高橋伴明さん 中2の秋に親の目を盗んで観た成人映画の衝撃

高橋伴明さん 中2の秋に親の目を盗んで観た成人映画の衝撃

高橋伴明さん(C)日刊ゲンダイ

【私の人生を変えた一本の映画】

 映画監督の高橋伴明さん(70)は10代の頃、将来は医者になり、安定した暮らしをと思い描いていた。しかし、実際に歩いた人生はまるで違う。きっかけは一本の映画、「にっぽん昆虫記」(今村昌平監督)であった。

 映画は親父が好きで、よく連れて行ってもらいました。14歳、中学2年の秋に僕はひとり、こっそりと映画館の扉を押した。華道家の母がいい顔をしない日活映画の上、成人指定だったからです。

 映画少年というわけじゃなかった。それなりの進学校で僕はハンドボール部に所属。そんな頃、どうして、この「にっぽん昆虫記」に目が留まったのか今となっては定かではないのですけれど、品とか格調とか、理性とか体面などそっちのけの生身の人間、もっと言うと女を見たかったのだと思う。

 大人たちに交じってスクリーンを見上げた。なにより衝撃的だったのが、大人の男も、おっぱいを吸うということ。女の体にしがみつき、胸にむしゃぶりついていた。

 学校は中高一貫になり、高校に上がった僕は先輩の妹と婚約しました。結納を交わし、本気で将来を誓い合った。その彼女の家が町医者だったんです。それを継ごうと思っていたのですが……。

 第1志望の関西の国立大医学部に落ち、滑り込んだのが早稲田の二文。高2の春に49歳で死んだ父が「早稲田に行きたかった」と口にしていたんです。そこで高校の先輩に誘われ入った映研が学生運動のセクト(新左翼)の拠点で、青っぽい正義感から学園闘争の最前線へ。機動隊は捕まえてから殴るんです。やつら、催涙弾を水平に狙って撃つようになり、立ち向かったものの、逮捕。小菅は満員ということで、府中刑務所行きとなり、未決ながら独房に半年間ぶち込まれました。

 大学は一度も講義を聞くこともなく除籍、抹籍に。中退にもならず、学歴は高卒で世の中にはじき出されたのです。

 東京ではじめて転がり込んだ荻窪の4畳半アパートは苦学生ら6人暮らしで皆、金がない。中に日本獣医の学生がいて、牛を解剖したあとの肉をバケツで持ち帰ってきて、それを焼いて皆で頬張ったりしていた。

■撮影現場のアルバイトから22歳で監督に

 時代劇の撮影現場のアルバイトをしたのが、映画の仕事のはじまりです。やがて、ピンク映画に呼ばれる。ものすごいタテ社会で、待遇はさながら丁稚奉公でした。それで先輩が次々に辞めて助監督に。そのときについた監督の家が幼稚園を経営していて、そこの児童の面倒まで、本当に奴隷のようにこき使われた。絶対に使う側になってやると拳を握り、22歳のときに監督になりました。思い描いた人生とかけ離れていくのは分かってはいたけれど、西荻で一人暮らしをはじめたときも、キャベツ一玉を千切りにして、塩をかけて一日をしのぐといったありさまで、立ち止まったりする余裕はなかった。

 それでも、上京から1年後に婚約者が遅れてやって来てくれて、マンションを借りて住みはじめたものだから、ますます稼がなければならない。

 やがて、いくつもの現場から声をかけてもらうようになり、ピンクを量産していくのですが、今度はまあ、都会の絵の具に染まってしまった。新宿のゴールデン街と通りを挟んで「小茶」という店があり、そこをベースに夜ごと飲み歩いた。映画談議だったのが、表へ出ろとなり、殴り殴られ、自分のマンションじゃない部屋で目が覚める。

 酒のボトルは凶器にもなり、命をかけられるのかどうかというような話の揚げ句、頭を殴られたこともある。同じ界隈で飲み歩いていた若松孝二監督で、僕もボトルで殴り返した。同い年の崔洋一には「サイだかカバだか知らねえが」と、こっちから吹っ掛けたらしい。ヤクザにドスで足を刺されたり、歌舞伎町一番街でのケンカで相手が昏倒し、「早く逃げろ」と言われたこともある。

 いつ、どこで道を踏み外したのか。婚約者が去り、荒れ果てた生活の中で自問しても答えなどなかった。

 映画は続け、「光の雨」(2001年)でやり切った気がして廃業宣言したときも、妻から「これからじゃない、自由にやれるのは」と言ってもらい、今に至る。

 僕の映画は「毒」と「薬」だと思っている。うじ虫のように善悪や理性そっちのけで這いずり回る。いまさらながら、今平さんの「昆虫記」での衝撃がボクシングのボディーブローのように効いて、体の奥深くに染みついているのが分かります。

 (聞き手=長昭彦/日刊ゲンダイ)

■にっぽん昆虫記
 1963年11月公開。映倫により、当時「成人映画」の指定を受けた。東北の貧しい農村に生まれ、やがて東京で売春宿の女将となる女と、その母・娘の3代にわたる女たちの昆虫のような生命力に満ちた半生を描いた今村昌平監督の代表作。主演の左幸子は、ベルリン国際映画祭で日本人初の主演女優賞を受賞した。

▽たかはし・ばんめい 1949年、奈良県生まれ。日本自動車整備振興会の父と華道家の母の長男で、弟が1人。「TATTOO<刺青>あり」「BOX〜袴田事件 命とは〜」「赤い玉、」など100本近い作品がある。在宅医療のスペシャリスト長尾和宏医師の著書「痛くない死に方」を同タイトルで映画化した新作が2020年夏に公開予定。妻で女優の高橋惠子との間に長男長女がいて、孫5人がいる。

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