海とハワイと立川談志B【しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー 第六回】

師匠のお気に入りの海の前で
天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。

今回は、娘・松岡ゆみこさんが最後に師匠と行ったハワイの話。師匠らしいハワイでの過ごし方が満載。

* * *

父と最後にハワイに行ったのは、私が30代前半に六本木でお店を始め、離婚した直後。30年近く前か。その時は父が久々に「たまには正月ハワイにいくか! ビジネスクラスでロイヤルハワイアンに泊まろう!」と言ってくれた。父が自分でお金を払って行こうというのは珍しい。その時は母と3人で行き、後から私のボーイフレンドも来た。

父は「移動の時間は全て遠足だ」と言っていて、飛行機に乗る時も必ず母の作ったおむすびやお弁当、家にある食べ物をなんでも持って行く。ファーストクラスであっても、それらを広げてムシャムシャ食べる父が貧乏臭くて嫌だった。

ホテルから拝借したビニールのシャンプーキャップの中でグレープフルーツを丸ごと剥いて、ビチャビチャになりながら食べた皮をそのシャンプーキャップで包んで捨てる。この食べ方は父が発明したとばかりにどこでも自慢げにやっていた。父が機内で食べるもので一番嫌だったのが豆腐ようで、ラップに包んだ豆腐ようを爪楊枝でチビチビ舐めながら、お酒を呑んでご満悦な姿を私はいつもしかめっ面で見ていた。

父はCAさんを女中のようにこき使い、ボールペンとか絵葉書とか貰えるものは全部貰い、大量の食べ物を持ち込んでいるにもかかわらず機内食も全部頼んだ。禁止されているのに「バレなきゃ大丈夫だ」と残った食べ物を持ったまま、どこの国にも入国していた。ハワイの時は、腐って糸が引いているご飯でも、魚のエサにと大事に隠し持っていた。

母の手荷物のカバンに、父がみかんを入れていた。ホノルル国際空港で預けた荷物が出てくるのを待っていると、赤いベストを着させられたビークルの探知犬が、母の側に寄って来た。動物が苦手な母は怯えていた。

税関に行った母は、みずからカバンの中からみかんを出した。もちろんそれは没収された。父は「なんでみかんを出したんだ! 自分から出すバカがいるか!」と散々母をなじった。母は「だって犬が来たじゃない、怖かったんだから!」と反論していたが、空港から一歩出るとハワイの空気と日差しとどこか甘いような香りに、2人共それ以上喧嘩にならなかった。

年末年始のハワイお約束の芸能レポーターの方が、父にインタビューをしてきた。その直後、サングラスにアロハ姿の、痩せて日焼けした男の人が私たちに近づいて来た。サングラスを外すと、その人は楽太郎さん(円楽師匠)だった。連絡もしていないのにどうやって迎えに来てくれたんだろう? ホノルルにコンドミニアムをお持ちの楽太郎さんは、父の荷物をサッと持って、車を運転してホテルまで送ってくれた。

チェックインも楽太郎さんがしてくれた。部屋に行くと楽太郎さんが「師匠、明日どこに行きたいですか?」と聞いた。父は自分が運転免許を持っていないので、車を運転できる人にはすぐに甘える。「ハナウマベイに行きたい」と言った。「わかりました。明日お迎えに参ります」と言って帰って行った。

その後、父と母は少し寝ると言って、2人で赤と白のチェックのお揃いのパジャマに着替え、ピンク色のシーツがかけてあるキングサイズのベッドに並んで入った。びっくりしてしまった。それまで両親が一緒の布団に寝ているのを見た事がなかったのだ。母は子供たちと寝ていたし、いつも夫婦別々の部屋で、煎餅布団で寝ていた。ふたりから「ツインの部屋に変えてくれ」と言われると思っていた私は、肩透かしをくらった。

翌日、楽太郎さんはゴザ、パラソル、奥様手作りのおにぎり、アイスボックスなどを持って迎えに来てくれた。完璧だった。いつも父とハナウマベイに行く時は、有料のパラソルは絶対借りてくれないし、食べ物も自分の分だけ持って、自分勝手に気のすむまでシュノーケリングをする。食べて残ったものは、私にではなく魚あげていた。

それに比べて、その日のハナウマベイは楽太郎さんのおかげで快適だった。父が何時間も泳いでいる間、パラソルの下で楽太郎さんと冷えたビールを飲み、おしゃべりをして父を待っていた。すると、ビーチにいた日本人が楽太郎さんに気付き「写真を一緒に撮ってください」と言ってきた。1人撮ると何人も寄ってきて、私は何組ものツーショットを撮った。泳ぎ疲れて海から上がってきた父とホテルに戻り、夜も楽太郎さんが和食をご馳走してくれた。

その時何泊したのか思い出せないが、父は藤田観光の方に頼まれて、広い和室の宴会場で落語もした。大晦日はレイチャールズのカウントダウンショーに招待されたが、父は「オレは行かない。部屋で崎陽軒の焼売を食べる」と言うので、母と私とボーイフレンドとで行った。

ショーの帰りに折角のハワイのカウントダウンなのだからレストランに行こうとしたが、どこも予約でいっぱいだった。仕方なく、見るからにダメそうなレストランに入ったら、想像以上に不味かった。0点だった。

ホテルに戻ると、父が焼売と白飯を温めて食べていた。凄く美味しそうで羨ましかったが、不味いレストランに行った事を話せば叱られて「ほらみたことか、オレが正解!」と威張られるに決まっていた。だから「パパ、一口ちょうだい」とは言えなかった。

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