元サザン大森隆志が明かす シャイな桑田に代わり僕がコンテストでMC【ロフト創業者が見たライブハウス50年】

元サザン大森隆志が明かす シャイな桑田に代わり僕がコンテストでMC【ロフト創業者が見たライブハウス50年】

大森隆志さん(提供写真)

【ロフト創業者が見たライブハウス50年】#12

 下北沢ロフトや荻窪ロフトで数人の観客の前で演奏していたサザンオールスターズは、瞬く間に国民的人気バンドに成長した。シモキタ・ロフトのバイトにしてサザンのギタリストだったター坊(大森隆志=2001年に脱退)へのインタビューは続く――。

  ◇  ◇  ◇

平野「ナベプロ時代にキャンディーズらを育てた大里洋吉さんの目に留まり、独立して(1977年に事務所)アミューズの社長となった大里さんは<ロックはこうあるべき>という固定観念にとらわれず、歌謡曲を売り出す手法と同じことをサザンにもやった。あの柔軟な発想は、ロック思想に凝り固まっていたオレたちには無理だった」

大森「大里さんは人気歌番組『ザ・ベストテン』に出演できるように働きかけてくれ、中継先が新宿ロフトだった。あの番組に出た(1978年8月31日)ことが、サザンのターニングポイントになりました。ちなみに反体制のロックが看板のロフトは、『テレビの生中継なんて似つかわしくない』ということで最初は中継を断ったみたい」

平野「それは……記憶にないなぁ〜(笑い)」

大森「でもシモキタ・ロフトでバイトをやっていたター坊がテレビに出るのなら――と悠さんがOKしてくれたって。後になって聞かされました」

平野「ライブハウスならではの熱気や空気感がテレビを通して伝わった」

大森「サザンのルーツはロフト。シモキタ・ロフトは、自分にとって<青春そのもの>ですよ」

平野「桑田さんとの初めての出会いは……」

大森「青学大の某教室をのぞいたら、桑田たちがセッションをやっていたので参加し、それからコンパで飲む機会があって(渋谷の)宮益坂を歩きながら、桑田にちゃんと挨拶したのを覚えています。今までに会ったことのない<面白いヤツ>だったし、<コイツと一緒にバンドをやりたい!>って思いましたね」

平野「1977年にヤマハ主催のコンテスト<East West>に出場した」

大森「メンバーを固定してプロを目指したいと思い、ドラムに(出身地)宮崎で中学時代にバンドを組んでいた松田弘を呼びました。彼は凄くうまくてね。僕と同じ(進学校の)宮崎大宮高に入ったけどドロップアウト。地元のディスコやキャバレーでプレーしながら腕を上げていた」

平野「サザンのメンバーたちは、シモキタ・ロフトによく出入りしていたけど、桑田さんときちんと話した記憶がいまひとつない。彼が店を手伝ってくれていたことは覚えているんだけどね」

大森「桑田はシャイだからね。East Westの最終ブロック大会が渋谷のライブハウス・エピキュラスであり、僕がMCをやったぐらいですからね」

(平野悠/「ロフト」創業者)

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