前田美波里、“自立した女性像”はイメージ先行「ギャップを埋めるのに何十年もかかった」

前田美波里、“自立した女性像”はイメージ先行「ギャップを埋めるのに何十年もかかった」

18歳にして資生堂ポスターモデルに起用された前田美波里(画像提供:資生堂)

1966年、高校生にして資生堂広告に起用された前田美波里(71)。ポスターは街から持ち去られるほどの反響を呼び、一躍ブレイクのきっかけとなった。その後、人気絶頂の際に一度は芸能界を離れて渡米するも、再び復帰。デビュー56年目を迎える今も、女優として活躍し続けている。時代に先立って“自立した女性像”を確立してきた存在に感じるが、当時はそのイメージとのギャップも感じていたという。どのようにして自分らしい生き方を見つけたのか、前田に聞いた。

■ポスターが持ち去られるほどの反響も「突然人生が変わってしまった葛藤があった」

 今回、年齢を超えた美しさを持つ存在として、1日よりスタートした「SHISEIDO」グローバルキャンペーン『超えていこう。明日はもっと美しい。』のアンバサダーに就任。ロシアのフィギュアスケーター・ザギトワ選手らとともに、「#Beauty is Boundless 美に境界線はない」ことを体現する存在として、メッセージを世界に発信していく。

――1966年の資生堂のポスターで、突如注目を浴びるきっかけとなりましたよね。

【前田美波里】高校生時代、東宝劇団員だった私の写真が東宝のカレンダーの表紙に起用されたことがきっかけでお声がけいただきました。撮影の際には「100枚撮るから全部違う顔して」と言われて、「えぇ〜100枚?!」と愕然としてしまって。だんだん疲れて気に入らなくなってしまい、怒った顔になってしまう今度はそれが良いと言われて(笑)。初めての撮影だったので、何が良いのか、何を要求されているのか訳が分からなくなり、色んな顔をしたのを覚えています。

――当時、ポスターが街から持ち去られるほど人気だったそうですね。

【前田美波里】それは私自身もびっくりしました。外に出たら近くの学生さんたちがずらーっとついてくるんです。一夜にして、シンデレラのように突然自分の人生が変わってしまったようでした。

――以前、前田さんが”芸もないのに名ばかり売れてしまった”って言う表現をされていましたが、外見ばかり注目されることにネガティブな気持ちもあったのでしょうか?

【前田美波里】本当はステージに立ってコツコツと自分を磨いて役者になろうとしていたのに、一気に名前ばかりが先行してしまい、そのギャップを埋めるのには何十年もかかりました。また、そのあと水着の撮影のお仕事ばかり頂いていたので、抵抗もありました。照れくさいし、乙女心に傷がついたというか。もう少し普通の格好で撮ってもらえないでしょうか…という葛藤がありました。

■42年ぶりに資生堂CMに再び登場「今度は胸を張って、最高の笑顔を出すことが出来た」

――その後、日本の芸能界を一度離れアメリカへ渡ったわけですが、どういった経緯だったのでしょうか?

【前田美波里】芸能界に入って色々な声を耳にするようになり、傷つくことに疲れてしまって、「早く結婚して家庭に入ろう」と思うようになり、結婚して、新婚旅行を兼ねて夫婦でアメリカでの生活を始めました。

――その後再び日本に戻り、舞台女優として40年に渡って舞台に立ち続けられていますが、復帰後は立ち止まったり迷ったりすることはなかったのでしょうか。

【前田美波里】ないですね。むしろ、今回のコロナ禍で舞台に立てなくて、こんなに苦しいことはなかったです。無くなって初めてそれをすごく強く感じますよね。毎日やり続けるという事はかえって楽なことであって、また立てるのだろうか、同じようにセリフを言ってきちっとやり遂げられるんだろうかという不安だらけで眠れませんでした。ステージ上に立って、観客の前で1人の女性像を演じきること自体が自分の生き様で、生きている意味でもある。それほど舞台が好きなんですよね。

――2008年には再度、資生堂のCMに抜擢されたことで話題になりましたが、初めてポスターに起用された42年前と比べ、心境に違いはありましたか?

【前田美波里】全く違いました。役者として自分自身の力で道を歩んできて、ここでまた声をかけていただけたというのはとても幸せでしたし、胸を張って自分の最高の笑顔を出すことが出来ました。今まできちっと生きてきたという自信からだったのでしょうか。自分がコツコツとずっと磨いてきた人生を撮って頂けるという安心感があったんです。最初のポスターは恥ずかしいなという思いもあって。でも、今思えばもうこんなに素晴らしいポスターは中々撮ってもらえないですし、芸能人としての最高のスタートを切らせていただけて、こんなにラッキーな人間はいないですよね。60歳になる頃には恩返しがしたいと思っていて。資生堂さんのために何かできればと思いながら引き受けたという気持ちです。

■「年齢を気にしたことない」自然体で生きる前田美波里が考える“女性の自立”とは

――現在、“女性の自立”が社会的にも重要視されていますが、前田さんは時代に先立って体現された存在のように感じます。 “女性の自立”について、どういうお考えをお持ちですか?

【前田美波里】私自身も結婚当初は、仕事が増えても家に帰って毎日食事の支度をしていました。主婦もとても素晴らしい仕事なので、それを選んで他を削ぎ落として生きていくのは素晴らしいことだと思います。仕事と両立したい場合は、その倍大変な思いをしなくてはいけないですが、自分が選んだことであればどちらも疎かにせずにやったほうがいいと思います。どちらにしても、自分はこれだと思うことを30代、40代には決めておいた方がいいのではないでしょうか。

――前田さんは、昔から自分の足で立って生きていこうという気持ちが強かったのでしょうか?

【前田美波里】そんなことはないです。資生堂さんに自分の意思をきちんと持った女性像を描いていただいた割には、日本の古い感覚といいますか、やはり主人の後ろについていこうという考えでしたから。それも全く悪いことではないですけどね。自分が望み、目指す世界にもっと早く気づいていれば、もっともっと勉強出来たのではないかなと、今では感じています。

――今回、“年齢を超えた美しさを持つ存在”として「SHISEIDO」キャンペーンアンバサダーに就任。昨今、いつまでも若々しくいることが女性に強く求められているようにも感じますが、今まで“年齢という壁”を感じたことはありますか?

【前田美波里】全くないですね。年齢を気にしていたらこの歳まで仕事をしていないかもしれないですし、年齢を気にせず生きてきました。自然に生きているわけだから、意識し過ぎてもしょうがないですし、早く夢中になれることを見つけて、それに向かって生きていくことが大切だと思います。

■生きる上で一番大切なことは「本当のことを言ってくれる人が周りに何人いるか」

――周囲から年齢に対するプレッシャーを感じたり、同世代の方が必要以上に年齢を気にしすぎたりしているように感じることはありますか?

【前田美波里】今や私が一番年齢がいっているなという現場ばかりなんです。監督のお母さまが私と同じ年齢ということもありました。その際には「皆さんと同じように注意してね」と伝えると、すごく良い笑顔で「分かりました!それでは好きなようにやらせてもらいます!」と言われて、とても良いお仕事をさせていただけたんです。年齢を重ねたからといって奉るのではなく、マネージャーや周りの皆さんに意見を聞いてみるのは大事なことですし、自身の成長につながります。本当のことを言ってくれる人が周りに何人いてくれるか。それが自分の生き方で一番大切なことであり、宝物だと思っています。

――年齢を重ねることや失敗することをマイナスに捉えている方は多いように感じますが、前田さんは逆なのですね。

【前田美波里】失敗すると、次にはそういうことにならないように努力しようという気持ちになりますし、大切なのは怖がらずに自分から外に出て行ってたくさん経験することですよね。もうこの年齢になると失敗したっていいじゃない。人生そんなに長くは生きられないんですから。

――前田さんの思う、“美”とは?

【前田美波里】やはり、外見の美しさよりも、内面から優しさとか相手に対する思いやりがにじみ出ている無理のない美しさの方が見ていて豊かな人に見えます。素敵な方に出会うと真似をしたいですし、目標にして生きていこうと思います。心の優しい人や、人を助ける為に細やかに軽く腰を動かせる人を見ているとすごく素敵だなと思いますし、私もそういう人でありたいなと思います。

当時、自身の思い描いていた理想とは違う形で世の中から注目を浴びた前田美波里。改めてデビュー当時のポスターを見ると、とても10代とは思えない内から溢れ出る意思の強さを感じる。当時高校生だった前田は、「外見ばかり評価されてしまった」と感じたというが、人々は彼女の瞳に映る気概こそに魅了されていたのではないだろうか。
その後、年齢を重ねても決して奢ることなく、周囲の意見を何よりも大切にしながら研鑽し続ける謙虚な姿勢に、本物の美しさを感じた。


(取材・文=鈴木ゆかり)

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