「たまねぎ頭」の生みの親 黒柳徹子が語る、伝説の世界的美容師との思い出

「たまねぎ頭」の生みの親 黒柳徹子が語る、伝説の世界的美容師との思い出

「たまねぎ頭」の生みの親 黒柳徹子が語る、伝説の世界的美容師との思い出の画像

女優の黒柳徹子さんが、2017年12月18日、インスタグラムに親交のあったヘアスタイリスト、須賀勇介さんとのツーショット写真を公開し、2人の思い出を掲載した。

黒柳さんによれば、須賀さんは、「日本のCMに出演していたくらい、格好のいい人」で、トレードマークの「たまねぎ頭」を作った人――。そして、あのオードリー・ヘップバーンさんのヘアも担当していた、伝説のヘアスタイリストだった。

ピン1本で髪をまとめ上げた

写真はポラロイド写真で撮られたもので、若かりし頃の黒柳さんと、「大親友だったヘアードレッサーの須賀勇介さん」が写っている。

2人の出会いはニューヨークにあった須賀さんの店でのこと。それまでは、どこの美容院に行こうが、何本ピンを使おうが、なかなかまとまらなかった髪だったのに、須賀さんはピン1本であっさりとまとめあげた。黒柳さんは、その「腕」にいたく感動したという。

意気投合した2人は、親友となり、黒柳さんがニューヨークに行ったときは、須賀さんの自宅に居候するまでに。

「須賀さんのNYのお家にいると、ハリウッド女優のブルックシールズや、ダイアナロスなどが、突然、遊びに来たりしました!」

と、交友関係は華やかだったことがわかる。

そんな須賀さんを一躍有名にしたのは、1976年モントリオールオリンピックで金メダルをとったフィギュアスケーター、ドロシー・ハミルさんのヘア「ハミルカット」だ。

「ドロシーハミルがスピンをして、ブーンっと上に浮き上がった髪の毛が、彼女が降りて止まると、もとのヘアースタイルに、スッーと戻るのです。それが『ハミルカット』と呼ばれて、全世界で流行するヘアースタイルになりました」

それ以降は、世界中の有名人からのオファーがさらに殺到。自家用飛行機に乗ってニューヨークの須賀さんのお店に通ってくる人や、ヨーロッパの貴族から高待遇で誘われたこともあるという。

さらに、ずっと憧れだったオードリー・ヘップバーンさんのヘアも担当することになる。

「須賀さんは、若い頃からものすごくオードリー・ヘップバーンのファンだったので、とてもうれしそうでした」。須賀勇介さんの甥からもコメント

須賀さんは、1990年9月14日にこの世を去った。48歳だった。

黒柳さんは、最後に、

「今でも思い出すと、須賀さんの海の別荘で手をつなぎながら、モーツアルトのオペラ『魔笛』の中の『夜の女王のアリア』を二人で声を揃えて歌いながら歩いていたことを懐かしく思い出します」

と思い出を語り、「良いお友達は持つべきものだとつくづく思います」と締めくくっている。

フォロワーからの反応もさまざまだ。

「ステキなお話ですね」「素敵なお話を聞かせてくれてありがとうございます」といったものから、

「小学校の時の卒業文集のお題が『将来なりたいこと』で、私は『須賀勇介さんみたいな理容師になりたい』だったことを思い出しました」

など、須賀さんへの憧れを語るコメントも。

さらには、叔父である須賀さんに憧れて美容師になり、ニューヨークに約27年住み帰国した高橋俊輔氏も、コメントを寄せている。

「徹子さん、叔父の事を書いていただきありがとうございます。母が横でとても嬉しそうにしています」