川中美幸さんは20歳前に挫折…「船頭小唄」が再起の契機に

川中美幸さんは20歳前に挫折…「船頭小唄」が再起の契機に

歌手の川中美幸さん(C)日刊ゲンダイ

【私の人生を変えた一曲】

 川中美幸さん(森繁久弥「船頭小唄」)

「ふたり酒」「二輪草」のヒット曲を歌う川中美幸さんにとって、二十歳になる前の挫折が、その後の歌手人生を決めた。立ち直れたのは森繁久弥がしみじみと歌った「船頭小唄」だった。

 ◇  ◇  ◇

 昭和48(1973)年に春日はるみの名前でデビューしました。まだ17歳。

 子供の頃から大阪ではのど自慢大会に出てはいつも一等賞をもらっていたので、この世界に入ってもすぐ一等賞になれる、そうしたら苦労して育ててくれた親に家を買ってあげることができる。そう思って、「お母ちゃん、うち建ててあげるから、好きな土地があったら探しといて」と言って上京しました。母は「ありがとう、あてにせんと待っとくわ」と言っていましたけどね。

 でも、一等賞を取っている人が集まっている世界ということがわからなかったんですね。安易にデビューして挫折、2年で大阪に戻ることに。

 地元では歌がうまい女の子と評判で意気揚々と東京に出てきたので、「帰りたくない」と母に言ったら、「あんた何、言うてんの。一流の事務所で一流の会社からレコード出しただけでも大変なことなのに。正々堂々と帰っておいで。歌だけが人生やないで」と言われ、とても気が楽になったのを覚えています。

■「花の咲かない枯れすすき」は今の私だ

 そんなある日、何げなくテレビをつけたら、聞こえてきたのが森繁久弥先生が歌う「船頭小唄」です。野口雨情、中山晋平が作詞・作曲の「船頭小唄」はいろんな方が歌っています。

 森繁先生は「おれは河原の 枯れすすき」と、ゆっくり語りかけるように歌う。最後の「花の咲かない 枯れすすき」なんて、今の私じゃないかと思うと、涙がこぼれて。

 その頃、大阪の毎日放送が「ネオン街音楽祭」というのをやっていて、もう一度チャレンジしたらどうかと言われて応募したんです。

 毎日、ラジオの予選があって650人の中から最終的に11人が残りました。最後は11人で優勝を争うことになって、さて何を歌おうかと考えて思いついたのが「船頭小唄」でした。

 この歌はいろいろな歌い方ができます。森繁先生のように語りかけるような歌い方もあるし、アレンジの仕方次第で歌いあげることもできる。私は「これから船頭として生きていくんだぞ」という感じを歌い上げました。

 もしこの曲で優勝していなかったら、川中美幸としての再デビューはありませんでした。今も「船頭小唄」を聴くと挫折して大阪に戻り、この歌で助けられた自分がいると思います。

■母のすすり泣く声で手ごたえが

 そして、今と同じテイチクで再デビューしたのが77年、21歳の時。10代の甘さはもうありませんでした。母には「25歳までは頑張る」と言って再び上京。そして「この歌が最後で帰る」と言って出したのが24歳の時の「ふたり酒」です。再デビュー4枚目のシングルでした。

 作詞・作曲は、たかたかし先生と弦哲也先生。最初は出だしの「生きてゆくのが つらい日は」というのがピンとこなくて乗れなかったんですね。母に電話して「この歌、売れそうにないから帰る」と言ったら、聴かせてくれというので、電話口で聴かせたら、泣くんです。それで「これは私の等身大の歌じゃなくて、私の両親のことなんだ。苦労して育ててくれた両親の代弁者として歌えばいい」と気がつきました。手ごたえをつかんだのはすすり泣く母の声でした。

 母は苦労しましたからね。両親は米子で生まれた、元大衆演劇俳優でした。一家で大阪に移って父が事故で体が不自由になってからは、母が朝から晩まで給食センターで働き、兄と私の4人の一家を支えてくれた。87年に東京に両親を呼び寄せたけど、店を持つのが夢だった母は3年前に亡くなるまで、渋谷でずっとお好み焼きの店をやっていました。

 生前、森繁先生とは何度もご一緒しました。私の15周年、結婚した年の舞台に先生の舞台のスタッフの方がたくさんいらして、「川中は歌手だけど、舞台をやる姿勢もすごい」と言ってくださったようで、先生から「うちの舞台で一度、勉強しないか」とお誘いいただき、帝劇の「赤ひげ診療譚」の舞台に出させていただきました。その時に先生の「船頭小唄」を歌ったことで私の今があるとお話ししました。先生はすごく喜んで手を握ってくださって。

  81年に「ふたり酒」で紅白初出場(通算24回出場)。98年「二輪草」がミリオンセラーを記録した。歌手人生で大きな影響を受けたのは美空ひばりだ。母親が大好きで、小学校3年の時に梅田コマ劇場にひばりの公演に連れていってくれた。

 自分も見たいし、娘にも一度見せたいと思ったんでしょうね。高い席は無理なので、3階の安い席で双眼鏡で見ました。

 ひばりさんとは27歳の時に歌番組で初めてお会いしました。「初めての気がしないわね」とおっしゃって。ほっぺにキスもしてくれた。「ふたり酒」もすぐカバーして歌ってくださったので、認めてもらえたのかな。

 デビュー10周年の時はひばりさんの代役もやらせていただきました。大阪と名古屋で座長公演をやって、いずれは東京でと思っていたらひばりさんがご病気で九州で入院なさって東京の公演ができないと。「私でいいの?」と思いましたが、ひばりさんからはお花をいただき、11万人動員と新聞が大きく取り上げてくれた。母もとても喜んでくれました。親孝行ができたと思います。

(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)

関連記事(外部サイト)