「血縁より、とりあえず環境を選ぶべき」という『はじめまして、愛しています。』の至極まっとうな選択

「血縁より、とりあえず環境を選ぶべき」という『はじめまして、愛しています。』の至極まっとうな選択

テレビ朝日系『はじめまして、愛しています。』番組サイトより

 遊川和彦脚本のテレビ朝日系ドラマ『はじめまして、愛しています。』最終話。視聴率は11.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、自己最高でした。『家売るオンナ』(日本テレビ系)もそうでしたけど、最終回がもっとも視聴率が高いと「いいドラマだった」っぽい感じがして気持ちいいですね。

 というわけで、今回も振り返りです。

 ある日、突然現れた見知らぬ子ども(横山歩)に運命を感じた信ちゃん(江口洋介)と美奈ちゃん(尾野真千子)の梅田夫妻。その子が、汚ったないアパートでクサリにつながれるなど、ひどい虐待を受けていたことを知り、その子を「ハジメ」と名付け、特別養子縁組制度を用いて本当の家族になることを決意しました。

 周囲からは「まだ実子だってつくれる年齢なのに」と訝しがられますが、なぜだか夫婦(特に信ちゃん)の決心は固く、実の親が現れてハジメが引き取られていっても「取り上げられたけど、取り返す!」「奇跡を起こす!」と言い張ります。信ちゃんの熱気にほだされた美奈ちゃんなんて、実の家族の家に不法侵入してハジメを誘拐しようとするほどの狂いっぷりでした。

 なぜ夫婦はそこまで、ハジメにこだわるのか。実子をつくるんじゃダメなのか。ほかの子を養子にするんじゃイヤなのか。そのへんは終始、まったく語られません。とにかく「ハジメがほしいんだ!」の一点張り。狂おしいほどのハジメ推し。このドラマを見ながら、第1話から抱き続けてきた違和感は全然払拭されないまま、溝の飛んだレコードのように「愛しています」というキラーワードだけが乱打されつつ最終話に突入です。

 法律的にも児童相談所の見解でも、ハジメは実の母親である黒川泉(志田未来)と、その母・月子(富田靖子)の家で育てられるべきという判断を受けています。そんな結論も、信ちゃん美奈ちゃんにはどこ吹く風。わだかまりの残っていた自分らの親たちと和解しつつ、着々と受け入れ態勢を整えていきます。

 一方、実の親である黒川の家は、いまいちハジメがちゃんと育っていきそうな環境が整っていません。経済的な不安こそないものの、実母・泉はハジメと一切口をきかない状態。それどころか、「もう死ぬ」と言って海に入っていったりします。

 泉の入水自殺を止めたのは、美奈ちゃんでした。自らのお母さんを同じ入水自殺で失っている美奈ちゃんは、泉と向き合って話を聞くことにしました。

 ここで、ハジメの出生が明らかに。

 ハジメは、泉が実父に犯されてできた子でした。泉もまた、虐待の被害者だったのです。妊娠を知った泉は家を飛び出し、堕胎しようとしてもお金がなくて、仕方なく公園で産んで、捨てようとしても捨てられなくて、それでもどんどん実父に似てくるハジメの存在に耐え切れず、クサリにつないだのでした。

 この作品で繰り返し語られてきたことがあります。

「児童福祉や特別養子縁組の制度は、子どもの幸せのためにあるもの」
「親や大人たちの思惑は一切関係なく、子どもの幸せが最優先されるべきもの」

 この児童福祉の理念を、とことん突き詰めたのがこの最終話でした。

 望まれない命だってある。

 ハジメは、存在するだけで泉というひとりの人間を傷つける。そういう命です。

 そういう命が存在してしまったとき、その子にとっての「奇跡」とはなんだろうか。

 理由もなく、全面的に受け入れてくれる「本当の家族」が現れてくれること。すべての事情を諒解した上で、それでも心の底から、狂おしいほどに「愛しています」と言ってくれる親御さんが出現し、育ててくれること。

 その奇跡の存在が、梅田夫婦でした。信ちゃんと美奈ちゃんが奇跡を起こしたのではなく、ハジメにとって信ちゃんと美奈ちゃんに出会ったことが奇跡だったのです。

 夫婦が頑なに養子を取ると言い続け、実子をつくることを頑なに避け続けたのはなぜか。このドラマの違和感はなんのためにあったのか。

 そういうわけのわからない、気味が悪いほどに理由もなく「ハジメ」を愛する夫婦がいれば、ひとつの望まれない命が幸せになれるからでした。つまりは、ハジメの側から見たファンタジーだったんですね。「こういう人がいたらいいな」「こういう夫婦さえいてくれたら、どんな望まれない命だって生きていけるのにな」という幻想、嘘っぱち、虚像、それを具現化したのが、信ちゃんと美奈ちゃんだったわけです。

 というわけで、ハジメは正式に梅田家に特別養子縁組で引き取られ、泉は戸籍上でもハジメの親ではなくなりました。

 厳しい視点だと思うんですよね。やっぱりどっかで、血のつながりに対する固執というか「なんだかんだ、それでも実の親と生活したほうがいいんじゃない?」という保守的な概念が、少なくとも今こうしてレビューを書いている私にはあったのだけれど、それを真っ向から否定する展開だったんです。ハジメと泉を対峙させることは、結局一度もなかった。

 今後、ハジメが思春期を迎えて「自分はどこから来たのか」「なぜ自分は存在しているのか」といった普遍的な悩みにブチ当たることがあるかもしれません。「なんで自分を、本当の親から引き剥がしたのか」と、信ちゃんと美奈ちゃんを糾弾する日が来るかもしれない。こんなに愛してあげたのに、ハジメは無遠慮に金属バットを振りあげているかもしれないし、理不尽に自分の手首にカッターナイフをあてがっているかもしれない。

 それでも、周りの大人たちがみんな「あのとき、最善の判断をしたんだよ」「みんながハジメのことを最優先に考えた結果なんだよ」と一点の曇りもなく言えたら、ナンボかマシな気がするんですよね。産まれてこなかったほうがよかった命が産まれてしまったことは変えられないけれど、その子の人生をナンボかマシにすることはできるかもしれない。

 きっと遊川をはじめとする制作陣は取材を通して、こういう親に望まれない子どもの存在をたくさん知ったんだと思うんです。ドラマで奇跡を起こして最大限に手を差し伸べても、「ナンボかマシ」程度にしか回復させてやれないんだろうなと、そういう「愛情が成し遂げられる限界」みたいなものに真摯に向き合った作品だったと思います。

 あとはもう、ハジメ自身が戦っていくしかないんですよねえ。たとえば映画『クリード』で、アポロの婚外子として産まれ、アポロの未亡人に育てられた主人公・アドニスは「自分の存在はミステイクじゃないんだ」と証明するためにボクシングをしていました。そういう、自分の存在を証明する何かに出会えれば、きっとハジメにも「ナンボかマシ」以上の人生が訪れるに違いありません。それはたぶん、ハジメにとってはピアノなのかもしれませんね。なんだか、希望が残されている感じがするね。最後の最後まで展開が読めなくてヒヤヒヤしたけど、とってもいいドラマだったと思います。はい。今回はそんな感じで。
(文=どらまっ子AKIちゃん)

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