内田裕也ブチ切れビートたけし、女の修羅場

内田裕也ブチ切れビートたけし、女の修羅場

(提供:週刊実話)

昨年9月15日に亡くなった女優の樹木希林さん(享年75)の後を追うように逝った。半年後の3月17日、ロックンローラの内田裕也さんが肺炎のため都内の病院で死去した。79歳だった。希林さんとは夫婦関係にありながらも、43年間別居生活だった。

 妻、母親、人としての希林さんが支持されているからか、内田さんの破天荒な生き方にも賛美する声は止まない。しかし、生前の内田さんを知る芸能関係者からは「きれいすぎる美談」という声も上がっている。

 「死んだ人の悪口を言いたくありませんが、内田さんは生前、妻の希林さんだけでなく、何人もの不倫相手を泣かせてきた。業界では粘着質なコワモテで芸能関係者を威圧してきたんです。マスコミは内田さんの“功”ばかり報じるのではなく、“罪”も伝えるべきですよ」(大手プロ役員)

 内田さんは1973年にバツイチの希林さんと電撃結婚したが、内田さんのDVが原因で2年で別居。’81年には内田さんが離婚届を提出したが、希林さんが判を押さなかったことから離婚訴訟に発展。結局、離婚は無効となった。

 「離婚無効の判決が下りましたが、内田さんは自宅に戻らなかった。当時、米国制作ドラマ『将軍 SHOGUN』に主演してゴールデングローブ賞女優賞を受賞したことで国際女優と呼ばれた島田陽子が所有していたハワイのコンドミニアムで暮らしていました。その後、写真週刊誌に“不倫密会”と報じられたんです」(元女性誌記者)

 島田はハワイだけでなく、伊豆にも別荘を所有。同別荘では内田さんが刃物を持って島田を追い回すという修羅場も起こしている。にもかかわらず、2人の不倫関係は続いた。

 「’91年に内田さんが東京都知事選に出馬した際、選挙資金の一部を島田が出したんです。結果は落選。2人は不倫関係を清算したが、島田は莫大な借金を背負うハメになった。内田さんに貢いだ島田は推定2億5000万円の横浜市内の豪邸のローンも払えなくなり、ハワイと伊豆の別荘も手放した。その後も借金トラブルが続出し、AV出演までした。いまだに再起できていません」(映画関係者)

 島田を借金地獄に追いやった内田さんは悪びれもせず、頻繁にハワイに出かけ豪遊を繰り返していた。
「内田さんの次の不倫相手は、40代半ばで大手航空会社管理職の独身美人女性でした。渦中の女性によると“内田さんの一途なところが母性本能をくすぐる”と言っていましたね」(音楽プロ関係者)

 しかし、島田とのトラブルでも分かるようにエキセントリックな性格であるため、女性とのトラブルは絶えなかった。’11年5月には、50歳の元交際相手に復縁を迫って、強要未遂と住居侵入の疑いで警視庁原宿署に逮捕されている。
「内田さんは’77年に九州の佐世保警察署に大麻取締法違反容疑で逮捕されている。’83年には銃刀法違反容疑でもパクられていますから逮捕歴は3回です。女性に対するDVやストーカーまがいの言動は今の時代だったら、即マスコミの袋叩きにあって、芸能界から追放されていますよ。仕事上ではコワモテでしたが、実は内田さんは腕力に自信がない。いつもコワモテ俳優の安岡力也さんやプロボクサー経験のある歌手のジョー山中さんらをボディーガード代わりに連れて歩いていた」(前出・大手プロ役員)

 平成元年に放送された伝説的ラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)に内田さんがゲスト出演した時もひと悶着起きた。肝心のパーソナリティーのたけしが欠席したことに内田さんが激怒。たけし軍団が平謝りでなだめるも、スタジオで大暴れしたことがあった。

 「たけしは欠席した理由を“お化けが出たから”とわけが分からないことを言っていましたが、内田さんの粘着質な性格を嫌ったんです。その後、内田さんは屈強なボディーガード数人を連れて、当時、たけしが所属していた『オフィス北野』に乗り込んで事務所の幹部を徹底的に追及したんです。業界では“面倒くさいから内田さんとは関わらない方がいい”と敬遠されていたんです」(芸能関係者)

 芸能界のご意見番を気取る“ゴッド姉ちゃん”和田アキ子も内田さんを避けていた。ところが、六本木の飲食店でバッタリ遭遇してしまい…。
「内田さんは上機嫌で和田に“もう一軒、行こう”としつこく誘う。手を焼いた和田は酔った内田さんを希林さんの自宅に連れて行って、その場を逃れたという笑い話もありましたね」(ラジオ番組スタッフ)

 一方、内田さんはアフガン難民救済のため、ジョー山中さんらとアフガンを訪問し、難民の子供の前で歌を披露したりするなど、地道なボランティア活動も続けていた。

 晩年は吉本興業主催の『京都国際映画祭』に欠かさず出席した縁もあって、1960年代に大ヒットした時代劇ドラマ『三匹の侍』の映画化が持ち上がっていた。三匹の侍は内田さん、市川海老蔵、元横綱朝青龍の異色な顔合わせだった。

 「内田さんは3年前から体調を崩して、1人では歩行困難となり、映画化の話は進んでいなかった。内田さんの死で実現することはなくなりましたね」
 と語るのは映画関係者。

 「歩行困難になっても女性は欠かしたことがなかった。それでも40年以上、別居した“火宅の夫”内田さんを希林さんは愛して待っていた。その希林さんが亡くなって半年後に後を追うように亡くなったことで、業界からは賛美する声が止まない。生前、内田さんが犯した罪は希林さんに救われたんだと思いますよ」

 極端な功罪、これぞロッケンロール。合掌。

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