大平サブロー 闇営業騒動一喝発言の背後に“25年前の密約”

大平サブロー 闇営業騒動一喝発言の背後に“25年前の密約”

太平サブロー・シロー(C)日刊ゲンダイ

【実録 芸能人はこうして干される】#4

 吉本興業の初代社長、林正之助は、かつて「芸人やウジ虫みたいな社員に金を払うぐらいなら、ドブに捨てたほうがマシ」「今の芸人には昔みたいに芸のある者はおらん。ヤツらを人間なんて思うたらいかんのです。あれは人間やなくて商品なんや」と述べたことがある。

 そうした体質がその後の吉本にも受け継がれたのは、宮迫博之らの闇営業問題でも明らかになったばかり。

 ジャニーズ事務所と同様、独占的な業界支配力を持つのが吉本である。吉本を辞めた芸人はどうなるのか。典型的なのが漫才コンビの太平サブロー・シロー(当時)のケースだ。

 サブロー・シローは1980年代の漫才ブームに乗って人気漫才コンビとしての地位を確立したが、88年、突如、吉本から独立した。

 記者会見でサブロー(写真右)は、こう述べた。

「芸人はナマモノで、電気製品じゃない。これまでは線路の上を自分たちの意思ではなく、無理やり走らされている感じでした。これからは、やりたい仕事を選んでやっていきたい。夢を追うのが芸人の仕事です」

 吉本に対する不満は2年前からあった。当時、明石家さんまや島田紳助ら、関西から東京に拠点を移し勝負を懸ける吉本芸人が増えていた。ところが、吉本は「おまえらは大阪に残って漫才のともしびを守れ」と命じ、サブロー・シローは反発していた。

 退社後、サブロー・シローは次々と番組から降板となり、吉本の圧力が噂された。中間搾取がない分、ギャラの取り分は増えたが、徐々にサブロー・シロー排除の動きが強まった。

 結局、吉本が支配する大阪を諦め、89年に東京に事務所を設立。だが、92年、吉本の東京事務所が東京支社に格上げされ、本格的な東京進出が始まった。次第に東京でも吉本の手が回るようになった。

 仕事が行き詰まったことでサブロー・シローは不仲になり、92年にコンビを解消。そして、93年、サブローが全面降伏し吉本に復帰した。

 吉本はサブローに対し、復帰の条件として「吉本内で独立をする動きのあるタレントがいれば、その説得役を引き受ける」「今後、吉本への不満を一切口にせず、独立という思想を持たない」「2週間以内に吉本の会長だった故・林正之助の墓参りに行く」など7カ条を突きつけたといわれる。

 サブローは、宮迫らの騒動をきっかけに吉本への不満を爆発させた若手らに対して「気にいらんかったら辞めろ」と一喝し、話題となったが、実は四半世紀以上前に吉本と交わした約束を律義に守っていたのである。 =つづく

(星野陽平/ジャーナリスト)

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