『きのう何食べた?』、普通ではない“特別な時間”を描くドラマ

『きのう何食べた?』、普通ではない“特別な時間”を描くドラマ

テレビ東京ドラマ24『きのう何食べた?』(C)「きのう何食べた?」製作委員会

放送開始前から多くのドラマファンの間で「今クールの大本命」と期待されていた、西島秀俊&内野聖陽W主演のドラマ24『きのう何食べた?』(テレビ東京)。よしながふみ氏の同名人気コミックのドラマ化で、2LDKのアパートで月2万5000円の食費で暮らす、弁護士のシロさん(西島)と美容師のケンジというアラフォーの男性同士カップルの日常を描く作品だ。

■ゲイカップルの「ほのぼのとした日常」を描く理由

『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)のほか、『女子的生活』『弟の夫』(NHK)、『隣の家族は青く見える』(フジテレビ系)、さらに今クールの『腐女子、うっかりゲイに告る』(NHK)など、近年はLGBTを扱うドラマが増えている。こうした流れを受け、「男女の恋愛と変わらない、普通の王道恋愛ドラマとして描かれている」と語られることは多い。

 しかし、本当にそうだろうか。『きのう何食べた?』で描かれているのは、とりわけほのぼのとした静かな「日常」だ。そして、それはちっとも当たり前なんかじゃない、普通じゃない。互いの注意深い暮らしと思慮深さ、深い愛情の上にギリギリに成り立っている、特別に大切な時間に見えるのだ。

 シロさんは45歳の弁護士で、容姿も良く、ゲイであることを隠して生きている。料理上手で、倹約家。お金の管理にも摂取カロリーにも非常にストイック。しかし、仕事に対しては「やりがいは求めず、毎日18時に上がれることを最優先」している。

 一方、ケンジは43歳の美容師で、貯金もなく、余計なモノもつい買ってしまう、無邪気で素直なタイプ。職場でもお客さん相手にも、自分がゲイであることをカミングアウトしている。

 一見、年上でしっかり者であまり感情を表に出さないシロさんだが、西島の抑えた演技のなかに、意外に情に厚く、「巻き込まれ体質」であることが滲み出ていて、それが作品におかしみを与えている。逆に、素直で無邪気で優しく、フワフワしているように見えるケンジだが、内野の表現に見える繊細な目配りや優しさは、強さや包容力を感じさせ、ケンジがリードしているカップルなのだろうことを想像させる。ふたりの空気感は実に自然で、ほのぼのと心地よい。

■ふたりの空気感に気づかされる「当たり前」の難しさ

 とはいえ、職業も生活リズムも性格も、ゲイであることのスタンスすらもまったく異なる対照的なふたりが「ほのぼの幸せな日常」を過ごせるのは、単に相性の問題ではない。どちらも相手のことを最優先に考え、「ともに食事をする時間」を何より大切に丁寧に過ごしているからだ。

 例えば、食べやすいようにと、炊き込みご飯の鮭をほぐしてくれていたり、接客業の恋人のために、大好きなにんにくたっぷりの食事は休前日に作ったり、「美容師は手が命だろ」と重い荷物を持たせなかったりするシロさん。ケンジはちゃんとそうした配慮にいちいち気づき、「すっごい美味しい!」「これ、大好き」「(帰り道に)偶然会えるなんて幸せ」「幸せ。最高ーっ!」と、嬉しい気持ちをその都度、躊躇なく言葉にする。

 こうしたふたりの相手を思いやる優しい世界に、ハッとさせられた視聴者は少なくないのではないか。なぜなら普通の夫婦やカップルの場合は、一緒にいることが「日常」になると、すぐにそれに慣れてしまうから。そして、「日常」の相手のことは、それが当たり前になり、気を遣う、思いやる、心を砕く対象としてのプライオリティがどんどん下がっていく。それは怠慢である一方で、安心感や絆の証でもある。

 それを痛感させるシーンが第1話にあった。ケンジがお客さんに自分がゲイであることをカミングアウトしたうえ、恋人のこと、さらにふたりの「男役・女役」の役割まで話したことを知り、シロさんは激怒する。

 そこでケンジはめそめそ泣きながら、こう言うのだ。「ごめん……でも、うちの店長はお客さんに自分の奥さんや子どもの話をするよ? なんで俺だけ、自分と一緒に住んでる人の話を誰にもしちゃいけないの?」。ふたりの関係性を「当たり前の日常」にすることが、いかに難しいかを感じさせる言葉である。

 また、第3話では、シロさんの手作り弁当を持参したケンジが「円満だねえ。羨ましいねえ」と店長に言われ、逆に夫婦関係について尋ねるシーンがあった。そこで店長は言う。「普段、会話があるわけでもないしさあ。せいぜい子どもの話か、よほど大事なことじゃない限りね」。

 普段そっけなくとも大事なことは話すという店長夫婦の「当たり前の日常」を羨ましく感じるケンジ。両親とのことで悩みを抱いていそうなシロさんが「大事なことは話してくれない」ことに寂しさを感じているのだ。それと同時に、「お金が好きだね」とケンジに言われてしまったシロさんにも、理由がちゃんとある。同性カップルで、子どもを持つことを諦めているからこそ、自分の選択に責任を持つため、老後に備えて貯金をする。

■「一緒に食事をすること」が意味するもの

 ふたりを取り巻く人々の反応もさまざまだ。シロさんの母親は、同性愛者を理解しようと、オフ会に参加して必死に勉強し「職場でカミングアウトしてるんでしょうね」「同性愛者なのは恥ずかしいことじゃない」と正面から力説する。しかし、「シロさんがゲイでも犯罪者でも受け入れる覚悟ができている」と「犯罪者」と並列でゲイについて真剣な表情で語りもする。

 また、父は「で、どんな女だったら大丈夫なんだ?」と優しく尋ねる。いずれも息子のことを思い、愛するからこその悩み、戸惑いから出た言葉であり、それがわかるからこそ重く窮屈にのしかかってくる。

 シロさんの「主婦友」の佳代子さん(田中美佐子)は、娘と夫に「この人、ゲイなんだって」とあっけらかんとした様子で明るく言い、夫は「ゲイの人はみんなそんなハンサムなものですか」と感心してみせたり、同情してみせたり、「ゲイ同士だから仲良くなれるのでは」とゲイの知人を紹介したりする。そこにも悪意はまったくなく、ネアカで健全なファミリーゆえのデリカシーのなさがあるだけ。しかし、シロさんは苦笑したり、閉口したりしつつも、この距離感を心地よいと感じる。それは他人だからこその距離感だ。

 そして、そんなシロさんとケンジの「当たり前じゃない」関係性をつなぎ、しっかりと地に足ついた安心できる「日常」にするための行為こそが、「一緒にご飯を食べること」なのだ。ふたりは、互いのことを考え、互いの身体をいたわりながら、ご飯を作ったり、その思いをちゃんと感じて感謝し、言葉で伝えたりしつつ、その時間を何より大切なものとして共有する。

 仕事のやりがいや、高い給料、名誉などよりも、大切にしたいのは、一緒にご飯を食べるささやかな時間。ふたりは決して多くを求めず、プライオリティの最上位にしていることが「ふたりの食事のひととき」だからこそ、ほのぼのした日常生活の風景がこんなにも愛おしく、美しいのだろう。
(文/田幸和歌子)

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