貞淑美女タレントの性白書 原田知世 奇跡のアラフィフが守る超潔癖な貞操帯(2)

 こうして3カ月後の7月、原田はテレビドラマ『セーラー服と機関銃』(フジテレビ系)に主演し、女優デビュー。同時に主題歌『悲しいくらいほんとの話』で歌手デビューも果たした。
 「もっとも、その頃、角川氏は大林宣彦監督を呼び出して、原田を息子の嫁にしたいからと最初で最後の映画『時をかける少女』の撮影を依頼したという伝説が残されています。ところが、引退映画のつもりが、広島・尾道を舞台にした低予算の作品が大ヒット。その後、大林監督作品に続けて出演しました」(映画関係者)

 ちなみに、同名タイトルの映画『セーラー服と機関銃』の方は薬師丸ひろ子が主演して大ブレイク。渡辺、原田、薬師丸の3人は1980年代『角川三人娘』と呼ばれ、一世を風靡した。
 「ただ、1人の女としては、いずれも幸せをつかんでいません。渡辺などはピーク時に島田紳助との不倫が発覚。大きなイメージダウンとなってしまいました」(前出・映画関係者)

 原田は、『セーラー服と機関銃』の後番組、『ねらわれた学園』でも引き続き主演した。
 '83年、件の『時をかける少女』で映画初主演。主題歌『時をかける少女』はシングル50万枚を超え、自身最大のヒットとなった。
 “と〜き〜を〜 かける少女〜”
 日本全国どこへ行っても透き通るような原田の歌声がスーッと耳に入って来た。

 '84年の映画『天国にいちばん近い島』の同名シングルは、初のオリコンチャート1位を獲得。
 「'85年には映画『早春物語』に主演。同主題歌で、ついに念願の『紅白歌合戦』(NHK)の出場を果たしました。今、振り返ると、歌手としてはこの頃が絶頂期だったかもしれません」(音楽関係者)

 '87年、角川春樹事務所を辞めて、実姉の原田貴和子と共に、芸能事務所『ショーンハラダ』を設立。
 同年公開の映画『私をスキーに連れてって』で主役を演じ、スキーブームに火をつけた。

 その後は、今なお続いている『ブレンディ』や『ハイシーホワイト』のCMで見かけるだけで、芸能活動を休止したかに見えた。
 「美人で女優デビューもしていたお姉ちゃんは、派手好きの遊び人。それゆえ、妹も感化されてしまって、仕事よりも遊びの方が面白くなってしまったのです」(前出・常山氏)

 姉妹そろって男漁りをしているところを目撃されたこともあった。
 「姉妹だけで事務所をやっているので、あれはイヤ、これはギャラが安いとわがままばかりが通ってしまったのです」(前出・テレビ局関係者)

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