中森明菜がマッチ宅で自殺未遂…伝説の89年末「金屏風前の謝罪会見」の顛末【芸能記者稼業 血風録】

中森明菜がマッチ宅で自殺未遂…伝説の89年末「金屏風前の謝罪会見」の顛末【芸能記者稼業 血風録】

金屏風の前で謝罪会見を行う中森明菜(右)と近藤真彦(C)日刊ゲンダイ

【芸能記者稼業 血風録】#65

 1989年7月、近藤真彦の自宅マンション浴室で手首を切る自殺未遂を起こした中森明菜。年末には異例の謝罪会見を行った。

 金屏風の前に並ぶ2人。まるで婚約会見のようだったが、「これからはオープンな交際を」と言うだけで、具体的な話はなく終わった。

 会見の舞台裏はさまざまな報道が出回り、記者によっても見解は違うが、会見を機に2人は破局。それぞれの道を歩み出した。

 近藤は後に一般女性と結婚。タレント活動も順調に続けていたが、明菜は対照的にデビュー以来所属していた「研音」を退社。事務所を転々とするなど窮屈な生活を送っていた。

「交際相手の部屋で自殺未遂は、2人の間に何があったにせよ、相手に大きな迷惑をかけたのは紛れもない事実。最終的に明菜は自身の事務所を辞めるしかなくなった」(元芸能プロ幹部)

 自殺未遂の代償で「使うのが怖い」とためらう番組も続出。明菜の仕事は激減していった。一線から消えた明菜を執拗に追うメディアの攻防戦が始まった。

 明菜の出没しそうな店を中心に調べているうちに、入ってきたのがお酒と激辛とカラオケだった。

「お酒が好きでよく飲み歩いていた。辛いものも大好き。マイタバスコを持ち歩いていたほど」という話を夜の街から仕入れた。

 行きつけだった六本木の外れにあったシックなバーに網を張った。当時、明菜は自ら愛車のベンツを運転。路上駐車して来店していることもあったが、簡単には遭遇しない。

 ある夜、明菜と店で居合わせた商社マンから意外な話を聞けた。

「店のママに紹介されて明菜とデュエットしたけど、最初はまさか本物の明菜とは思わなかったけど、本人とわかり大感激でした」

 歌う場のなくなった歌姫。寂しさをお酒とカラオケで紛らわしている現実を垣間見た気がした。

 どんなトップ歌手もマネジメントしてくれる者がいなければ活動はままならない。本来、明菜クラスなら争奪戦になるはずだが、獲得に乗り出す事務所はなかった。芸能プロ幹部はこう話していた。

「卓越した才能を持った子だけにもったいないけど、自殺未遂をしたし、いつスキャンダルを起こすかわからない。それに明菜のわがままは誰もが知っていたし、そう簡単にマネジメントはできない。唯一、できるとしたら恋人にするくらいの気持ちで臨まないと難しい」

 半信半疑に聞いていた話はやがて現実となる。明菜が行きつけだった六本木のバーの黒服・E氏と交際説が浮上。E氏を個人マネジャーとして雇い、マンツーマンで仕事をしていた時期がある。

 最初は明菜の実績と人気で順調だった仕事も、しょせんE氏は素人。次第にマネジメントも行き詰まり、2人の仲にも暗雲が漂いだす。仕事の関係は解消された。別れたE氏の接触に成功。新たな展開へとつながっていった。

(二田一比古/ジャーナリスト)

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