20年続くテツandトモのネタ作りの原動力は生の拍手の快感

20年続くテツandトモのネタ作りの原動力は生の拍手の快感

テツandトモ(C)日刊ゲンダイ

【今週グサッときた名言珍言】

「テツandトモのスタイルはトモが作ってくれた」(テツ/NHK「インタビューここから」11月4日放送)

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 2003年に「なんでだろう〜」で大ブレークしたテツandトモ。その年の流行語大賞にも輝き、「NHK紅白歌合戦」にも出演した。その後はテレビで見る機会は減り、「一発屋」と呼ばれることも多くなった。

 けれど、流行から十数年経った今でも、「営業」の依頼は引く手あまた。髭男爵の山田ルイ53世は自著で彼らについて、「営業という、ともすれば蔑まれがちな仕事に光を当て、メディア仕事に劣らぬエンターテインメントであることを実証した稀有な一発屋」(新潮社「一発屋芸人列伝」18年5月31日発売)と評している。

 そんな“テツトモ”のテツ(49)の言葉を今週は取り上げたい。

 トモ(49)は高校時代、役者に憧れ演劇部に入部した。県大会で優秀賞を取るほど本格的な部活で、毎日のように屋上で厳しい稽古に励んでいた。部長だった高3最後の公演では、役者として出演するだけにとどまらず、脚本・演出、劇中歌の作詞・作曲の全てを担当。さらにピアノ演奏までこなした。

 生の観客から浴びた拍手の快感が忘れられず、俳優を目指して上京。大学で出会ったのが、演歌歌手を志望していたテツだ。だが、最初はそれほど深い付き合いとはならず、それぞれの夢を追っていた。

 転機になったのは27歳の時。同級生の結婚式で共に歌のうまかった2人は、一緒に余興として「サライ」の替え歌を披露した。それをたまたま見ていた現在の事務所のスタッフが、「芸人にならないか」とスカウト。つまり、彼らの“始まり”も余興だったのだ。

 だが、2人とも芸人を目指していたわけではない。コントや漫才をやっても全くうまくいかなかった。だったら「好きな音楽をやろう」(「一発屋芸人列伝=前出)と思い立ち、「なんでだろう〜」を作った。この時、結成からわずか数カ月。だから、テツトモはデビュー以来、20年以上にわたり「なんでだろう〜」をやり続けている。

 けれど、同じ「なんでだろう〜」でもその時々によって違う。営業では、営業先のご当地ネタ、内輪ネタを事前に当事者から徹底取材をして盛り込むことで「その日しかできない」渾身の余興を作り上げる。それがいまだに彼らが営業に呼ばれ続けるゆえんだろう。

 原点は演劇で拍手を浴びた時の快感だ。冒頭の番組で、トモは目の前に客がいないテレビか、目の前に客がいる地方営業が好きかを聞かれ、迷わず後者だと答えた。

「天国か地獄ですからね。お客さんが大笑いするか、全然笑わないか。こんな刺激的な場所ないじゃないですか」

(てれびのスキマ 戸部田誠)

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