元「ザブングル」松尾陽介さんは実業家転身後も順風満帆 いま明かすコンビ解散・引退の真相【あの人は今】
2023年11月20日 09時26分日刊ゲンダイDIGITAL
(元お笑いコンビ「ザブングル」の松尾陽介さん(C)日刊ゲンダイ)
【あの人は今こうしている】
松尾陽介さん
(元お笑いコンビ「ザブングル」/46歳)
◇ ◇ ◇
「カッチカチやで!」「悔しいです!」などのギャグで人気を得たお笑いコンビ「ザブングル」。ツッコミ担当の松尾さんはバラエティー番組「アメトーーク!」(テレビ朝日系)に「運動神経悪い芸人」として出演し笑わせてくれた。コンビは2年前に解散。松尾さんは実業家に転身して話題になったが、今、どうしているのか。
「東京と沖縄を行ったり来たりで、8割がた沖縄にいます。この2月に那覇の若狭通りで『OMATSURI bar』という、7席のカウンターバーを始めたんです。ほぼ毎日お店に立っています」
JR池袋駅から徒歩2分の喫茶店で会った松尾さん、まずはこう言った。なぜ沖縄でバーを?
「沖縄は芸人時代からよくお仕事で出かけていて、人脈が広がってきて、沖縄に拠点を持つのもおもしろいかな、と思って。コロナで一時期、観光客が激減しましたけど、落ち着いたらまた増えると思ったので、バーをやったらどうか、と考えました。バーは、コンビ解散直前の1年間、社会勉強のために、東京・目黒で知人のバーの店長をやらせてもらい経験があったんです。僕はお酒の席が大好き。バーは天職じゃないか、と思いますね(笑)」
売り上げは1日約5万円。上々の滑り出しだ。しかし、松尾さん、2年前に引退し「株式会社OMATSURI」を立ち上げたとき、企業のマーケティングや芸人のセカンドキャリア支援をうたっていたのではなかったっけ。
「そっちもやっていますよ。たとえば、僕は絵が得意なので、岩手県久慈市の縫製会社と組んで、地域おこしのために三陸鉄道の時刻表をプリントしたパーカをデザインしたり、YouTubeコンサル企業と組んで、ITに疎い元芸人がいちからプログラミング技術を身に付ける動画を作成し、プログラマー育成会社のPRにしたり。僕自身はパソコンとかまったくできないので、得意な企業家と組み、助けてもらいながらやっています。『何とかなるだろう』と、何の計画もなく芸人をやめたんですけど、今考えたら、そのビジネスパートナーがいなかったら、何もできなかったと思いますね」
■「収入は芸人時代より少し上」
(松尾陽介さん(C)日刊ゲンダイ)
改めて、なぜ解散・引退したのか。
「2019年に闇営業問題で1カ月謹慎し、仕事がゼロになったのがきっかけ。40代に入って、仕事は徐々に減り、復帰して芸人を続けても、この先、テレビで冠番組を持てそうにない。芸を突き詰めて舞台に立ち続ける美学もあります。でも、僕はテレビにバンバン出て楽しくやるのに憧れて芸人になったので、それは違うな、と。ただ、引退したつもりはなかったんですよ。ネタをやる考えはないですけど、テレビに出ない、というつもりではなかったんです」
それで、引退と報じられた後の21年末の「アメトーーク!」特番に出演したわけだ。
「最近は結婚式とかお笑いイベントのMCも依頼があれば受けています。この1月ごろからはラジオ沖縄で『松尾陽介の人間交差点』でもしゃべっています」
あれやこれやで忙しく働き、「収入は芸人時代より少し上」だそうだ。そろそろ結婚か……?
「いや~事業を立ち上げたばかりですから、願望はまったくありませんね。実は、10年以上カノジョもいない(笑)。毎晩、男女の区別なくにぎやかに飲むのが楽しくて、カノジョがほしい、とも感じない。バーを午前3時に閉めた後、6、7時まで飲みに行って、記憶をなくして帰宅する毎日です(笑)」
そんなに飲んで、体は大丈夫?
「年齢的に肝臓の値が気になるので、一昨年、人間ドックを受けたら、γ-GTPの値が基準値の10倍以上の704で(笑)。週1、2日、お酒を抜いたら、去年は140に。ただ、バーを始め、また休肝日はゼロ。芋焼酎が好きで1日1升は普通に飲むのに二日酔いをしないので、つい油断してしまいます」
ご自愛を。
さて、名古屋生まれの松尾さんは、大学在学中の1997年、NSC名古屋校に入学。翌98年、大学を中退し、同期の加藤さんと「ザブングル」を結成し上京。「M-1グランプリ」(ABCテレビ、テレビ朝日系)、「キングオブコント」(TBS系)などで活躍した。
「名古屋で加藤さんに『一緒に東京へ』と声をかけられたとき、加藤さんは個性的だから売れそうだな、と受けました。でも、最高月収でも200万円前後。たいしたことなかったですね」
ピンでは、「アメトーーク!」に「運動神経悪い芸人」として出演。“ガチ王”と呼ばれ大きな笑いをとった。
「わざとできないフリをしてるんだろう、と言われますが、そんな余裕はまったくなかった。初期の頃は『こんなのを撮って何が面白いのか』と思いながら収録に臨み、映像を見て、自分の動きに自分でビックリ。あんな動きをしているとは知らなかったので。小学生のとき、『走り方がおかしい』と笑われてましたが……。そういうのが嫌で、小児ぜんそくを言い訳に、体育の授業はよくずる休みしていたんですよ」
思いがけず“芸”につながって、結果オーライ!?
(取材・文=中野裕子)
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