麻雀は常に「情報処理」の能力が求められている【阿佐田哲也 ギャンブルの哲学】

麻雀は常に「情報処理」の能力が求められている【阿佐田哲也 ギャンブルの哲学】

阿佐田哲也氏(C)日刊ゲンダイ

【阿佐田哲也 ギャンブルの哲学】#5

 阿佐田哲也さんの著書「麻雀の推理」(双葉社刊)の中に、こんな言葉が出てくる。

 麻雀は性格が、端的に反映してくるゲームである……ドキリとさせられる言葉だ。配牌、ツモ牌は天運で、雀卓に座る人には平等に運が回ってくる。勝敗の分岐点は、その他の部分にあると考えなくてはならない。

 阿佐田さんは勝負に合わない性格をこう指摘している。

 @短気な人
 A気の小さい人
 B常識一本やりの人
 Cひとつの考えにとらわれすぎる人

 確かに麻雀の実戦では、辛抱できない打ち手や、すぐオリてしまう打ち手は勝てない。この箴言、麻雀の枠を超えて、ビジネスの世界にも通用しそうだ。フレキシビリティーこそ、ビジネスマンに必要なのでは。

 さて、自分の性格といっても、これを確かめる機会はそうあるものではない。麻雀牌を握ってみると、自らの長所や欠点が、実戦を通して、いろいろと認識されてくる。失敗の少ない、慎重な性格だと思っていた人が、冒険できない臆病な人間だと自覚できたら、それも収穫といえそうだ。

 さて、日刊ゲンダイの連載も進んできたので、自己紹介の気持ちで、私自身の牌譜を紹介しよう。

 第15期麻雀名人戦(週刊大衆主催)に、打ち手として出場した時の譜である。牌活字を使って読む麻雀が定着したのは、この名人戦の人気が大きかった。このような企画が世に問えたのも、阿佐田さんというリーダーがいたからである。

 私が和了した局面だが、配牌三向聴でドラ「四索」が2枚。七対子を狙っても三向聴で、かなり恵まれた牌姿。しかし、チャンス手は確実にあがりたい。そうしないとツキが落ちるからで、緊張する場面だった。

 第1打「一筒」の後、ツモった「四萬」を大切に残す。万子で一面子を作りたいからだ。ところが、「三萬」あたりを引いての順子になってくれず、双牌待ちの愚形になった。これでも聴牌である。

 黙牌で、3巡ほど回す。摸打10巡目に「九索」を引いて、私の手が止まった。ここが、この局面のヤマだった。「九索」は初牌。普通なら、もっと早く河に捨てられる牌だ。オタ風の「西」をポン、副露した南家が気になる。

 荘家の私としては、あがれなくても他家をオロして、連荘したいところだ。後からわかったことだが、私が「九索」をツモ切りしてたら南家がポン、混老頭の大物手が進行するという、恐ろしいことになった。

 黙牌でも親満。自分の手に惚れてしまいそうだが、この「九索」が止まった。暗刻の「三筒」を一枚切り、手牌を七対子に変えてリーチ。河に見える「六索」を頼りに、南家が手牌から「九索」を切り出して、私の栄和という結末だった。

 こうして牌譜を読み返すと、麻雀には情報処理の能力が求められるとわかる。いつもうまくいくわけではないが、作戦勝ちといえる私の牌譜である。

(板坂康弘/作家)

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