潜伏キリシタンの残滓〜長崎県南松浦郡

私は東シナ海に浮かぶ五島列島のひとつ、中通島にいた。五島列島は隠れキリシタンが多く暮らした土地として知られている。

 江戸時代、迫害にあったキリシタンたちだが、その後の運命は大きく2つに分かれる。迫害を受けつつもカトリックの教義を頑なに護り続け、明治になって禁教が解かれたとき、その信仰を公にした者たちを「潜伏キリシタン」。そして、潜伏しているうち、カトリック本来の教義が忘れられていき、仏教や神道と融合して独特の信仰を持つようになったのが「カクレキリシタン」という。

 カクレキリシタンの多くは、禁教が解かれてもカトリックには戻らず、独自の信仰に留まり続けた。

 今日、五島列島のある長崎県などで数多く見られる教会は、「潜伏キリシタン」たちによって造られたものである。中通島を歩いてみると、潜伏キリシタンによって建てられた青砂ヶ浦教会など、明治時代の貴重な建築が多く残っているのが分かるだろう。

 中通島をはじめ、五島列島に住んだ潜伏キリシタンの多くは、同じ長崎県の外海地方から江戸時代になって入植した者たちである。江戸時代中期以降、五島列島では大虫害による飢饉が起き、農村の人口が激減する事態にみまわれた。その窮地を打開しようと移住が奨励されたが、それに応じたのがキリシタンたちであった。

 しかし、五島列島に移住したはいいものの、漁獲量の多い入り江やわずかばかりの平地にはすでに先住者がいて、キリシタンたちには山間にある猫の額ほどの土地か、漁業にもまるで向かない海辺の土地しか残されていなかった。彼らは苦しい生活を強いられたわけだが、支えになったのが信仰であった。

 時の流れの中で、五島列島は過疎化が進み、潜伏キリシタンたちの集落は、廃村となっているところが多々ある。廃村になった場所を訪ねると、そこは昼なお薄暗い常緑樹の森となっていて、石垣がところどころに残されているだけだった。斜面をのぼり樹林を抜けると、約100メートル四方の開けた土地に出た。そこは墓地の跡だった。数柱の十字架を残して墓は移転し、石で区切られた区画だけが往時の面影を残していたのだった。

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