「ゴールデン街は世界遺産」ドリアン助川さんが見た人生模様

「ゴールデン街は世界遺産」ドリアン助川さんが見た人生模様

今も週に1回はゴールデン街で飲んでいる(C)日刊ゲンダイ

コラム【今だから語れる涙と笑いの酒人生】

 酒を飲み始めたのは10代。愛知県で有数の進学校に通っていて、二日酔いで定期試験を受けたことがありました。それが先生に見つかったのは一緒に飲んだ友だちが教室の窓からゲェーゲェー吐いたからです。

 先生が「おまえ! 飲んだな? 何を飲んだ?」とスゴイけんまくで怒鳴り始めて、仕方なく「ビールとウイスキーです」と正直に答えたら、「チャンポンはやめとけ!」って(笑い)。そしてある日、国語の先生が「おまえら、東京に行ったらここで飲め!」と言って黒板に書いてくれたのが「新宿ゴールデン街」。

 大学は東京です。忘れもしない82年春。ゴールデン街がどこにあるのかわからなくて、新宿三丁目の交番で聞いてやっと見つけました。その頃はぼったくりバーがいっぱいあったし、路地に椅子を出して店の外で飲んでいる客もいっぱい。学生になったばかりでまだ19歳、友だちと2人だったけど、最初は怖くてどの店にも入れなかった。近所の本屋の店主に「ゴールデン街で飲みたいのだけど、お店を紹介してくれないか」と聞いてやっと初めて入ったのが「安愚楽」という店。

 ところが、ドアを開けるとだれもいない。友だちと2人でとりあえず中に入って、並んでいるボトルや店内をジロジロ見ながら、「ここで飲むなら、大人に負けないように理論武装しなきゃダメだよな」なんて言い合いました。で、店主が帰ってきて、「なんだ! おまえら!」と怒鳴られて。でも、その当時はそこしか知らないから、その後もずっと通いました。

 しばらくして「NANA」という店に入り浸りました。日本に初めてできたフラメンコ酒場です。今では老舗で、ダンサーが来日すると必ず寄る店になっています。亡くなった当時のママが可愛がってくれてアルバイトもした。それからが本格的なゴールデン街、酒人生の始まりかな。

 当時、長崎出身のばあちゃんがやっていた「ばってん」という店がありました。ばあちゃん、なぜかカウンターで女体盛りのように寝ているの。おかしいでしょ? そしたらばあちゃん、「触っていいよ」って(笑い)。「いや、いいっすよ」ってマジメに答えたら、「そんなこと言わずに、女体だぞ! 触れ!」って僕の手を取って胸を触らせようとして(笑い)。

 それから生活が苦しい時によく行ったのが「久美’sバー」。ママは引退して新宿にはいないんだけど、よく飲ませてくれた。毎日通った時期もありました。そこに住んでいるみたいでした。

■「マンハッタンでもゴールデン街が恋しくなるんです」

 ゴールデン街では本当にいろんな人との出会いと別れがあった。自殺した人もいたね。その人生模様を「ブロードウェーミュージカル 新宿ゴールデン街」にしてみたいと思っています。

 2000年から3年間はニューヨークにいました。人生相談で人気があった時期です。ただ、その印象が強すぎてしまってニューヨークでリセットしたくなった。ところが、マンハッタンでもゴールデン街が恋しくなるんです。結局、小さな店が並んでいるような場所に行って、ゴールデン街と同じような店を渡り歩いていました。

 ある晩、若いバーテンダーに「なぜニューヨークに来たの?」と聞かれました。「疲れ果てて人の悩みなんか二度と聞きたくないから」と拙い英語で答えたら、逆に「実は僕は母親のことを愛せないんだけど、どうしたらいいだろうか」なんて相談されてしまいました(笑い)。

 ゴールデン街は世界遺産じゃないかと思う。70年前に戦争で何もかも焼けてしまい、バラックを建てて、最初はいわゆる青線から始まった。それからアーティストや偉人が通うようになって、後から世界中の知能がどんどん集まってきて、みんなでその歴史を継いできたわけだから。あの場所に60階建てのビルを建てることは簡単かもしれないけど、ゴールデン街をもう一度つくることはできない。もちろん今でも週に1回はゴールデン街で飲んでいます。

(ドリアン助川/作家・パーソナリティー)

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