神田沙也加が村田充と結婚 神田正輝は挙式に出席も松田聖子"自分ファースト"で欠席

記事まとめ

  • 松田聖子の"ひとり娘"神田沙也加が俳優の村田充と結婚しハワイで挙式した
  • 父親の神田正輝は出席したが聖子は欠席、「何の興味もないんです」と芸能ライター
  • 94年の聖子の"愛人"は暴露本でFAXラブレターやドラッグセックスなどを暴露した

貞淑美女タレントの性白書 松田聖子と神田沙也加 セックス大好き“自分ファースト”の母娘(1)

 「小池百合子東京都知事は“都民ファースト”ですが、あの人はいつも“自分ファースト”なんです」(芸能関係者)

 松田聖子(55)の“ひとり娘”で女優の神田沙也加(30)が、結婚相手で俳優の村田充(39)と先日、都内でお披露目パーティーを開いた。
 「現在、ミュージカルを中心に大活躍している沙也加。彼女が『ママ』と呼んで慕っている大地真央らが駆けつけて祝福しましたが、“本当のママ”である聖子は姿を見せずじまい。お祝いのコメントさえ、出しませんでした。ちなみに、村田は“MITSUU”の別名があり、広末涼子と浮名を流した過去がある人物です」(ワイドショー芸能デスク)

 ハワイでの挙式でも、父親の神田正輝は出席したのに聖子は欠席。
 「一部女性誌では『内祝いの夜』があったと報じられましたが、松田聖子の生き方からすると、たとえ実の娘であっても自立した今の沙也加には何の興味もないんです」(芸能ライター・小松立志氏)

 身の回りの物は、すべて自分を引き立てるための装飾品とみなしてきた聖子。
 「もちろん、人間もそうです。沙也加が何度も転校した揚げ句、友人を作ることさえままならなかった定時制高校をやっと卒業したときも、聖子は卒業式に出席しませんでした。ですから、沙也加が誰と結婚しようと、どうでもいいことなんです」(同)

 郷ひろみと破局後、『聖輝の結婚』と騒がれた'85年の翌年に誕生した沙也加。
 「聖子は、その半年後に芸能界に復帰。“育ての親”となったのは、同居していた聖子の母親でした」(音楽関係者)

 しかも、聖子が無謀とも思える全米進出を目論むのと並行して、年下外国人との不倫がたびたび報じられた。
 「聖子は、もともとバタくさい濃い顔立ちの男が大好きで、“太いモノ”も大好物と囁かれたものでした。ですから、表向きは音楽活動と言われましたが、本当は“男漁り”のためと噂されました。神田には悪いですが、結婚は郷と別れた傷を癒やすための“箸休め”だったのです」(芸能レポーター)

 当時、幼稚園に通っていた沙也加は、母親のスキャンダルが報じられるたびに、
 「聖子の娘、聖子の娘!」
 とイジメられ、引きこもりになっていた時期もあったという。
 「それでも聖子は、娘の心中を思いやることは一切ありませんでした。“自分ファースト”ですから」(芸能プロ関係者)

 そして'94年、聖子の“愛人”だったジェフ・ニコルスが暴露本を出版。
 「神田と聖子は、正式には'97年1月に離婚するんですけど、その頃、すでに夫婦関係は破綻していました」(プロダクション関係者)

 ジェフくん(聖子はこう呼んでいた)は英語の家庭教師という触れ込みだったが…。
 「とんでもない。勉強そっちのけで、真っ昼間から高級シティーホテルの一室でズッコンバッコンやっていたんです。世界共通の誰でも気持ちよくなる“ボディーランゲージ”というやつですね」(ベテラン芸能記者)

 2人を“密着マーク”していた写真誌関係者によれば、聖子の“嬌声”は、そのフロア全体に響き渡るほど大きなものだったという。
 「その本の中身は、聖子のFAXラブレターから、エクスタシーを使ってのドラッグセックスまでと衝撃的でした。もっとショッキングだったのは、幼い沙也加がジェフくんを“パパ”と呼んでいるとの一部報道があったことでした」(前出・芸能関係者)

 しかし聖子は同年、『たかの友梨ビューティクリニック』のCMに出演。
 「素肌は、思い出を残さない」
 という意味深長なセリフで、スキャンダルを逆手に取るという“したたかさ”を見せた。
 「'98年にはバックダンサーで愛人だったアラン・リードから“逆セクハラ裁判”を起こされましたが、まったく動じませんでした。“夜も奉仕しなければ、バックダンサーとして使ってあげない”というものでした」(ワイドショー関係者)

 同年5月、6歳年下の歯科医・波多野浩之氏と再婚。
 「交際2カ月のスピード再婚でした。『出会った瞬間、なんかビビビッと来た』という聖子のコメントは、『ビビビ婚』として流行語になりました」(テレビ局関係者)

 しかし、周囲の予想通り? この結婚は長く続かず、わずか2年半余りで破局。そして'12年6月、慶大医学部准教授の河奈裕正氏と3度目の結婚を果たした。

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