80年代実力派アイドル 伊藤智恵理さんは“美魔女”社長夫人

80年代実力派アイドル 伊藤智恵理さんは“美魔女”社長夫人

伊藤智恵理さん(C)日刊ゲンダイ

同期は森高千里、酒井法子、立花理佐……。1987年にデビューし、ビジュアルだけではなく歌唱力の高さも評価された実力派アイドルがいた。本日登場の伊藤智恵理さんである。さて、今どうしているのか?

 銀座のシティーホテルラウンジ。ロビーで待っているとスレンダーな美女が現れた。伊藤さんだ。

 オーラは半端なく、乗ってきたエレベーターの扉が開くとすぐに分かった。

「あら、ホント? お世辞でもうれしいわ」

 早速、カフェにて近況を。

「3年前の2015年3月、横浜でイタリア産のワインやチーズ、生ハムなどを輸入・販売する商社兼ショップ『イル・カーリチェ』と飲食店2店舗、六本木で姉妹店を経営する主人と入籍し、その年の5月に挙式しました。私は初婚で、主人はバツイチです」

 伊藤さん、社長夫人になっていた。

「出会いは10年ほど前。麻布十番のライブレストランでゲスト歌手としてステージに立った日のお客さんでした。店長に紹介され、『凄くダンディーで、こまやかな気遣いのできる方だな』というのが第一印象。はい、私の一目惚れです。フフフ」

 ご主人は、伊藤さんのアイドル時代を知らなかったという。

「デビューした16歳のころ、主人は大学を卒業して社会人2年目。バブル景気で忙し過ぎて、歌謡番組だけでなく、バラエティーやドラマも見れなかったんですって。でも、逆に、それが色眼鏡をかけずに“素”の私と交際することになり、結果としてよかったみたい」

 その日から約7年の“長い春”。絆を強くするには十分だった。

 ところで芸能活動は?

「ファッション誌をメインに、フリーランスでモデルをしています。主人は専業主婦を求めないので、束縛されることもなく助かってますね」

 結婚した年の9月には、光文社の女性誌「美ST(ビスト)」主催の第6回国民的美魔女コンテストに出場。応募総数1600人の中から18人のファイナリストに選ばれ、今もTEAM美魔女のメンバーだ。

「雑誌やメディアへの出演だけでなく、企業とのコラボ、社会貢献活動も行っています」

■母親の死をきっかけに活動を休止

 さて、71年4月1日、東京・世田谷で生まれた伊藤さんは、幼いころからアイドル歌手に憧れ、父親の知人の紹介で中堅芸能事務所に所属した。

 デビューは87年2月。人気ドラマ「あぶない刑事」(日本テレビ系)第20話「奪還」でのゲスト出演だった。次いで同年5月からスタートした石坂啓原作のドラマ「キスより簡単」(フジテレビ系)に、国生さゆり演じる主人公の姉役に抜擢され、同時に挿入歌「パラダイス・ウォーカー」(CBSソニー)で歌手デビュー。アイドルの道を歩み始めた。

「オーディション当日は、この役をもらえなかったら二度とアイドルになれない、って自分自身を追い込んでました。気分はコミック『巨人の星』で花形満や左門豊作と対決する星飛雄馬。目には赤い炎が燃え盛ってたんじゃないかしら。フフフ」

 歌唱力は同期デビューの中でもピカイチ。それで、昼ドラ「母さんと呼びたい」(TBS系)の主題歌になった「トキメキがいたくて」、ハウスのフルーツインゼリーのCMソングに使用された「夢かもしれない」など、トータルでシングル14曲、アルバム6枚をリリースした。

 その一方で、コント番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」、深夜バラエティー「オールナイトフジ」の司会などに出演。また、時代劇のオファーもあり、タレント、女優として活躍した。

 だが、00年に事務所を辞め、いったん活動を休止……。

「きっかけは最愛の母の死でした。父が火宅の人だったので、デビュー前から母が心の支え。それだけに喪失感が大きかったですね」

 その後、徐々にフリーランスで活動再開。そんな折に出会ったのが、ご主人だった。

「今、一番大切にしてるのは、主人を支えること。会社が発展することもさることながら、いつまでも健康で、元気でいてくれたら、それで十分です」

 横浜市内に、ご主人と2人暮らしだ。

(取材・文 高鍬真之)

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