高樹沙耶、石垣島での自然生活に見る“バブルを忘れられない女”の顔

高樹沙耶、石垣島での自然生活に見る“バブルを忘れられない女”の顔

高樹沙耶、石垣島での自然生活に見る“バブルを忘れられない女”の顔の画像

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の芸能人>
「私の愛人たちです、ウソです」高樹沙耶
『爆報!THEフライデー』(TBS系、10月7日)

 外見、仕事、ライフスタイルなど、目に見える部分を以前とは別のものにすると、たいてい「あの人は変わった」と表現される。しかし、だからといって、人間の根本は変わったとは言えないと、私は思っている。

 人気女優となり、離婚を機に芸能界を引退。フリータイビングを始め、2002年の同W杯で銀メダルを獲得し、コーチを務めていた男性と婚約したが、それを解消して芸能界に復帰。その後は、千葉県の南房総でエコロジーな生活を送っていたものの、最近では石垣島に移住し、大麻の合法化を訴えている高樹沙耶も、そんなケースの1つではないだろうか。

 『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)で、高樹の人生をまとめたVTRを見たことがある。10代で芸能人を目指して上京した高樹は、映画『沙耶のいる透視図』で主演デビュー。この映画はフルヌードになることが条件であったが、高樹にとって、それはチャンスを意味した。以降、高樹は順調に女優としてのキャリアを重ねていく。

 裕福とはいえない環境で育ったこともあり、高樹はお金持ちの男性に興味があった。港区の高級マンションに住み、毎日お金持ちの男性と飲み歩く。彼らは皆、妻帯者だったが、高樹に結婚願望がなかったこともあって、むしろ好都合と思っていた。しかし、遊んでいる時は楽しかったものの、家に帰ると、淋しくて虚しくて仕方がなかったそうだ。ブランド物に身を固めた豊かさより、千葉の自然に囲まれて暮らす今の方が幸せと高樹は語っていた。

 資本主義の中で贅を極めた人が、自然に回帰するという例は多々あるので、高樹もその1人なのだろう。が、私が気になったのは、高樹の「人を使うクセ」である。

 房総で自給自足の生活をしている高樹は、『金スマ』取材班にピザを振る舞う。料理に使う野菜を採りに行ったとき、高樹は隣の畑のおじさんに野菜を採ってもらっていた。また、ピザ生地は自分でこねていたが、釜の火加減を見る人、ピザの焼け具合を見る人は男性で、ピザを焼いている間、高樹はテラスでヨガをしていた。

 つまり、自給自足と言いながら、高樹はほとんどの仕事を人任せにしていたのである。「自然と暮らす」とは、便利を手放し、面倒なことを受け入れるということ。しかし、高樹は便利を手放さない。なぜなら、高樹の代わりに不便を引き受けてくれる人がいるからだ。

 さらに、高樹は千葉の自宅の隣にカフェをオープンさせることになり、屋根のわら積みと土塗りをしたい“ボランティア”を募って、話題となった。無償の労働が許されるのは、社会や公共の福祉に貢献するからであり、なぜ高樹個人の経済活動のためにタダ働きしなければいけないのか理解に苦しむが、これもまた「面倒なことは他人がやってくれる」という姿勢の表れなのではないだろうか。

 現在の高樹は、大麻合法化を訴えたことで、麻薬推進論者であるとみなされ、芸能活動を休止せざる得なくなり、石垣島に暮らしているという。10月7日放送の『爆報!THEフライデー』(TBS系)は、そんな彼女の現在を特集していた。「女性自身」(光文社)で、妻子ある男性との事実婚が報じられたこともある高樹だが、実際は20〜 60代の4人の男性と共同生活をしているそうだ。女性1人に男性4人の生活というと、恋愛関係なのではないかとみられることが多々あるそうで、それを逆手にとって、高樹は彼らを「私の愛人たちです、ウソです」と紹介した。

 彼らの関係がどんなものであってもどうでもいいが、高樹が石垣に1,500坪の土地を購入し、ナタでジャングルを切り拓くうち、建築関係の仕事をしていた同居人や高樹の考えに共鳴する仲間が集い出したという。そして、彼らの知識と力を借り、自分たちの力で宿泊施設を作り上げたそうだ(宿泊施設の収益が、高樹らの生活費になっている)。

 高樹の信奉者ともいえる“仲間”の写真が映し出され、そのほとんどは男性だった。彼らに賃金が払われたかについては言及されていなかったが、賃金の発生する関係を“仲間”とは言わないので、無償なのではないかと私は勝手に推測している。

 何が言いたいかというと、高樹は男性を使うのがうまいということだ。バブルの頃、若い女性はそれだけで価値があり、見返りもないのに、タクシー代わりに家まで送り届けたり、食事をごちそうする男性がいたといわれているが、高樹が房総や石垣でやっていることも同じではないだろうか。高樹のバブルは終わっていないのである。

 人が“変わった”かどうかは見ためや主義よりも、どうやって成し遂げるか、つまり“行動”でしか量れないと私は思うのだが。


仁科友里(にしな・ゆり)

※画像は高樹沙耶Twitterより

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