大道具に憧れた葦原 海が事故で両足を失い車いすユーザーとしてモデル活動に励み、東京パラリンピックの閉会式に参加して週プレでグラビアデビューするまでの話

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SNSを中心にモデル活動を続け、東京パラリンピックの閉会式にパフォーマーとして参加した葦原 海(あしはら・みゅう)が、1月4日(火)発売『週刊プレイボーイ3・4合併号』のグラビアに登場。

彼女は言う。"ザ・グラビア"に挑む気持ちで撮影に臨みましたと。フラットな視線で見てもらいたい――。世界を変えるのはきっと、こんなに強くて美しい女のコだろう。

* * *

■やりたいことはやり通したい

――出身は愛知県でしたよね。

葦原 名古屋で生まれて、小学4年生になるとき千葉に引っ越しました。

――どんなタイプでした? 

葦原 難しい質問ですね。はっちゃけてるわけでもなく、おとなしい感じでもなく。中間です(笑)。中学生の頃は立派な帰宅部でした。友達とカラオケしたり、映画に行ったり。たまに原宿や渋谷に出て、買い物してクレープを食べるみたいな。

――ギャル寄り、ですか?

葦原 それも中間です。私レベルだと、はっきりギャルとは言えないですね。もっとちゃんとしたギャルが周りにいましたから(笑)。髪の毛にピンクのメッシュを入れて、スカートを短くするとかその程度です。

――なかなかですよ(笑)。

葦原 割と勉強はきっちりやるタイプでした。テスト期間中の詰め込み型でしたけど、高校1年生の頃はクラスで2位になったこともあります。将来の目標をしっかり考えていて、成績は重要になりますからね。

ただ、髪型やスカートの丈は将来にどんな影響があるんだろうって不思議でした。自分のやりたいことはやり通したい。いまだにそこは変わらない部分です。

――「将来の目標」を具体的に教えてください。

葦原 私、大道具さんになりたかったんです。ちょっとネガティブな話をしてもいいですか。名古屋から千葉に引っ越すと、言葉のイントネーションが違うだけでいじめの対象になって。子供の間だとよくあるじゃないですか。ちょっとしたイントネーションの違いで揚げ足を取ってからかう感じで。

――名古屋弁はクセが強めですからね。

葦原 だからテレビドラマを熱心に見て標準語を覚えたんです。年末になるとNGシーンを集めたようなドラマの特番があるじゃないですか。ふとそれを眺めていると、インタビューを受ける俳優さんの後ろでセットチェンジする方々が映っていたんです。これってどんな仕事なんだろうと興味が湧いて、検索したら大道具さんにたどりつきました。

もともとモノ作りが好きで、テレビの世界も好きだし、大道具さんならワンクール(3ヵ月)ごとに作る題材が変わるから、新鮮な気持ちで仕事を続けられると思ったんです。

■病室で折ったくまモンの折り紙

――事故に遭われたのは16歳でした。

葦原 意識的に事故の詳細は言わないようにしてます。被害者と加害者がいて、それぞれに家族もいて知人たちもいる。その向こう側には不特定の第三者がいて、例えばニュースなんかで取り上げられたら加害者が特定されて、不必要に叩かれる可能性があるじゃないですか。もちろん、犯した罪をしっかり反省してもらいたい気持ちはありますけど、直接的に関係のない家族や知人まで恨む必要はないですね。

――その考えに至ったのは?

葦原 日に日に、です。正直、事故の記憶はありません。目が覚めたらベッドで寝ていて、両足を切断したことをすぐに気づきませんでした。一生寝たきりの可能性もあるなかで、ちょっとずつ希望が見えると意識も違ってきます。

車いすはいつ頃から? 退院の見込みは? 具体的な目標が見えてきて、前を向いてリハビリに取り組むうちに、加害者に対する気持ちも変わっていきました。反省して自分の人生を歩んでほしい。純粋に忘れるというか、開き直って極悪人になるのはイヤですけど、しっかり生きてほしいという考え方になりました。

――強いですね。

葦原 今、表に出る仕事をしているからこそ、加害者に限らず私の発言で人に迷惑をかけるリスクもあるはずです。そこは意識的に、今後も注意しながら活動を続けたいですね。

――入院期間はどれくらいでしたか?

葦原 1年弱です。入院生活の楽しみですか? 全然楽しくないのが本音ですけど......どうだろう? そうそう、年齢的に小児扱いだったので同じフロアに難病を抱えた子供たちがいたんですよ。その子たちに折り紙を折って、保育士さんを通じてよくプレゼントしました。鶴みたいな簡単なものじゃなくて、折り紙の本で勉強しながら折ったくまモンやディズニーのキャラクターです。

リハビリ以外は基本的にベッドから動けないし、子供も廊下に出られないので直接的なコミュニケーションは叶(かな)いませんでした。それが心残りですね。

■19歳。モデル活動の原点

――退院してからの生活は?

葦原 何よりうれしかったのはスタバです。退院してすぐ友達と行きました。当時はキャラメルフラペチーノ一択で。ふふふ。どんな会話をしたんだろう。後遺症はないから普通に遊んでねって。深刻な感じにならないですっと受け入れてくれました。

――いい友達ですね。

葦原 ですよね。ただ、それまでの高校には復学できず、特別支援学校に転校することになりました。当然、違いを感じる場面がありますよ。常に守られてるというか、人を助けるのが当たり前の環境に息苦しさを覚えることもありました。

もちろん障がいの程度にもよるので、あくまで私個人の感想になりますけど。優しさが正解じゃない場面だってあるんです。

――優しさが正解じゃない?

葦原 これは障がい者同士に限った話じゃなくて、障がい者と健常者、健常者同士にもある理解だと思います。

例えば私の場合、普段できることも大雨の日だと手伝いが欲しいとか。要するに状況によって必要なケアが変わってきますし、人間それぞれに個性があっていろいろな考え方があるということを知ってもらいたい。そうすると目の前の相手に対しての対応が変わるはず。声をかけてもらい、コミュニケーションを取るのはありがたいことです。でも、その前に相手を見て、感じることも重要だと思います。

――身につまされます。学校を卒業してからの進路は?

葦原 テレビの制作に特化した専門学校に通いたいと希望しましたが、車いすだと物理的に難しくて。どんなジャンルにも応用が利く色彩を勉強するために、ウェブ制作系で1年制の学校に進学しました。4月に入学して、確か9月か10月頃に知人を通してNHKの番組内でファッションショーがあると聞いたんです。

先ほど夢は大道具さんになることだと話しましたよね。これはテレビの裏側を見られるチャンスだと直感して、ショーへの参加を決めました。

――時系列を追うと、5年前になります。

葦原 当時、東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まっていて、ショーにはパラアスリートの方も参加されてました。番組自体、オリパラの盛り上げに関連したものだったと思います。バックステージで出演者がポージングを確認するなかで、私はずっとスタッフさんの動きを観察してました(笑)。

――憧れたテレビの現場ですからね。

葦原 実際に自分がステージに立って周りを見たときに気がついたんです。客席の視線に偏(かたよ)りがあるなって。観客は障がいを持った当事者やその家族、福祉関連の企業や学生さんがほとんどでした。

形としては成功だろうけど、狭い世界だけじゃなくてもっと一般の社会にまで視野を広げたいと感じたんです。その気づきがモデル活動をスタートさせる原点だったかもしれません。

■ない道を切り開く人生

――学校を卒業してからはモデルに専念して?

葦原 モデルを始めたことは理解してもらった上で、テレビ制作関連の会社に就職しました。ただ、モデル活動の比重が大きくなり、学校や自治体での講演にも取り組むようになると無理が出てしまい......。

安定を取るなら会社に籍を置いたまま活動する道もあったかもしれません。でも、当時は20歳です。思い切って挑戦する方向に進もうと覚悟を決めて、モデル一本に絞りました。

――車いすでモデル。前例がない職業です。

葦原 ここでしっかり伝えておきたいのは、あくまで私はモデルです。"車いすモデル"じゃないんです。バリアフリーやユニバーサルデザインといった福祉に絡んだお仕事に留まらず、いちインフルエンサーとして、イベントや広告、テレビのバラエティ番組に出演したい。SDGsが一般的になりつつある今だからこそ、さりげなく私を起用してもらえたら。

つい最近だとTikTokのCMにキャスティングしてもらいました。私を含めて5人いて、ほかは桁違いのフォロワーを持つクリエイターさんたちです。フラットな場に出る機会が増えれば、葦原 海を当たり前の存在として見慣れてきますよね。そうなれば世界はきっと変わると思います。

――ない道を切り開く人生。熱くなります。

葦原 オリパラに関われた経験も大きいです。パラリンピックの閉会式にはゴスロリの衣装を着て出演しました。やっぱりモデルなので衣装は細かくチェックを入れましたね。

色味が黒っぽいから車いすと同化しないように白いパニエ(スカートを広げる下着)を着用したり、モノトーンの衣装を引き立たせるためにウイッグを鮮やかな色味にしたり。「かわいい」「カッコいい」という反応をいただけたのが、素直にうれしかったです。

■世界の見方を変えるために

――グラビアの現場はいかがでした?

葦原 楽しかったです。心意気としては、"ザ・グラビア"に挑む気持ちで。弱さを吐き出すとか、生命のはかなさを意識するとか、内面の表現よりも堂々と。フラットな気持ちと姿勢で現場に臨んだからこそ、聞いてみたいです。足がないことに気づいた?って。

――確かに違和感よりも、グラビアとして純粋にパワーを感じる仕上がりです。

葦原 実は19歳の頃にある雑誌で水着を披露したことがあります。今回の撮影に際してそのページを見返したら、紹介文にしっかり書いてあったんです。東京パラリンピックに携われるよう、努力を続けますって。スポーツをやるわけじゃないから、具体的にどう関われるかわからないのに。

でも、結果的に実現してこうしてまたグラビアの撮影をしてもらえたのは運命じゃないけど、物語を感じますね。

――ここでも宣言してもらいましょうか。次の目標を。

葦原 ふふふ。じゃあ今度は表紙でお願いします(笑)。いっぱいあるからなぁ......地上波のバラエティやドラマに出演したいし、東京ガールズコレクションのランウェイを歩いてみたい。不特定多数がたまたま見て、あのコ誰?ってなるような場所に出続けたいです。

――週プレのグラビア出演がそのきっかけになれば本望です。

葦原 これまで試行錯誤しながらモデル業をやってきました。オリパラを経て、徐々に活動の幅が広がりつつあります。世界の見方を変えるきっかけを与えられる場所に立たせてもらう機会も増えました。知られることで、伝える力はより強くなるはずです。

ここからが本当のスタートライン。2022年は初めの一歩を新たに踏み出すつもりで日々、頑張りたいです。

(スタイリング/佐賀愛衣 ヘア&メイク/mahiro) 

●葦原 海(あしはら・みゅう) 
1997年11月14日生まれ 愛知県出身 
趣味=お菓子作り、セルフネイル 
〇16歳の頃に事故で両足を失う。高校卒業後、NHKの番組内で行なわれたファッションショーの出演をきっかけにモデル・タレント活動を開始した。昨年、東京2020パラリンピックの閉会式に出演して話題に。
公式Instagram【@myu_ashihara】 
公式TikTok【@myu_ashihara】

撮影/熊谷 貫

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