「電通だったら遊んでられるぞ」大学の先輩の誘いで入社を決めた【天才アラーキー傘寿を語る】

「電通だったら遊んでられるぞ」大学の先輩の誘いで入社を決めた【天才アラーキー傘寿を語る】

ビートルズが来日した1966年。銀座にはまだ路面電車が走っていた(提供写真)

【天才アラーキー傘寿を語る】#7

 大学を卒業して、電通にカメラマンとして入ったんだ。「さっちん」で、「太陽賞」(第1回)をとったのは、電通に入ってすぐだね。スタジオの入り口で電話を受けたんだ。オレ、自信があったからさ、平凡社から電話をもらったときに「やっぱり」なんて言ってさ、向こうは驚いただろうね(笑い)。その頃、社会的なテーマとか、障害をテーマにしたものとかが多かったけど、なんでもない身近な日常のこともやらなくちゃダメだってわかっていたからね。こういう写真が候補作にあがっているって聞いたときに、あ、オレの勝ちだと思ったんだ。

 就職するときに、朝日新聞社の出版写真部から、来ないかって誘われたんだよ。オレ、一応、投稿写真の月例とかで、学生であんなヤツがいるって知られていたからね。でも、学生時代は好き勝手に撮って、どんどん投稿して、学費も稼いでいたけど、頼まれごとはやってないわけだよ。報道ってのは、たとえば恋人とイチャイチャしてたって何かあったら呼ばれるだろ(笑い)。大地震があったらすぐにヘリで飛んでいくとか、そういうのイヤだからさ、朝日はやめようと思ったんだ。そしたら、千葉大の1年先輩が電通にいて、「荒木、電通だったら遊んでられるぞ」って誘ってくれて、電通を受けたんだ。

「アイツは面白いから」と、ある役員が入れてくれたらしい

 その頃の入社試験は、まだゆるかったからね、カメラマンは筆記試験とかもなかったんだよ。面接は、オレ、口うまいからさ(笑い)。実技は三つあって、一つは果物とかなんとかの形をした光りものがいっぱい置いてあって、それを構成して4×5(カメラ)で1枚撮る。4×5なんて学生時代に1回しか使ったことないからさ、試験についてくれた写真部のカメラマンに絞りとか手伝ってもらってね。試験で見るのは構成力と色彩だと思ったから、テクニックはなくても大丈夫だって思った。もう一つは、スタジオで女の顔をモノクロで撮るテスト。近づけるだけ近づいてアップで撮って、それで全部通した。

 三つ目の試験は、1時間銀座をブラブラ歩いて、フィルム1本撮って来いって。そういうのは得意技だからね。一回りしてくればいいんだから。街の写真だけど撮ったのは、ほとんど女ばかりだったね(笑い)。面接では全員が反対したらしいけど、一人だけ優秀な重役が、アイツは面白いから入れとけって言ってくれたらしいんだ。だから入れたんだって、後で聞いたけどね。

■おふくろは「なんで運送会社なんかに就職するのか」と

 おふくろはさ、「もう、なんで運送会社なんかに就職するの」って言うんだ。三ノ輪のうちの前の道路を“マル通”ってかいてあるマークのトラックが通っているのを見ているからさ。車の運転もできないのに、なんでノブは運送会社に入るのかって(笑い)。

(写真家/荒木経惟 構成=内田真由美)

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