡タッチのものもあったが、それも演歌の範疇に入れてもそうおかしくない曲だった。

 そんな中で、ややロックに寄った歌もあった。15年に発表された「男花」は、和な音色が演歌的ではあるものの、パワフルな音作りはロック的。そして注目はこの?である。

 海面が迫る険しい岸壁で、風を浴びながら派手な衣装をヒラヒラさせている。そう、どことなくT.M.Revolution度が高いのだ。意識したというほどではない気はするが。

 しかし、この「男花」も、シングルとしてはムード歌謡的な「愛しのテキーロ」のカップリングという立場だった。氷川きよしとして発表するシングルのメインは演歌であるという点は、基本的に今も貫かれている。

 そのバランスが若干変わり始めたのは17年7月、GReeeeNとのコラボ曲「碧し」である。配信シングルという扱いで、CDではリリースされていない。旅立ちにあたっての思いをつづった、いかにもGReeeeNが作ったらしいバラードである。これを氷川は自然体で唄っている。

 そして「シングル盤で出すのは演歌」のルールがついに破られたのが、この記事の最初でライヴ映像を見てもらった「限界突破×サバイバー」である。17年の秋からアニメ『ドラゴンボール超』(フジテレビ系)のテーマソングとして起用されたこの曲への思い入れは、氷川自身も大きかったようだ。

 作詞は歌謡曲とロックの世界で長年活躍してきた森雪之丞で、過去にもこのアニメの曲に関わったことがある。作曲者の岩崎貴文、アレンジャーの籠島裕昌は、どちらもアニメ・特撮の仕事で知られる人物だ。最初から演歌の枠を飛び超えた楽曲だったのだ。

 何より、氷川自身の歌唱が熱い。しかも歌詞には<壁をブチ破る>という示唆的なフレーズがある。ここから彼は振り切れ始めたということか。

 この段階でアニソンを唄ったことはひとつの契機になった。氷川はこの年、アニメソングの一大イベント「Animelo Summer Live 2017」に出演し、この歌とかつての『ドラゴンボールZ』(同)のテーマソング「CHA-LA HEAD-CHA-LA」の2曲を歌唱している。『ドラゴンボール』にハマった世代なのだろう。

 続いて18年には、これもアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の、あの有名な主題歌を唄っている。

 そして氷川はこの19年の夏にも「Animelo Summer Live 2019」に出演。やはり「限界突破×サバイバー」と、もう1曲、『北斗の拳2』(同)のテーマだった「TOUGH BOY」を唄ったようだ。その時のニュース映像が以下である。

 ここでの「解き放たれた感じがして、自分らしくやれたような気がして」「(コンサートでは)演歌半分、ポップス、ロック半分でやってるんですけど」といった発言は、実はあちこちでされている。解き放たれた感覚と、そこでの自分らしさ。いずれも今の氷川のキーワードでもある。

 こうして流れを見ると、演歌とそれ以外のジャンルの楽曲との均衡が変化する起爆剤になったのが2年前の「限界突破×サバイバー」だったのは間違いない。ただ、氷川というか、スタッフは冷静だ。こうした動きの一方で、シングルとして出す曲はあくまで演歌がメインであることを順守している。

 今年3月のシングルは両A面で、まず「大丈夫」は軽快なポップス調ではあるが、やはり演歌である。

 もう1曲の「最上の船頭」は、船頭……舟歌である。ここでも過去の演歌/歌謡曲のマナーを踏襲しているのだ。

 そしてこの10月にリリースしたシングル「龍翔鳳舞」は、タイトルそのまんまの超ドラマチックなド演歌。堂々と響き渡る歌声が圧巻だ。

 かと思ったら、11月に、先ほどの「大丈夫/最上の船頭」の新たなカップリング曲として収録された新曲「確信」は疾走感の強いロック路線である。これもカッコいい。曲を書いた塩野雅はシンガーソングライターとして活躍している人だという。

 このように氷川の場合、基本的にCDシングルのメインで発売するのは演歌。付け加えれば、ダウンロードやサブスクに置いているのはアニソンやロック、ポップス路線の楽曲というふうに分けられているようだ(個人的には、今後のためにもDLとストリーミングで演歌の楽曲を解禁すべきではと思うが……まあ、これは別の話)。

 というわけで、氷川の現在までを見てきたが、この数年でロック/ポップス、それも妖艶、の路線にシフトしたのは、彼のキャリア上、大きいことに間違いない。ただ、以前からの動きを見ていると、そうした気配もなくはなかった。おそらく、ずっと解き放たれたかったのだと思う。

 そして……氷川の声は最初から伸びやかな印象があったのだが、それは自分がインタビューをした時の「アクのような強さとか押しつけがましいところが一切ない」というパーソナリティと一致している。

 で、このことは、演歌以外の多ジャンルの歌も唄えていたのと関係していると思う。なんでも唄えてしまうスキルと、それを聴く側に嫌みに感じさせない柔らかさ、優しさ。だからこそ彼は演歌を唄いながらもロックやポップス、そしてアニソンにも適応できるスタイルが築けていたのではないか。

 これを器用と言うのは、表現が平易にすぎる。とにもかくにも、氷川という歌手には並々ならぬ対応力があったということだ。で、逆に言えば、それが唄い手としての居場所を模索させていたのかな、とも考える。

 それからもうひとつ思うのは、氷川が標榜するロック路線は、どこか90年代の匂いがするという点。ファンからも指摘されているが、そこはやはり彼自身がその時代に多感な時期を過ごしたことがあるはずだ。

 ここまでの文中で2度も言及したT.M.Revolution、プロデューサーとして関わったことのある河村隆一。さらにセクシーなシンガーという点では及川光博もイメージが重なる。これからもわかる通り、氷川のロック路線は、歌謡ロックだ。同じ90年代でもオルタナとかパンクではない。あくまで昭和後期の歌謡曲から、J-POPの時代なら2000年代突入期くらいまで。プラス、そんな彼について「ヴィジュアル系みたい」という意見が聞こえるのも理解できる。V系の歌やメロディには、歌謡曲の影響を受けたものも多いからだ。

 この路線転換についてはさまざまな意見や見方が飛び交っているようだが、氷川自身はとても自由で、楽しそうだ。ファンを置いてけぼりにしているという声もあるかもしれないが、いまや彼の支持層の多くは、演歌や歌謡曲ばかりに浸ったというより、むしろロックやポップスが当たり前だった世代のはず。今の音楽好きは、そのくらい上の層にまで伸びている。そうしてみると演歌一辺倒からの離脱は、むしろ英断だとも思う。

 氷川が今夏に行った20周年記念のコンサートは、かなりの盛り上がりだったようだ。

 

 これから年末年始にかけて、氷川のTV出演は多いことだろう。その時はあらためて「昔は穏やかでさわやかだった好青年が、今はこうして自分を解き放てたんだなー」と思いながら、見たいと思う。

(文=青木優)

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