吉田鋼太郎×馬場康夫 トレンディドラマ全盛の「平成前夜」を振り返る

吉田鋼太郎×馬場康夫 トレンディドラマ全盛の「平成前夜」を振り返る

ホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫代表との対談でトレンディドラマ全盛期の複雑な思いを吐露した吉田鋼太郎 (C)ORICON NewS inc.

「平成」(1989年〜)も残すところあと7ヶ月。皆さんにとって平成とはどんな時代だったでしょうか? 自然災害、政治、経済、事件、スポーツ、音楽…、いろいろあるが、あえて〈遊び〉を切り口に「平成」を振り返る番組『吉田鋼太郎の大平成史』がテレビ朝日で10月6日・13日(深0:35〜1:00)の2週にわたって放送される。

 企画したのは、80年代以降、数々の流行を生み出してきたクリエイターグループ、ホイチョイ・プロダクションズ。『私をスキーに連れてって』(87年)、『彼女が水着にきがえたら』(89年)、『波の数だけ抱きしめて』(91年)といった大ヒット映画を世に送り出し、ブームを巻き起こした。『カノッサの屈辱』、『TVブックメーカー』(ともにフジテレビ)などの深夜番組の企画や、『気まぐれコンセプト』、『東京いい店やれる店』などのベストセラーも連発。2007年公開の映画『バブルへGO』も話題に。

 今回の2回の放送では、「大平成史・平成前夜」として、平成という時代がいかにして生まれたか、1975年までさかのぼり、振り返っていく。番組収録後、ホイチョイの馬場康夫代表(64)と、番組ナビゲーターの吉田鋼太郎(59)の対談が実現。二人にとって「平成とはどんな時代だったのか?」から、「昭和・平成を知る俳優・吉田鋼太郎はいかにして生まれたのか」という話にまで転がっていった。

■トレンディードラマに無縁だった平成のはじまり

【馬場】第一夜(10月6日放送)では、ベトナム戦争が終わった1975年以降、テニス、スキー、サーフィンといったアウトドアスポーツが大流行したアメリカのカルチャーを日本に紹介した雑誌『POPEYE』(1976年創刊)を取り上げましたが、その頃、鋼太郎さんは何をしていましたか?

【吉田】その頃は、もう演劇青年でした。高校卒業して、上智大学へ進んだんですが、キャンパス内にはテニスラケットを持った女の子があふれていましたね。自分はまったく無縁でしたけど。

【馬場】ずっと、お芝居ですか? 僕も大学時代はずっと映画を撮っていたので、共感するな(笑)。

【吉田】馬場さんもですか!? スキーとか、サーフィンをやっているイメージでしたが。

【馬場】スキーはちょっとやっていました。

【吉田】僕も! 高校の課外授業きっかけで、スキーはしましたけど、テニスだ、サーフィンだ、とうつつを抜かしている輩を見て、ナンパなヤローたちめ、うらやましいな、って。

【馬場】とはいえ、当時もモテモテだったでしょう?

【吉田】全然、まったくモテなかったです。テニスとか、サーフィンをやっている男がモテていましたね。あと、車を持っている男も。

【馬場】ずっと、舞台ですか?

【吉田】ずっと舞台です。シェイクスピアが好きで。大学在学中から、劇団四季の研究生を経て、佐野史郎さんらも所属していたシェイクスピア・シアター(劇団)に入って。休学とかしているうちに、大学から除籍の通知が来ました(笑)。それで、大学を卒業して一般企業に就職する道は絶たれた、役者になるしかない、と思って。

【馬場】でも、舞台俳優じゃ、食っていけないですよね。

【吉田】おっしゃる通り(笑)。全く食えなかったですね。僕、20歳で結婚したんですよ。8つ年上の方で、収入もある方だったので…(笑)。そういう時期もありました。

【馬場】平成の入り口はフジテレビを中心に、トレンディードラマが全盛でしたけど、テレビには一切出てなかった?

【吉田】トレンディードラマには無縁でしたね。テレビドラマに出るようになったのは45歳を過ぎてからですね。つい最近なんですよ。トレンディードラマは、まぁ、いろんな思いがあって見ませんでしたが、映画『私をスキーに連れてって』は映画館で10回くらい観たと思います。

【馬場】それはご自身もスキーをされていたから?

【吉田】やはり、ユーミン(荒井由実/松任谷由実)ですね。僕が高校1年の時に、ユーミンはファースト・アルバム『飛行機雲』(1973年)をリリースして、音楽シーンにバーンと出てきたんですが、衝撃でしたね。いままでと全く違う!と、すごく興味が湧いて。そのユーミンをもろにフィーチャーした映画でしたので、大好きな映画でした。

トレンディードラマ全盛の時代に関しては、ヤキモチ、嫉妬しかなかったですね。どんどん時代が遊びの方向に行って、それについていけてない自分がいて。それを救ってくれたのが、ユーミン。LPを買って家で聴く分にはさほどお金はかからないから(笑)。ユーミンの音楽を聴いて、時代の気分を味わっていた感じですね。

■アウトドアスポーツが流行った平成前夜

【馬場】ユーミンについては第二夜(10月13日放送)でフィーチャーしますが、鋼太郎さんがいま、おっしゃったように、トレンディードラマ全盛のバブルの頃って、日本人が遊ぶようになった時代だったんです。

(オイルショック以降)バブルの直前まで、日本人の総労働時間は年間2100時間(週40時間以上)もあったんです。それがバブルの間に年間1840時間、週35時間くらいにまで減った。バブルの頃って、残業、残業ですごく働いていたイメージがあるかもしれないけど、実は余暇優先社会がはじまったのがこの頃。テレビのキャスターが交代で夏休みを取るようになったのもこの頃から。日本人は働きすぎ、もっと遊ぼう、という風潮があったのがバブルの頃で、今の「働き方改革」と同じことを言っていた。

 それで、テニスだ、スキーだ、サーフィンだって。バブル当時、スキー人口(1年に1回以上スキーする人の数)は2000万人と言われた。それが今、360万人。テニス人口だって当時は1500万人。今は、大坂なおみ選手や錦織圭選手が頑張っているけど、500万人程度。

バブルといえば、タクシーが拾えないとか、ティファニーに行列できたとか、クリスマスは赤プリ(当時あった赤坂プリンスホテル)でお泊りとか、そういうことがフィーチャーされがちだけど、それ以上に、テニスやスキー、サーフィン、ゴルフ、スキューバーダイビングといった、アウトドアスポーツを楽しんでいたんですよ。僕らもよく働いたけど、スキーには行ったし、芝居漬けだった鋼太郎さんでさえ、スキーに行ってたんですからね。

――改めて、お二人にとって平成はどんな時代でしたか?

【吉田】僕の中では昭和から地続きで区別はないんだけど、自分は昭和の俳優の生き残りだ、という認識はありますね。昭和の俳優は、飲み屋に行って、芝居のダメ出しをする(笑)。平成の俳優はそういうことしません。

【馬場】昭和はすごく長かったし、戦争もあった。1945年8月15日(終戦記念日)の前と後に比べたら、昭和と平成の区切りはあってないようなものかもしれないですね。平成の入り口と出口は、昭和ほど劇的に変わっていないけど、鋼太郎さんがおっしゃるとおり、若い人たちの価値観やものの考え方というのはドラスティックに変わったかもしれない。それに、平成の入り口ではトレンディードラマに無縁だったという鋼太郎さんが、出口ではドラマに映画に舞台にひっぱりだこという(笑)。

【吉田】そんな風に言っていただいて、ありがとうございます。平成に入って蜷川幸雄さんと出会って、大きな舞台に立たせてもらったのは、大きかったですね。ドラマだけでなく、今回の『大平成史』のような仕事もやらせていただいて。幸運に恵まれたと思います。

■放送情報
テレビ朝日『吉田鋼太郎の大平成史』
第1夜 10月6日(土)深夜0:35〜1:00
第2夜 10月13日(土)深夜0:35〜1:00

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