嵐・櫻井翔「仕事がなかった」日々が転機に ラップにキャスター…挑戦し続ける理由とは

嵐・櫻井翔「仕事がなかった」日々が転機に ラップ、キャスター、俳優に挑戦する理由

記事まとめ

  • 嵐の櫻井翔が日本テレビ系『ZIP!』にVTR出演、様々なことに挑戦し続ける理由を語った
  • 櫻井は17歳で嵐デビュー、大学生時代は仕事がなくアーティストのライブに行くように
  • その頃知り合ったm-floのVERBALに言われたことをきっかけに櫻井はラップを書き始めた

嵐・櫻井翔「仕事がなかった」日々が転機に ラップにキャスター…挑戦し続ける理由とは

嵐・櫻井翔「仕事がなかった」日々が転機に ラップにキャスター…挑戦し続ける理由とは

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櫻井翔/モデルプレス=9月29日】の櫻井翔が29日放送の日本テレビ系情報番組『ZIP!』(毎週月〜金曜あさ5:50)にVTR出演。嵐のメンバーとしてだけでなく、俳優、キャスター業など様々なことに挑戦し続ける理由を明かした。

◆芸能界での覚悟を決めた瞬間

櫻井は入所当時、芸能活動を長く続けるつもりはなく「高校生いっぱいでジャニーズJr.をやめようと思っていて、普通に大学生をしてと思っていた」と明かす。しかし、ユニット(嵐)を組むからと社長に言われ、17歳で嵐としてデビュー。その後、嵐としての活動を続け、迎えた初の単独コンサートで最後に全員で手をつなぎ「俺たちが嵐!」と叫ぶと、櫻井は「あ〜俺嵐なのか」と実感し「覚悟を決めた瞬間だったかもしれない」と話した。

さらに「そこから見える景色も新鮮なものでしたか?」との質問に、櫻井は「今までは先輩がたの後ろから見るペンライトの海だったんですよ。ものすごく綺麗なんですよ。でもそれはやっぱり先輩方のペンライト。だけど『俺達が嵐』っていったときに、自分たちを応援してくれる人のペンライトの海で。その景色は今まで見たことがなかった。こんな世界が、景色が見られるんだと思った」と当時を振り返り、初めての単独ライブをきっかけにアイドルとして活動していく覚悟を決めたという。

◆ラップの作詞を始めたきっかけ「本当に仕事がなかった」

2001年、まだ大学生だった頃の夏を振り返り、「本当に仕事がなかったの。マジでなんもなくて。マジでやることないから。毎日海に行ってたの。真っ黒に焼いたら。死ぬほど怒られた!」と告白。

その後、勉強もかねて様々なアーティストのライブに行くようになったといい、その当時知り合ったm-floのVERBALから「櫻井くんなんで自分でラップ書かないの?」と言われたことをきっかけに、当時のジャニーズとしては異例のラップの作詞を自ら手がけるようになったことを明かした。 

◆作詞した中で思い入れのある曲は?

「作詞した中で思い入れのある曲は?」と聞かれると、数ある曲の中から初めて自身のラップ詞が採用されたシングル「言葉よりも大切なもの」(2003)と回答。さらに「シングルにラップ入れるのは夢のまた夢だったけど、ちょっとずつアピールしてちょっとずつ書いて『櫻井次のシングルなんだけどラップ入れてみる?』って」と理由を説明。しかし「気に入ってはないよ!思い入れが強いだけで気に入ってはないよ!」と念を押した。

◆挑戦し続ける理由とは

ジャニーズ史上初のニュースキャスターを24歳で務めることになった櫻井。インタビューで「キャスター業を始めたきっかけを伺ってもいいですか?」と聞かれると、櫻井は「たまたまテレビ見てるときに突撃取材、独占インタビューをしていた。現場に出て取材してインタビューするっていうのは少なくともうちの事務所にはいないなって思って。ああやりたいなって」とキャスター業に興味を持ったきっかけを回顧。

しかし「ジャニーズの人間が24歳で報道やるのは想像してもなかった。だから声を掛けていただいた時は本当にうれしかったし、本当に驚いたし、本当に怖かった」と喜びと同時に不安も。「本当に出来るの?ってそう思われないために頑張ろうって原動力になった」と自ら企画を提案し、取材を行うようになったという。

「次の仕事のための仕事と思って今の仕事をしている」と話す櫻井は、「いま頑張らないことには僕らの仕事は何も次につながらない未来のための今なのかな」と話し、最後に「将来はどうなっていきたいですか?」との質問に「世界制覇」と答え、驚かせると「冗談です」と笑わせ「豊かな老後を過ごしたい」と櫻井らしい回答をしてみせた。(modelpress編集部)

情報:日本テレビ

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