テレビ屋の声 - 第19回 読売テレビ・西田二郎氏、『DX』で20年以上見てきたダウンタウンから感じる"愛"

テレビ屋の声 - 第19回 読売テレビ・西田二郎氏、『DX』で20年以上見てきたダウンタウンから感じる"愛"

画像提供:マイナビニュース

●最初は毎回スペシャル番組を作るような気持ち
注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて"テレビ屋"と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。

今回の"テレビ屋"は、読売テレビ・日本テレビ系バラエティ番組『ダウンタウンDX』(毎週木曜22:00〜)で、演出・チーフプロデューサーを務めた西田二郎氏。現在は制作現場を離れているが、長年にわたって仕事をしてきたからこそ見えるダウンタウンの意外な一面や、今後のテレビのあり方、さらには自身の音楽活動まで、たっぷりと語ってくれた――。

――当連載に前回登場したフジテレビの竹内誠さんが、西田さんにまた制作の現場に戻って番組を作ってほしいと言っていました。

うれしいですね。自分は『DX』で21年、入社してから26年ずっと番組制作だけしかやってこなかったので、テレビ制作マンの末路みたいなテーマで言えば、いつまで番組を作れるのか、演出できるのか、アイデアが出るのかという自分自身の中身に関する"枯渇"という不安は、誰もが20年以上やってれば必ず思うじゃないですか。僕もどこかでそういう覚悟はせなあかんやろなと思いながら、自分なりのやり方をダウンタウンを含め、ずっと受け止めてもらってきたということではあるんですよ。でも、制作現場から離れて営業に行き、今は編成企画部というところにいるんですけど、うちの会社の人事というのは、単に「ここのネジが抜けたからそこに入れ」みたいな感じじゃないんです。

僕の場合だと、要は26年番組制作をやりきったという1つの独特なネジ。だから、誰かの開けた穴を埋めるんじゃなくて、「勝手に新しく穴開けて、そのネジで止めてくれるかー?」くらいの感じの起用だと思うんですね。そういった意味で言うと、番組制作という何とも言えないエキサイティングな現場のすごさがある一方で、勝手にネジを埋めていくっていう作業自体は、決して嫌いではないんですよ。自分でも、どっかで強がって、「現場なんて戻りたくないねん!」とか言うのかなとか、未練がましく制作現場のことを思い続けるのかなと思ってたら、意外とそうじゃなくて、制作現場をやりきったっていう経験があるから、テレビ局ができる新しいフィールドへ踏み出していけてるっていう感じです。

――そうなんですね。そんな思いを聞いたところで恐縮ながら、まずは以前の制作時代のお話から伺っていきたいのですが、『ダウンタウンDX』は当初、10組程度のゲストを迎える今のスタイルではなく、ゲストは1組で、その後クイズ形式に変わっていきましたよね。

一番最初は僕を含め、スタッフみんなが木曜10時という時間帯がよく分からなくて、とにかくダウンタウンが1組のゲストとトークをするという形で、毎回スペシャル番組を作っていこうという気持ちでやってました。企画もその都度その都度、良いものもあれば悪いものがあればで、オーダーメイドで毎回やっていくスタイル。だから、ご覧になられる皆さんが安心して見るというより、次回はどうかな?みたいなブレブレなところが、ある種初期の持ち味だったと思います。そのうち、僕も演出を任されるようになって、面白いことを考えるのは好きなんですけど、毎日毎日面白いものは生まれないんですよ。僕は弱虫テレビマンで、たまーにオリンピックみたいに4年に1回くらいええのが出るみたいな、それが1回出たら頑張ってしがみ倒すみたいな性格なんで(笑)

――えっ!? 意外です。

そうなですよ。で、当時のダウンタウンは『ごっつええ感じ』(フジテレビ)で、小松(純也)さんがディレクターで「何時に収録が終わるかなんて関係あるか!」みたいな感じで、毎回本気でおもろいもんを作りに行って、『ガキの使い』(日本テレビ)でも、飾らない素っ気ない映像の中できちんと面白さを出していって、この2つの番組で、ダウンタウンの持ってるアーティスト性というのが、見事に爆発してたんですよね。

そうした時に、我々はどうするかとしたら、ダウンタウンを一般化するしかない。当時のダウンタウンはまだ30歳くらいでしたから、ダウンタウンより上の世代の人にとって、存在は知っているけど、しっかり理解できるまでには至ってない感じだったんですよ。それで、『ごっつええ感じ』『ガキの使い』のクリエイティブは、絶対マネできへんなと思ったから、さっきのネジの話で言うと、みんなが開けようとする硬ーい木じゃなくて、木の中でも柔らかい場所を見つけて、打ち込んでいこうと思ったんです。でも、ダウンタウンに「柔らかいとこ行きましょう」って、意外と言いにくいんですよ。

――昔のダウンタウンさんの現場は、今よりも緊張感がすごかったと聞きます。

せっかくダウンタウンがいるんだから、普通はコンクリートにネジ打ち込もう!みたいな感じになるじゃないですか。そんな中で、僕が「もうバルサ材に打ちに行こう」という感じでやっていこうとして始めたのが、クイズのコーナーを展開していくっていうやり方だったんです。当時は「ダウンタウンにそんなんやらさんでええやん!」っていう風潮だったと思いますけどね。

――「国民投票」とかやってましたよね。そこから、だんだん現在のスタイルに変わってきました。

クイズもそれなりに成果は出てきましたけど、どこかで息切れしていくようなところもあって、それでいよいよという時に、何ができるのかなーって出てきたのが「視聴者は見た!」(※1)だったんです。大したことでなくてもいいから、誰もがどこかで芸能人を見たことあるやろって。それを立ち上げたときが、『DX』の感じが、少しずつ"タレントさんの日常"をテーマに持っていけるのかなと変わった瞬間だったんですよね。

(※1)…視聴者による芸能人の目撃談を紹介するコーナー。

――『ごっつ』『ガキ使』が"芸人"ダウンタウンであるとしたら、『DX』は"タレント"ダウンタウンが出ている感じなんですね。

そうだったと思いますね。『DX』でも、やり取りの中でチラリと見せる芸人、アーティストとしての輝きを感じてもらって、本当に濃いダウンタウンを感じたかったら、『ごっつ』や『ガキ使』を見てくださいってつなげていくためのゲートです、今振り返ると(笑)。だから僕は、硬いところにネジを打ち切るクリエイティビティを持ってるテレビマンはすごいなと思いますし、最初の竹内君の質問に返すと、「柔らかいとこまだあるんやったらやるけど、もう無いやろ! もう無理やわ!」っていう感じですね(笑)

●ダウンタウンが"愛をダダ流しする"時が来る
――『DX』の長い歴史の中で、今のスタイルが一番長くなりましたよね。これが一番フィットしているということなのでしょうか。

そうですね。でも、まだまだあるかもしれません。ダウンタウンって、本人たちが「そんなもんできるかー」って言っても、結局全部やれる人たちなんです。だから、なるたけやりたくないことをやってもらう方が良いと思っているんですよ。「ええやんけそれー」って言われるものは、前にどこかで触れてる可能性があるから、「なんや二郎、しょうもないこと考えて!」って言われて、そこから形にしてもらった企画の方が、過去を振り返ると、当たってる感じがありますね。

――具体的にはどんな部分がそのタイプでしたか?

「視聴者は見た!」もそうでした。あと、お客さんの前でゲストのみんなとトークするというときも、「なんでみんなとしゃべらなあかんねん」っていう感じは相当ありましたね。

――『笑っていいとも!』を降りた後ですもんね。

トークと言っても、たくさんの人間としゃべったらライブショーになるから、それを成立させるにあたって、見えないところが多すぎるということがあったと思うんですよ。でも、浜田さんとかとだいぶやり取りさせていただいて、最後は「自分はディレクターだから、そういう画が見たい!」って言って、「画なんてどうでもいいんじゃー!」って言われながら、OKをもらいました。

――最終的には、納得されるんですね。

納得というよりも、折れるという感じ(笑)。「どうせやってもアカンから、二度とやらへんからなー」くらいの感じで受けてくれはるんですけど、実際にやるとプロですから大丈夫なんですよ。そこは信じてますね。で、「もう最高でした―!」って言うと「何言ってんねん!」って言われながら、また次もやってくれる。そうしていくうちに、2人のやり取りが円熟味を増していったんです。

――そういう相談は、浜田さんにされることが多かったんですか?

そうですね。松本さんとは、ワイズビジョン(※2)に出向してる時に『ビジュアルバム』(※3)でご一緒させてもらったんですけど、ダウンタウンが大阪時代に『4時ですよ〜だ』(MBS)でブレイクした時に、あまりにみんなが「ダウンタウンがすごい!」って言うから、僕ちょっとヘソ曲げちゃって、当時のダウンタウンをちゃんと見てなかったんですよ。その後の『ごっつええ感じ』もそんな感じだったので、『ビジュアルバム』をやるときに「コント撮れ」って言われても、「無理でしょ…」って(笑)。だから、新しいことをやる中で、僕が見たい松本さんはこうなんだと思うことを、徹底的にやっていったという感じ。その後、小松さんと『ごっつ』のスペシャルをやった時も、分からないなりになんとかやりました(笑)

(※2)…読売テレビと吉本興業が出資していた制作会社。
(※3)…『ダウンタウンのごっつええ感じ』終了後に発売された3部作のコントビデオ。

――フジの竹内さんは、西田さんの『DX』の前説がすごいんだと絶賛していました。

ずーっとやってましたからね(笑)。観覧の人は、番組を見ていただきながら、その笑い声も番組構成の一部として表現していくわけですから、僕の後ろにはすごく頑張って汗かいて、ネタとかを選んだり考えてくれたスタッフがいるよっていうのを、スタッフ代表として顔を出して伝えたいというのがあったんです。でも、そんなことを真面目に講演しても緊張感が走るだけやから、おもろいかおもろないか分かんないけど、僕が一生懸命「みんなリラックスして笑ってやー」ということを伝えていることが重要。だから、それでお客さんが「なんか知らんけど頑張って受け止めよう」と思ってくれればいいんですけど、「楽しませてもらおう」って受け身で来られるのを一番拒絶するんです。僕、「帰れ―!」とか言うて、ようキレてましたもん(笑)

――いい意味で客席に緊張感が走りますね。

そうですよね。物事の理解って理屈じゃないんですよ。怒られてただ腹立つんじゃなくて、なんか知らんけど、必死やなって分かってくれれば。そういう底辺のところって、どこにいってもすごく重要なんかなって思います。まぁ、そうは言いながら、前説やってたのはしゃべりが好きということも、ベースとしてはあります。会社入った頃に前説をしてる先輩を見て「へったくそやなー」って、ADの時から思ってましたもん(笑)

――ダウンタウンさんは、その前説について何か言っていましたか?

松本さんには「おまえの笑いは分からん」って、ずっと言われましたね。でも、松本さんに笑いという軸で分かるか分からないかを判断してもらうなんて、ありがたいこっちゃって思ってましたよ(笑)

――そんな名物の前説が無くなって、寂しがってるんじゃないですかね。

浜田さんには「異動します」って言ったら、「全然かめへんけど、前説だけは毎回やれよ」って言われましたね(笑)

――(笑)。あらためてですが、長年見てきたダウンタウンさんの魅力というのは、何でしょうか?

2人ともすごく笑いに対して厳しかったりするんですけど、なんかね、"愛"があるんですよ。それは単に人が好きとか、そういうことじゃないんです。だから、僕がダウンタウンに、正解を出そうと思うより、間違ってもいいからこれを提案しようという行為ができたのは、彼らの愛があったからだと思うんですよね。それはもうテクニックとか、ダウンタウンの持ってるクリエイティビティとか、タレント性を超えてて。

「ダウンタウン」と「愛」って、あんまりくっつかないじゃないですか。けど、まなざしとか、言葉のやり取りであったときも、今、現場から離れてあらためて思うと、すべてのことが、"愛"を持って接したんやなと思うところがあります。ダウンタウンは、単に面白い人やからみんなが付いてくるんじゃないと思うんですよ。作るものとか表現を伝えていくっていうところに、"愛"があるからだと思うんです。

――なかなか画面を通じては分からない面かもしれません。

でも、これから、ダウンタウンが画面に愛を出して売り物にしていくんじゃないですかね(笑)。彼らの中にある愛っていうものは、今までは「そんなもん出すかー」みたいな感じで、わりとフタしてたと思うんですけど、僕は最近よくみんなに言ってることがあって、「老化ってめっちゃええで」って。老いていく中で、いろんなセンサーが弱くなってセンシティブになっていくこともええかってなって思ってるので、ダウンタウンもそのタイミングが来ると思うんですよ。愛をダダ流しするタイミング(笑)

――それは見てみたいです(笑)

やっぱり、笑いをやる人って、泣きたくなるときも「絶対泣いたらあかん、泣いたら笑いになれへん」みたいなことがあると思うんですけど、もういいじゃないですか。どんだけ分の笑いを作ってきました?(笑)。他にお付き合いのある方も言わへんけど、分かってるとこやと思いますよ。でも、いま一緒にやってる人からは、なかなか言いにくいですよね。離れたから言えるのかもしれません。いやぁ、ダウンタウンが涙あふれるようになったら、現場戻ってきたいですねぇ。2人に「分かってましたよ〜僕予言してましたよ〜」「とうとう恥ずかしげもなく涙流すようになりましたね〜」って言ったら、「何言うてんねん!」って言われるだろうだけど(笑)

●テレビが視聴環境を提示したら…
――さて、現在のお立場は編成企画部長ということなんですが、どんなお仕事をされてるんですか?

テレビだけじゃない新しいコンテンツを作っていこうという部署です。営業経験や番組を作ってきたっていう実績もあるので、そこを掛け合わせて、新しい提案をスポンサーにしながらコンテンツを作ったりとか、テレビに全く関係ないところでプロモーションを手がけるとか、そういうことをやっていますね。最近で言うと、キングコングの西野(亮廣)君を宣伝隊長みたいな形にして、パインアメを振りまいてもらうプロモーションをやったりとか、それまでの会社の仕事のやり方にとらわれない形でやってます。

――まさに、さきほど言ってた、誰も見つけてない柔らかいところを見つけてネジを打ち込んでいくような感じですね。

そうなんですよ。誰もやれへんかったら一番柔らかいとこ見つけて、さっさと打ち込めばいいでしょ? だからみんな「うわー!」とか言ってくれるんですよ。これは、この業界ですごい才能を持ってる方がいっぱいいたから、違う才能の発揮の仕方ってないかなっていうのを延々考えてたどりついたやり方なので、それが新たな職場でも本当に生きてるんやろうなと思います。

――最近は、音楽活動もされていますよね。

西田二郎だから「Nj」って言って、会社とも話して、日本クラウンに所属して活動してます。みんな「どこいくねん!」って言うんですけど、なんか50歳を境に歌声が降りてきたんですよ。うちの母親が体調を悪くした時に、以前母が作っていた歌詞に音楽乗っけて歌ったら、残り翌日か翌々日と言われていた命が、3カ月くらい頑張ってくれたりしたというのがあって、歌声っていう表現も、自分の中の1つのものとして「頑張っていきや!」って母親に言ってもらったのかなと思って。恥ずかしながら、みんなに「どうなんかな」って言ってたら、あれよあれよという間に、まだリリースもしてない曲が第一興商さんのDAMのカラオケに入って。それから大阪で2部制なのにワンマンっていうよう分からんライブをさせてもらったら、満員の人が来てくれて、世の中って分からんもんやなぁって思いますね。だから、こんだけの年齢になってるし、いろんなこともやってきたから、もうええやん!って感じでやってますよ。

―― 一時期流行した「おやじバンド」レベルを超越してるのが、すごいです。

そうですね。ピアニストの方と一緒にベースを作って、京都フィルハーモニーの人たちが演奏を支えてくれて、ゲストで都度都度プロの人が入ってくれてます。ここでも、以前の経験が生きてるんですが、ダウンタウンという超一流の人がいたところに関わらせてもらえたということで言うと、何もかもがそろってる必要はないんです。バラバラかもしれないけど、それぞれが持っている特徴でハーモニーってできるんですよね。自分はそうやって生きてきたから、音楽という畑の中でも、そういったことができるのかなと思ってやらしてもらったら、あれ?っていう感じで形になってきてるのが今ですかね。

――長年この業界にいらっしゃって、若者のテレビ離れとか、規制が厳しくなったと言われる状況について、どのように見ていますか?

僕も結構テレビ見てるんか?と言われたら、リアルタイムではやっぱり見てないと思います。でも、ある日家に帰ってテレビ見てたら、NHKでオノ・ヨーコさんの『ファミリーヒストリー』やってて、その後に『トットてれび』の再放送をやってたんです。それを見て、「ちゃんと頑張ってくれて作ってすごいなぁ」とか、テレビ創世記の今忘れ去った感覚みたいなことを思ったんですけど、若い子たちも、あの大きい画面を1人でクローズドで見たら、やっぱ何回かに1回はめっちゃええな!っていう番組はあるはずなんですよ。だから、送る側の我々としても、そういったものがちゃんと存在する枠があるということを、みんなにお伝えしていかなければいけない。

あと、『ファミリーヒストリー』を、ちょっと暗くして見てたんですけど、それがすごい良かったんですよ。『ファミリーヒストリー』ってみんな泣くのに、オノ・ヨーコもショーン・レノンも全然泣かないから、僕、2人の分まで泣きましたけど(笑)。だから、もう少し視聴環境ってものをテレビの方も言うてってええんじゃないかと思いますね。今、アニメとか始まる時に「暗いところで見ないでね」ってテロップが出ますけど、逆に「暗くして見てね」とか「なるたけ1人で見てね」とか「音量はいつもより2つ上げて見てね」とか。そうすると、「あれ? これっていつもとちょっとちゃうやん」って思ってくれる。だって、車なんかタイプごとに全然乗り方違うのに、テレビだってドキュメンタリーもあればバラエティやドラマも全部違うわけじゃないですか。じゃあ、それぞれの番組の"取扱説明書"があってもいいと思うんですよ。そんで、Twitterで「音量2上げた?」「部屋の明かり何ワット下げた?」とか言いながら、みんなで番組の視聴環境を整えていくとかやっていくと面白いですよね。

――dボタンより、番組に参加してる感じがありますね。

月9とかドラマも、映画性が強いような作りをしてるとか、怖い系の作品とかは必ず2人以上で見てくれとか。そんな形で視聴に関する環境っていうものを、しっかり打ち込んでいくっていうことをしていくと、もしかしたら、今後のテレビ視聴に関してもなんとなく変わっていくかもしれないですよね。今、思いつきで言ってますけど(笑)

――これまでに西田さんが影響を受けたテレビ番組を1本挙げるとすると、何ですか?

大阪でやってた『夜もクネクネ』(83〜86年、MBS)ですね。原田伸郎さんと当時アナウンサーの角淳一さん、トミーズの雅さんがいて、ただただ夜真っ暗けっけの中を3人が歩いて、道端で人と話をしながらクネクネしてるだけ。すごく自由で、なんで始まってなんで終わるのかもよく分からなかった番組なんだけど、なんか気持ち良かったんですよ。自分の中で理屈じゃなくていいやん?ってことを、高校生くらいで見てた時に強烈に思ったんです。その番組をやってた方が、今のMBSの社長の三村(景一)さんなんですけど、この気持ちをちゃんと伝えたいと思って、営業に異動したタイミングで、「ご飯ごちそうさせてください!」って会ったんです。で、『夜はクネクネ』の話をして、「三村さんの系譜は続いてるんですか?」って聞いたら「毎日放送にはおらんかもしらんなぁ!」って言われたんで、「じゃあ僕にください!」みたいなこと言いました(笑)

――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている"テレビ屋"を伺いたいのですが…

毎日放送で『プレバト!!』やってる水野雅之君。局は違うんですけど、『プレバト!!』が当たる前に、何回かお昼食べに行ったりして、最近は連絡も取れてなかったりするんですけど、今は本当にいろんな意味で充実の頂点なんだろうなと思うので、すごい大変やなと思うから、「はよ辞めたら? こっちもおもろいで」って伝えといてください(笑)
(中島優)

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