松元ヒロ マルセ太郎さんから学んだ「忖度しない」大切さ

松元ヒロ マルセ太郎さんから学んだ「忖度しない」大切さ

故マルセ太郎さん(右)は一生の恩人/(C)日刊ゲンダイ

 歯に衣着せぬ辛口漫談で政治や社会問題をバッサバッサと斬りまくるコメディアンでパントマイマーの松元ヒロさん(64)。恩人は往年のボードビリアン・マルセ太郎さん(享年67)だ。

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「どうだ、仕事あるか?」

 マルセさんに電話をすると、必ず第一声がこれでした。「はい、おかげさまで」と返すと「そうか、よかったな」。社交辞令じゃなく、親身になって心配してくれていることが携帯電話の向こうからひしひしと伝わってきたものです。

 初めてお会いしたのは35年ほど前。都内のキャバレーでした。僕は「笑パーティー」というコミックバンドのメンバーで、マルセさんはピン芸人。「猿以上に猿に似てる」と言われた形態模写で、笑いを取るために戦っていました。

 その後、マルセさんがブレークするきっかけとなった映画再現芸「スクリーンのない映画館」の評判を耳にし、渋谷にあった劇場ジァン・ジァンへ見に行き驚きました。一本の映画をひとりで語り尽くし、演じ切る姿にすごく感動したのです。

 それを伝えたくて楽屋へお邪魔したら、以前のことを覚えてらして、そのまま渋谷のんべい横丁でごちそうになりました。それからですよ、暇さえあればマルセさんの舞台に顔を出し、時に手伝うようになったのは。以来、口にこそ出しませんが、弟子のように可愛がってくれました。

■忖度しないで発言しないと笑いを引き出せない

 1988年、昭和天皇がご病気で世の中は歌舞音曲自粛ムード。それをきっかけに仲間とコントユニット「ザ・ニュースペーパー」を結成したところ、時事ネタをメーンに替え歌やパントマイムを加えた構成がウケて、テレビにも少しずつ出るようになったのです。ただ、どうしてもお客さんに合わせたネタをやるのが納得できなかった。昨日は労組の集まりで革新系だったのに、今日は財界関係で保守だったりと、仕事だからしょうがないとはいえ、忸怩たる思いは募る一方でした。

 それには理由があってマルセさんが常々、「思想のない芸、立場のはっきりしない芸は見たくない」とおっしゃっていたのが胸に強く響いていたからです。そして葛藤の末、「信念をはっきり定め、周囲に忖度しないで発言しないと、観客の心の底からの笑いを引き出せない」と気が付きました。

 それで事務所を辞めて独り立ちすべきか否かを迷っていた98年。マルセさんに相談したら「俺は事務所を変わろうと思ったことはない。マネジャーや事務所が変わっても俺の芸は変わらないんだ」と言われたのです。それを聞いて逆に「それじゃ辞めよう」と決めました。マルセさんのように自分の思いをきちんと伝えたかったからです。

 ひとりになって本当に自由になりました。日本国憲法がいかに大切かをネタにした「憲法くん」をはじめ、80年代、90年代は普通に演じてたのにいつのまにかタブーになった社会問題、今なら森友・加計両学園の疑惑、解散・総選挙……一貫して庶民の視点から権力者を風刺してきました。

 時には“左翼芸人”と呼ばれ、番組のディレクターからは「面白いんだけど使えない」と何度も言われてます。でも、僕はそれでいい。立場が明確だから敵ができてもそれ以上に味方が多い。

 有事法制が国会で議論されている時にこんなこともありました。ある落語家さんとの舞台で「公明党はブレーキ役として与党にいると言いながら実はアクセルを踏んでいる」と話しましたら、創価学会を名乗る青年が楽屋へ談判に来たのです。それで「平和の党、福祉の党と自称しながら現実は違うじゃないか」と事例を挙げ、「君たち若い力で、本来の姿に戻すべき」と諭したところ、納得して帰って行きました。こちらに確固とした信念があれば、喧嘩腰の相手でも話せばわかってくれるもの。それを教えてくれたのがマルセ太郎その人。一生の恩人です。

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