歴史的なオンライン音楽イベント日本語版放送に挑んだフジテレビ

歴史的なオンライン音楽イベント日本語版放送に挑んだフジテレビ

日本語版放送の進行を行った三田友梨佳アナウンサー(左)と音楽プロデューサー・松任谷正隆氏

全世界がコロナ禍に見舞われるなか、レディー・ガガが発起人となった大規模なチャリティー・コンサート『One World: Together At Home』が、日本時間19日午前3時より開催された。プレイベントパートとコンサートパートの2部構成、8時間に及んだ同イベントを、生配信で楽しんだ方も多かっただろう。そして、同日の25時30分からは、約2時間のコンサートパートの日本語字幕版が、フジテレビ系列で地上波とCS、FODの3波で放送された。イベント開催が発表されたのは4月6日(現地時間)、WHOの記者会見にオンラインで参加したガガの口から明かされた。それからわずか2週間足らずで本番を迎えるという迅速な進行には驚かされたが、それは、解説と歌詞の日本語字幕版の放送を実現したフジテレビにとっても同じだった。意義と使命を感じながら、全てがあり得ないスピードで進められていった。

■「私たちは世界市民」全世界に配信されたチャリティーライブ『One World: Together At Home』

 本イベントは世界的に流行する新型コロナウイルスの被害を受けている世界の人々が団結し、また最前線で尽力する医療従事者や対応に献身する人々への支援を目的に企画された。奇しくも世界で共通する課題を持ったことで、「グローバル・シチズン(=地球市民)」という意識を高めることができる。そんな想いを寄せる非営利団体のGlobal Citizenが、世界保健機関(WHO)とともに主催した。

 出演者の顔ぶれもそうそうたるものだった。なかでもコンサートパートでは、イベントのキュレーターを務めたレディー・ガガをはじめ、ポール・マッカートニー、ザ・ローリングストーンズ、エルトン・ジョンやスティーヴィー・ワンダー、そして史上最年少18歳で今年のグラミー賞を総なめしたビリー・アイリッシュといった世界中のトップ・アーティストが名を連ね、自宅からパフォーマンスを披露した。その映像はウェブメディアを中心にグローバルで同時配信され、さらには、アメリカ3大ネットワークもコンサートパートを同時中継。楽曲を通じて力強いメッセージが届けられた。日本でもYouTubeやAmazonプライム・ビデオ、Hulu、FODなどで、リアルタイムで視聴することができた。だが、英語版が基本とされたため、より多くの日本人が深く理解するには日本語による解説もあるとなおさら良い。意義のある内容だけにそんなことも求められた。

■本番まで11日、世界的イベントの日本版の放映実現に動き始めたフジテレビ

 フジテレビで歌番組やバラエティなど数多くの番組を手がけてきた黒木彰一氏(編成制作局制作センター第二制作室ゼネラルプロデューサー)が、編成局長から同イベントの放送実現が可能かと打診されたのは、本番から数えてわずか11日前のことだった。地上波での放送のチャンスがあると思っていなかった黒木氏は、大急ぎでガガやスティーヴィー・ワンダーのマネジメントに連絡して、窓口となっているGlobal Citizenを紹介してもらう。旧知の電通ネゴシエーションションチームにも声をかけ、一緒に動いてもらった。

 一番の懸念点は「CM問題」だった。地上波放送の条件として、最初から「番組中のCM不可」はわかっていたが、これは民放テレビ局としては大きな決断が必要とされる。なぜなら、利益がゼロとなり、制作費だけが膨んでしまうからだ。それゆえ黒木氏は「CMを入れて地上波で日本版を作成」という条件交渉から始めたが、なかなか交渉が進まない状況で行き詰まってしまう。

 そんな折、社内の別部署に別ルートから同様の話が届いていた。海外から番組の買い付けなどを行う永竹里早氏(総合事業局コンテンツ事業センターコンテンツ事業室)に、普段から付き合いのあるアメリカの大手配給会社から、同番組の売り込みの案内があったのだ。受け取ったのは週末の11日(土)。本番1週間前のことだった。

「自分の担当するCSとFODの生放送&配信は進めつつも、やはり地上波放送もやるべきではないか。しかし、平日5日間の稼働時間でCMを飛ばす判断を社が下せるとは思えない。でも、この意義ある番組をやらないのは勿体ない…」そんな悶々とした思いを抱えながら数日をやり過ごし、それでもあきらめきれずに、14日(火)の早朝5時に地上波の編成担当にメールを投げた。そこには長年の番組買い付けの勘もあったのだろう。すぐに「(制作の)黒木たちが動いている案件と同じではないか?」と返事があり、数時間後にこの件で話し合っていた。「今から間に合いますかね?」の永竹氏の問いかけに、「俺も絶対やりたいんだ!」と黒木氏。ここで地上波、FOD、CSでの3つの放送・配信への具現化に向けて、社内が一本化し、実現に向けて加速していった。

■CMなしの日本語版放送決定が下ったのは本番わずか3日前

 そこから、さらに主催のGlobal Citizenとの交渉は続いたが、「CMを入れて再編集をする」というフジテレビ側の希望は思うように通らない。1度は諦める方向に傾きかけたが、本番3日前の16日(木)になって急転直下、編成から「CMなしで2時間10分放送」という決断が下され、19日(日)25時30分からの日本語版放送が正式決定した。「あの時は本当に嬉しかった」と黒木氏は目を細める。

 あとは時間との闘いだった。黒木氏を筆頭に、これまでガガと直接仕事をしてきたディレクターや通訳たちを集めて、緊急制作体制が組まれた。日本語版の内容を詰めていくなかで、元の英語版では、アーティストの出演順はもとより歌唱楽曲など、種明かしされるのは配信当日であることがわかった。アメリカでもギリギリのスケジュールの中で制作されていたからだ。それでも、黒木氏は「伏線があったから心配はしていなかった」と話す。その伏線とは「1985年にフジテレビがLIVE AID(ライブエイド)の日本版を放送していたこと」と「ガガへの深い共感と信頼」だった。

 20世紀最大のチャリティー・コンサート『LIVE AID』放送当時、黒木氏は高校生だった。日本での放映権を獲得したフジテレビの中継に感動を覚え、その模様を収録したVHSテープは今も自宅にある。もちろん社内にも記録データは残されており、当時の裏話の数々は、先輩から後輩へと語り継がれている。因みに、当時の編成局長は現在、フジサンケイグループ代表を務める日枝久氏、プロデューサーはエグゼクティブプロデューサーの石田弘氏である。「今回やることの意味を、編成、制作の人間をはじめ、報道NY支局、営業、ネットワーク…、社内が非常に迅速に協力してくれました。これは本当に嬉しかった。だから、リモートワークという制限もあるなかで、家に居ながらも素早く動くことができました。海外出張に行かないと作れないという今までの作戦がもう通じなくなってしまう…と心配になるくらい(笑)」(黒木氏)

■歌詞に込められたアーティストのメッセージを丁寧に届けるー日本語訳に込めた思い

 もう1つ。「ガガのやることはピントがぶれない」そう黒木氏が信頼を寄せるには理由がある。これまで担当した番組に、彼女は何度かゲストで登場している。忘れられないのは、東日本大震災が起きた11年の出演だ。海外アーティストの来日が軒並みキャンセルになるなか、6月に来日した彼女は、『SMAP×SMAP』内のコーナー「BISTRO SMAP」で、「私は今、東京で食事をしているのよ」と語り、Twitterでも発信した。これは、国内のみならず、世界に向けた大きな意味のあるメッセージとなった。それだけではない、収録に臨む彼女の姿勢にも強い共感を覚えたという。「どういう美術セットで、何の歌をどんな演出で歌うのか、自分の意見を持ち、それを我々制作サイドと直接話し合って作ってきました。いつでも自分の熱量で以て行動に移していき、そこには打算がない。だから、いろいろなアーティストから尊敬され、頼りにされているのだと思います」(黒木氏)

 今回、日本版制作を行う過程で制作陣がこだわったのは、歌詞の日本語訳だった。「配信で誰でも観ることができるソフトだから、選曲と歌詞の意味をいかに日本語で伝えるかを意識した」(黒木氏)。しかし当日にならなければ、歌われる曲もわからない。歌詞のアレンジも想定されるため、当初は、「最低でも半分は入れる」という目標設定で臨んでいた。しかし19日当日、番組の全貌がわかった瞬間、制作スタッフの全員一致で、全曲に日本語訳を入れることに決めた。歌われる歌詞の内容こそアーティストのメッセージであり、それをできるだけ日本語で丁寧に伝えるべきだと思ったからだ。その結果、全20曲のほぼ全てにオリジナルの日本語訳が付けられた。編集室を3つ同時に進行して作業は行われた。努力の甲斐あって、視聴者からは「日本語訳が印象的だった」という反響を得る結果に繋がった。

一方、契約から放送当日に至る過程のなかで契約という重要な役割を担った永竹氏は「通常は3ヶ月かけて動いていくことが、10日足らずで進んだ」と振り返る。重要な契約書へのサインも今回に限っては、永竹氏の名前による電子著名で主催者に送られた。「時差があるため、夜中も稼働しないと正直なところ間に合いませんでした。放送前のタイミングで地上波のニュース枠で番組放送を告知することも重要なタイムスケジュールの1つ。その前に契約書を締結し、海外送金も済ませないといけない。逆算しながら動いていきました」。主催者側も世界90ヶ国を相手にスピーディに事が運ばれていった。「先方も重要なマーケットの1つである日本で中継して欲しいと思ってくれているからこそ、レスポンスが早く、協力的だった」という。やりとり1つひとつにも、共通する課題に取り組む「グローバル・シチズン」としての一体感を感じることができたようだ。

■日本語版放送をきっかけに社内に生まれた新たな広がり

 無事に放送を終えた後、この放送をきっかけに社内で新たな広がりも生まれている。5月6日には氣志團・綾小路翔を実行委員長に据えた「家フェス」なる『STAY HOME!STAY STRONG!〜音楽で日本を元気に!〜』が企画、放送された。また『One World: Together At Home』の制作チームが新たなYouTube動画を作っている。榎並大二郎アナウンサーが早口言葉に挑戦するという軽いタッチの内容にもしっかりと「Together At Home」という想いが綴られている。

 エンタメビジネスの世界では、もしかしたら「気持ちで動く」ということが忘れかけていたのかもしれない。『One World: Together At Home』そのものにも、そして日本語版制作の裏舞台からも、共通して気持ちが原動力になっていることが伝わってきた。世界で足並みを揃えることができたこの経験から、新たなビジネスの種を生み出していくことも十分にあり得るのではないか。そう信じたい。
(文・長谷川朋子)

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