北村総一朗さん“秘蔵の一枚”は 戒厳令直後のソウル公演初日のスチール写真

北村総一朗さん“秘蔵の一枚”は 戒厳令直後のソウル公演初日のスチール写真

79年10月韓国ソウルで、「劇団昴」公演「海は青く深く」(左=本人と鳳八千代。右の右端が福田恆存先生)/(提供写真)

【私の秘蔵写真】

 北村総一朗さん(俳優・83)

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 1997年、ドラマ「踊る大捜査線」(フジテレビ系)の警察署長役で61歳でブレーク。トボケた演技が注目され、その後はバラエティーでも活躍。だが、原点は新劇のイケメン俳優だった。

 これは今も所属している「劇団昴」での公演です。79年10月、韓国ソウルでやった舞台です。当時44歳。題名は「海は青く深く」という、テレンス・ラティガンの芝居で、僕が主役、隣にいるのは鳳八千代さんという元宝塚歌劇団の女優さん。演じている時は芝居に集中していたけど、それ以外ではみんな、戦々恐々としていたんですよ。

 というのは、初日の前夜、当時の韓国大統領の朴正煕が暗殺されたんです。僕ら劇団員は「ザ・プラザソウル」という暗殺現場の目と鼻の先にあるホテルに宿泊していました。韓国中に戒厳令が敷かれ、街は戦車がゴーッと走って騒然とした雰囲気でした。僕らはホテルに閉じこもって「今にも、こっちに向けて撃ってくるんじゃないか」とウワサしたりしていました。そもそもソウル公演が実現したのは「昴」を率いていた、シェークスピアの翻訳で有名な福田恆存先生が朴正煕と交流があったからでした。

 翌朝、ホテルから公演会場の世宗文化会館に到着すると、自動小銃を持った軍人に迎えられ、ロビーや廊下にも軍人が待機していて……。後にも先にもこんな緊迫した状況で芝居をしたことはありません。僕らは戦争を経験した世代でしょ。戦争って、気がついたら始まっちゃってたっていう要素があるから、危機感がありました。1週間ぐらいの予定を2日で切り上げて帰国。これが初めての外国経験でした。

 二枚目路線だったかって?いやいや、劇団には他に正統派二枚目がいたし、映画俳優なんか劇団の二枚目とは比べものにならないくらいの二枚目ですから。高知から舞台やりたくて上京してきて、東京で現実を思い知らされましたよ。

 最初は文学座の研究生でね。同期には草野大悟や岸田森、樹木希林、小川真由美……みんなテレビや映画で売れていったのに、僕はなかなか芽が出なくてね。ヤキモチを焼いたし、焦りや葛藤もありました。

 文学座の研究生になって2年後の63年、文学座の演出家だった福田先生と俳優の芥川比呂志さんが「劇団雲」をつくったんで僕も「雲」へ。ところが、福田先生が「雲」をやりながら、「にんじんくらぶ」というプロダクションからスターを引っ張ってきて「劇団欅」をつくり、その後「雲」が分裂して「演劇集団円」と「劇団昴」になった。それが76年です。「海は青く深く」は「昴」の旗揚げ公演ではないけど、「円」に行かなかった「雲」と「欅」のメンバーが一緒になって、みんなでつくった「昴」の最初の芝居でもあるんです。「雲」の分裂の時、僕は「円」に行くか「昴」にするかで人生の岐路に立たされました。劇団の分裂は芥川さんや福田先生ら“雲の上の人”がやっているだけで、僕はノンポリだし、よくわからなくて悩みました。

 結局、「昴」を選んだのは「昴」には「三百人劇場」というすてきな小屋があるから、芝居ができるだろうということ、敬愛する俳優・小池朝雄さんが「昴」を選んだからという理由です。小池さんは「刑事コロンボ」のコロンボの吹き替えで知られていますけど、本当にすてきな、観客に想像力を与えるような芝居をする人だったんです。

 この写真を見ると劇団が分裂した当時を思い出します。“雲の上の人”だった福田先生に「北村君の芝居は盆と正月が一緒に来たみたいだね」と言われたこと、「円」に行った高橋昌也さんと後年、TBSの緑山スタジオで偶然、再会し、思わず抱きついたら「よかったね、売れて」と言ってくれたこと……。

「円」と「昴」で分かれた俳優にわだかまりはないんです。時が流れて一緒にやってきたたくさんの人たちが亡くなりましたが、「人はみんな死ぬんだな」と、当たり前のことだけど、しみじみと思ってしまいますね。

 (聞き手=中野裕子)

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