現代イスラーム研究の第一人者・内藤正典氏インタビュー【前編】「カショギ氏暗殺事件は中東崩壊を招きかねない」

現代イスラーム研究の第一人者・内藤正典氏インタビュー【前編】「カショギ氏暗殺事件は中東崩壊を招きかねない」

揺れる中東情勢の正しい見方を解説する内藤正典氏

サウジアラビア人ジャーナリストのカショギ氏暗殺や、安田純平氏の解放と帰国後の彼へのバッシングなど、中東に関わる話題がお茶の間やネットをにぎわせているが、"中東の盟主"サウジは、今回の暗殺事件を契機に大きく揺れている。

ヨーロッパでも"EUの盟主"ドイツが難民・移民問題で青息吐息で、メルケル政権も風前の灯火だ。英国離脱もあり、EU全体が瓦解しかけている。

ところが、このタイミングで日本政府は世界に逆行するかのように"移民政策"とも取れる方針を発表した。

中東やイスラム、移民問題にも詳しく、『限界の現代史 イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序』(集英社新書)を上梓したばかりの、同志社大学大学院教授・内藤正典氏に話を聞いた。

***

――シリアで武装勢力に捕らわれていたジャーナリスト・安田純平氏が解放されて帰国しましたが、彼に対してテレビやネットで大バッシングが起こっています。

内藤 解放のために支払われた身代金がテロリストの手に渡ってテロに使われるとか言ってる人がいますが、身代金を払ったなんて事実はないし、ありえません。

――身代金の支払いはなかった?

内藤 ええ。「カタールが払った」なんて説もありますが、全くありえないです。イギリスにあるシリア人権監視団というところが、トルコとカタールの同盟関係から「カタールが払ったんじゃないか」と言ったんですが、シリア人権監視団って、そもそもシリア反政府・武装勢力のフロント企業ですから。そういう一つ一つの関係を理解せずに、何でも自己責任論に結びつけるために使うんで、とんでもなくトンチンカンです。

カタールという国が今、中東の中でどういう状況に置かれているかを考えれば明白ですよ。カタールは隣のサウジから見たら、盲腸のように飛び出た形の国ですが、サウジが今、カタールに対して怒り心頭なんです。

――サウジはカタールに経済制裁をしてますね。

内藤 ええ。経済制裁の理由は、カタールが、サウジが嫌いなイランと仲良くしているからですが、サウジの記者カショギ氏の暗殺事件の報道で、またサウジを怒らせたんです。あのニュースがなぜこんなに世界中にわっと広がったのか? トルコのメディアはほとんどトルコ語だから、そんなに広げるのは無理です。あれを瞬時に世界中に広げたのは、カタールのアルジャジーラという国際衛星放送局が、あのネタをほぼ二十四時間出しっ放しにしたからです。

トルコとカタールは仲がいいので、トルコから得た情報をじゃんじゃん報道して、殺人事件がどう行われたかということを世界中に知らしめた。それでサウジアラビアはカタールに対して怒り狂っている。そこでもしカタールが身代金なんか払えば、それこそテロリストに資金を与えたことになって、サウジに非難されるのは目に見えてる。だからこの状況でカタールが、そんなバカなことをするはずがないんです。

――なるほど。

内藤 もうひとつ言うと、安田氏を人質にとっていたのは、おそらくシリアの反政府側の武装勢力で、アルカイダ系かシャーム解放戦線か、いろんな説がありますが、いずれにしてもカタールが、そのスポンサーだったことは確かなんです。いろんな形で支援している。そんなスポンサーが、自分の手下から人質をとり返すのに身代金を払うなんて、ありえないでしょう? 日本でいえば、広域暴力団傘下の小さな組が誰かを拘束していて、その人を解放させるために、本家が身代金を払うなんてありえますか? それと同じです。

――わかりやすいたとえですね。

内藤 それと、安田氏が拘束されていたというイドリブというところは、シリア反政府派の最後の拠点なんです。今、反政府側は完全に負け戦で、アサド政権側はかつて、非常に残忍にアレッポやダルアを総攻撃して膨大な数の市民を犠牲にしたし、そのために凄い数の難民が出たわけです。

今回、最後の反政府派拠点のイドリブについて、「そういう悲劇はもうやめよう」ということで、9月にソチでロシアのプーチン大統領とトルコのエルドアン大統領が会談し、総攻撃を回避するかわりに、過激な武装勢力を全部武装解除する、そして、過激派についてはトルコ側に撤退させるという条件で合意したんです。そのためトルコの情報部がイドリブに入って、たぶん一個一個、過激派の組織を訪ねて、「おまえら、早くここから出ろ、出ないと二度とトルコ側にも入れないぞ」とやっていて、その最中に安田氏を見つけたということなんです。

――安田さんに関する議論の中で、「そもそも日本政府の勧告を無視してそんな危ないところに行くな」という意見もありますが......。

内藤 政府はそう言うでしょう。だけど、ジャーナリストは行くでしょう。

――そうですね。ジャーナリストの役割としては、現地の情勢を自分の目で見て世界に知らせるためには、危なかろうと何だろうと行かざるを得ない。

内藤 当然です。ただし戦争をやっているところに行くなら現地の言葉ぐらい身につけてから行くべきだとは思います。安田氏がアラビア語ができるのかどうかは知りませんが......。言葉がわからないと、相手が自分をだましているのかどうかということが、全く判断つかないんです。現地のコーディネーターを頼んでも、何年も戦争をやっている場所ですから、彼らにしてみれば、売れるものは何だって売る。そういう状況ですから、現地に取材に行って、近づいてくる人間が善人である保証なんて全くない。だからこそ言葉ができないと。「言葉をなめちゃいけない」ということだけは、私は専門家として言いたいです。

――カショギ氏暗殺に話を戻しますが、これはサウジアラビアの体制崩壊にもつながる可能性もあるという話も出ていますね。

内藤 『限界の現代史』にも書きましたが、サウジアラビアに限らず、中東全体が崩壊寸前というか、半ば崩壊しかかっています。サウジについて言えば、今回の事件は、自分で自分の足を撃った、それくらい決定的なことですね。

今の中東で、サウジとUAE(アラブ首長国連邦)、バーレーン、エジプトの4国は、イスラエルのために動いていると言っていい。どういうことか。サウジはイランが嫌いで敵対している。地域の覇権を競っている相手だし、イランはシーア派の国だし、いろんな理由があって、敵なんです。そして、あの地域で同じくイランを最大の脅威だと思っているのがイスラエルです。だから、敵の敵は味方同士になるわけで、サウジとイスラエルは利害が一致する。

この2国の仲を取り持ったのがクシュナー。トランプの娘イヴァンカの婿で、大統領上級顧問です。それでサウジは調子に乗って、「これでアメリカが自分のバックについた」と思っているし、実際、巨額のお金でアメリカから武器を買っているわけですから、トランプ政権にとっては大変なお得意様になった。アメリカをお得意様にしたことで、何でもできると思い込んだところが、サウジのムハンマド皇太子のどうしようもないところですね。

彼は皇太子になるやいなや、王族三百数十人を集めて、みんな刑務所――刑務所というのはリッツ・カールトン・ホテルですけど――にぶち込んで「財産を吐き出せ、自分に忠誠を誓え」とやった。逆らいそうな王族を一網打尽にするという暴挙をまずやったんです。

カショギ氏がムハンマド皇太子の逆鱗に触れたのは、彼の専制というのがいかんだろうということを言ったからですね。で、消されちゃったんです。カショギ氏自身も、民主化の旗手かというと、そこまでではなくて、もともと他の王子のメディア担当官をしていたんですが、その王子も権力から遠ざけられてしまったんです。

サウジアラビアっていうのは、国名が示すように、「サウード家のアラビア王国」なので、王族の持ち物なんです。ムハンマド皇太子にしてみれば「数百人との権力闘争に勝ち抜いて、この国を支配したのが俺だ、この国は俺のものだ」と。「その俺に盾突くとは何だ」と思っているわけです。だから、彼には別に悪いことをしている意識がないんです。

でも、自分のシマで消せばいいものを、トルコで消しちゃったもんだから、トルコとしては「おまえ何やっているんだ、うちのシマで殺しやっておいて、何の仁義も切らねえつもりか?」とエルドアン大統領がすごんだわけです。ところが、愚かなことに、サウジ側は二転三転、証言が変わっちゃうんです。最初は「いや、出ていったよ」と。

――にせものを出して。

内藤 そうそう。で、「死んだかも」。そして「言い争いになって不慮の死を遂げた」から、「いや、殺しちゃったんだけど、遺体はじゅうたんで簀巻きにして、トルコ側の協力者に捨てさせた」と。エルドアン大統領に「おまえ、そのトルコ側の協力者って誰なんだ? それなら遺体は何で出てこねえんだよ?」ってすごまれて、またそこで万事休すの状態になった。あまりにヘタですよね、言いわけするにしても。

でもトルコ側は確実に証拠を握っちゃっているんでしょうね。サウジの最高権力者が関与したことは間違いないと言っていますから、それがムハンマド皇太子を指していることは間違いない。

今、サウジの立場を支持しますと言っているのは、UAEとバーレーンとエジプトなんです。どこから見たってサウジがウソをついている、と皆が思っているのに、それを支持しちゃってる。これは、民衆レベルで考えると、「うちの国は何やってるんだよ」と思う。イスラム教徒って、やっぱりイスラムでやっちゃいけないことがあるわけで、それをやっておいてウソをついているというふうに見えちゃったら、権力を握る正統性が失われたと思われてしまう。そうなると中東全体で、「国のトップ連中はロクなことをやってない」という印象を深めてしまうことになって、地域の秩序が崩壊するもとになる。

――第二の「アラブの春」のような事態になりかねない?

内藤 そうです。そこで私も疑問なのは、トルコがどこまで追い詰めるつもりなのかということです。相手はムハンマド皇太子、全権を持っていて、国なんか自分のものだと思っているわけで。絶対しらを切り続けるはずなんですよ。すると、「俺は白だと言っているのに、因縁をつけたトルコとカタールは何だ」という話になる。すぐにはやらないと思いますが、どう報復するのかという問題にいずれ移ってくる。問題は、報復として何をするか。トルコにケンカを売るのは無理です。相手は証拠を握っている方ですから。そうすると、カタールに何をするのかというのが、今一番の懸念ですね。

大体、カタールはサウジから盲腸みたいに出っぱっているところですけど、「あそこに堀を掘って島にしてやる」ってサウジは言っていて、本当に島にしてしまうつもりらしい。それぐらいで済めばいいですけど、アルジャジーラにミサイルの一発でもぶち込むとか......まあ、そこまで手荒なことをやると、あまりにあからさまですが。

あくまで例えばですが、アメリカが今イランに対して、ばかげた制裁を始めましたけど、あれと同じ理屈なんか、いくらでも使えます。「カタールやトルコと取引しているところには、ウチの油は売らねえぞ」とサウジがひとこと言ったら、日本がまずパニックになる。日本が輸入している原油の4割はサウジ産だし、天然ガスは10%強がカタールからですからね。カタール産の天然ガスを使っている電力会社もガス会社も結構あるわけですから。

まだ今のところ、サウジはそういう素振りは見せていないですが、ただ、この後どこまで追い詰められるかによっては、石油を人質にとって世界経済を巻き添えにするぞ、と脅せる立場にいるんです。世界最大の産油国ですから。そんなことになったら目も当てられない。だから、トルコもあんまり追い詰め過ぎると、サウジが逆上して世界を巻き添えにするおそれがある。真理を暴くのはいいけど、今度はトルコが皆から批判されます。「あんなに追い詰めなきゃいいのに」と。だから、どこを落としどころにするのか。どっちに転んでもかなりリスクがあります。

――『限界の現代史』にも出てきますが、シリアのアサド政権も「虐殺なんかしてません」としらを切っています。

内藤 アサドは一人も殺していないって言ってました。今、世界を見ていてよくないと思うのは、「ウソをつき通した者勝ち」というのが、世界的な流行になってること。プーチンも習近平もトランプも安倍もアサドも、みんなそう。これでムハンマド皇太子もそうなっていっちゃうと、「どんなにひどいことが起きても、結局ウソついたもん勝ちだ」ということになって、秩序がもたない。その本の中で書いたのは、結局今、そういう時代に変わっちゃっているんだろうなということです。

これまでは、あんまりひどいウソをついたら、議会で野党勢力が批判して少し戻すとかしてました。でも、そういうことはリベラル・デモクラシーが機能してる国じゃないとできない。機能している最後のブロックがEUだったんですが、EUが尻すぼみしてしまっているし、ドイツのメルケル首相も難民問題のために求心力を失ってしまい、世界の中でおかしなことがあった時に、「いや、それは違うだろう」と言う国がなくなってしまいました。

――メルケル首相は、天然ガスなど資源面でドイツはロシアに依存していますが、チェチェン戦争での人権侵害などに関しては、プーチン大統領に釘をさしていました。国交はするし経済的にも交流するけど、言うべきことは言う、というリーダーでしたね。

※この続き【後編】は12月10日(月)に配信予定です。

■内藤正典(ないとう・まさのり)
1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』『イスラムの怒り』『イスラム――癒しの知恵』(集英社新書)、『トルコ 中東情勢のカギを握る国』(集英社)、『となりのイスラム』(ミシマ社)他多数。共著に『イスラームとの講和 文明の共存をめざして』(集英社新書)等がある。

『限界の現代史 イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序』(集英社新書)
シリア、イエメンなど中東で頻発する虐殺や弾圧、それから逃れる大量の難民、欧米で繰り返されるテロなどの問題に対して有効な手立てを失った国際社会。その背景には、アメリカ、EU、国連、領域国民国家、西欧啓蒙思想など、第二次大戦後の世界の安定を担ってきたシステムと秩序の崩壊という現実がある。この崩壊過程の末には何があるのか? トルコを中心としたスンナ派イスラーム世界の動向と、ロシア、中国といった新たな「帝国」の勃興を見据え、展望を解説する。現代の"限界"の理由を概観し、文明の衝突を超え、日本はどうあるべきかを考えるための、現代史講義。

インタビュー/稲垣收 撮影/三好祐司

関連記事(外部サイト)