勝新太郎没後20年「座頭市」をはじめ語り継がれる数々の伝説

勝新太郎没後20年「座頭市」をはじめ語り継がれる数々の伝説

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6月21日は俳優の勝新太郎の没後20周忌だった。これに関しては、テレビシリーズ『座頭市』の製作費を約20億円も肩代わりしていた、ストリップ劇場『浅草ロック座』の名誉会長である斎藤智恵子さんも今年4月に亡くなっており、一時代が過ぎた感じがある。


勝は23歳のときに大映京都撮影所と契約し、1954年の映画『花の白虎隊』でデビューを飾った。大映の永田雅一社長は勝をかわいがり、市川雷蔵に次ぐ二枚目役者として熱心に主要な役を与え続けたが、人気がなかなか出ず、苦労に苦労を重ねた青春時代を過ごした。しかし、1960年の『不知火検校』で野心的な悪僧を演じたことにより、それまでの評価が一新され、スターへの仲間入りを果たした。


「いま再評価されているのは、実は勝プロダクションが力を入れて作った『警視K』なんです。DVD化されていますが、これはアバウトな脚本をもとに、ほぼアドリブで進行していく珍しいドラマです。原田芳雄、原田美枝子、ジュディ・オングや緒形拳など、豪華ゲストを毎回呼んでおり、主題歌は山下達郎。いまだ新鮮な感覚が残る作品として、勝作品のトップに位置付けるファンもいるほどです」(映画ライター)


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もし勝がリメイクされた座頭市を見たら…

2003年、北野武監督初の時代劇『座頭市』が製作された。勝の債権者であったロック座会長の斎藤氏と、北野監督が親しかったことが背景にあったという。


「勝さんが生きていたら、北野武監督の『座頭市』も香取慎吾の『座頭市』も、絶賛すると思いますよ。演技にはセンスを見いだす人でした。でも、やはり勝さんの『座頭市』を見てほしいですね。あれほど勝さんが心血を注いだ作品はありませんから」(同・ライター)


勝は三味線の師範でもあったことから、斎藤会長から借りた約20億円の一部の返済に“弾いて充てた”という茶目っ気あふれるエピソードもある。伝説の役者が去って20年。型破りな役者が肩身の狭い時代を見て、もし勝が生きていたら何を思うだろうか。


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