入魂の監督作、劇場版『Gのレコンギスタ』がついに完結! 富野由悠季「僕は次から次へとやりたいことが見つかってしまう性分でね。本当に困った年寄りでしょう?」

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構想から足かけ10年。富野由悠季(とみの・よしゆき)監督の入魂の一作、劇場版『Gのレコンギスタ』が8月5日公開の第5部をもって、ついにフィナーレを迎える。今の思いを聞こうと、富野監督を訪ねたところ......疲れをまるで見せない元気はつらつぶりに驚いた! 

本作に込めたメッセージ、映画製作の裏話、炸裂する〝ドリカム愛〟、そして衰えぬ創作意欲。巨匠のネクストステージは、これから始まる!

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■ドリカムの〝挑戦状〟

――富野監督! ついに劇場版『Gのレコンギスタ』(以下、G-レコ)シリーズがフィナーレを迎えました。この夏に第4部「激闘に叫ぶ愛」、第5部にして最終章「死線を越えて」が連続で公開されます。製作を終えた、今の率直な感想をお聞かせ願えますか?

富野由悠季(以下、富野) 『G-レコ』は約10年前に構想を始めて、2014年から15年にかけて全26話のテレビシリーズとして世に出したものです。

しかし、テレビ版はちょっと複雑でわかりにくい作品になってしまった。大変申し訳ないという思いがありました。今にしてみれば、あれは〝ラフな三面図〟のようなものだった。

だけど、こうして劇場版として再びまとめるチャンスをいただけました。『G-レコ』で考えたプラン(世界観やSF設定、キャラクターなど)に関しては多少、うぬぼれているところがあって、そこはまったく変えていません。

でも映画というものは大衆向けの芸能なんだから、誰が見てもわかるような構成やストーリー、作劇を心がけたつもりです。

ところがね、それだけでは終わらなかったのが、今回の劇場版なの。うふふ......。

――といいますと?

富野 当初の構想と比較すると、こんなに作品が膨らむとは思っていなかった。「G-レコって、こんなまとまり方をするの!?」って自分でも驚いた。

なぜそんなことができたかというと、それはスタッフの皆さんのおかげなんです。なかでも楽曲を作ってくれたDREAMS COME TRUE(以下ドリカム)には心底、うならされました。

――ドリカムは『G-レコ』のテーマソング「G」を担当していますね。同曲は第2部「ベルリ 撃進」が初出。第3部「宇宙からの遺産」でも使われていましたが。

富野 いや、第2部や第3部の使い方とはまったく違うの! ネタばらしをしない程度で話をすると、ドリカムの曲のおかげで、映画の「ある部分」が大きく変わってしまったんです。

実はメンバーの中村正人さん(ベース、プロデュース)から楽曲を渡されたとき、こんなことを言われたの。「この曲はただのテーマソングじゃない。劇伴として作りました」と。テーマソングと劇伴の役割は明確に違います。劇伴とは映像に寄り添い、一体となって作品を織りなす楽曲のことです。決して添え物なんかじゃない。

つまり、僕はドリカムから、「これをエンディングで流すだけの曲なんかにせず、劇伴として映画の中で使ってみせろ!」と挑戦状を叩きつけられていたんです。ひどいでしょ、あの人たち(笑)。

その解決法がずうっとわからなくて、正直、1年くらい悩んだ。いろんなアイデアを出してみたりもしたけれど、スタッフからダメ出しを食らったりもした。それで今年の4月になって、やっと絵コンテが完成して、作画をしてもらって、映像に合わせてドリカム「G」を流してみたら......息をのみました。

自分が想定した以上の映像に仕上がっていたんです。僕の頭の中にあったプランが、ドリカムの楽曲によって別の次元に導かれていました。

第5部を完パケしたのは、7月のある日の深夜の午前2時30分頃だった。映像を見ながら「やっぱり映画っていいよね」って思わず涙ぐんじゃったもん。年寄りで頻尿の僕が、途中トイレに行くことすら忘れていたくらいだった。

だけど、僕は往年のSFや宇宙ものに影響を受けてきた人間で、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』(1968年)を超えるような、重厚かつセンス・オブ・ワンダーがあふれる作品を作ろうとしてきた人間なのね。だから「こんな一般受けするようなシーンを作ってしまっていいの?」と自戒の念に駆られたりもしたんだけど(笑)。

まあ、仕方がない。あのシーン、本当に気持ちがいいんだから。この映像と音楽のシンクロは麻薬のようなものだよ。(ドリカムの)吉田美和さん、大好き!

■「おまえら、これはやりすぎだろ!」

――ということは、今回の劇場版の仕上がりはドリカムのおかげですか?

富野 もちろん、それだけじゃありません。第3部くらいからアニメーター、仕上げ、音響、声優を含めたすべてのスタッフの能力が底上げされた印象があって、第4部、第5部ではとてつもない表現になっている。アニメーターの皆さんの働きには感謝の言葉しかありません。

僕はどんな作品でも絵コンテの段階で、いろいろな指示を出すのね。画面の中心で芝居をしているキャラクターがいるとしたら、その背景にいるキャラクターも動かすよう指示を出している。

それはなぜかというと、社会には自分以外のさまざまな人がいて初めて成立するんだから、中心にいる人物を描いているだけではリアルにならない。

だけど、アニメでは後ろのキャラを動かすたびに絵の枚数が必要になり、よけいな予算がかかってしまう。絵コンテ上でお願いをしても無視されることだってある。

ところが今回の『G-レコ』のスタッフたちは、それを面倒がらずにやってくれた。辛抱強くキャラクターを動かしてくれました。そのおかげで、すべてのキャラクターに生命が吹き込まれたような、そんな錯覚すら起こしました。

今回、こんなシーンがあるんです。画面の後ろのほうでメカニックの男女がコソコソと会話をしているのね。なんの話をしているかというと、実は仕事の話なんかは一切していなくて、「いつセックスをしようか?」っていう相談をしてるの(笑)。

アニメーターたちはそれをわかってくれて、ふたりが男女の関係であることをにおわせるようなしぐさをしっかり描いてくれた。これを見れば、「こんなスケベな会話でもしていないと、宇宙戦争なんてやってられねえぞ!」っていうのが伝わってくるでしょう?

――わかります。

富野 それが生身の人間です。そしてね、今回、ぜひ見てほしいところがあって。それが第4部のモビルスーツ戦です。テレビ版にもあったシーンだけど、アニメーターたちが徹底的に絵を描き直してくれました。絵の筆圧を通して、彼らの気迫が感じられるほどです。

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本作の主役モビルスーツ「G-セルフ」(上)。ヒロインのアイーダ・スルガンは自身の生きる道を探し続ける(下、どちらも劇場版『Gのレコンギスタ Ⅳ』「激闘に叫ぶ愛」より)

――そのシーンを鑑賞させていただきましたが、まるで『あしたのジョー』(1980年。富野監督も演出で参加)のクライマックスの、矢吹 丈と力石 徹が拳と拳を重ね合うシーンの描写を連想しました。

富野 実際、僕も初めにこれを見たとき、アニメーターに向かって言っちゃったもん。「おまえら、これはやりすぎだろ! 正気なのかー!?」って。それくらい絵に魂が入っていた。このクオリティを続けていったら、「いつか誰か死ぬぞ」とも思ったね。

――アニメーターの皆さんは富野監督との仕事だからこそ、自分の能力を超えた仕事をしたのかもしれませんね。

富野 それはあるかもしれない。その一方で、僕はこの数年、日本のアニメ業界の行く末を案じていたんです。

中国のアニメスタジオのクオリティが上がってきていて、一部の関係者は「日本のアニメは中国に負けている」とまで語っていました。だけど、今回の作業を通じて、日本、そして東京には世界と戦えるスタッフがまだまだいる、ということがわかった。業界人としてほっとさせてもらいました。 

そんなスタッフがいて、ドリカムもいて、僕の想定以上のものができたことで『G-レコ』は命拾いをさせてもらいました。

■ガンダムで描けなかった「最終回答」とは?

『G-レコ』について笑顔で語る富野監督。80歳になってもその創作意欲のみなぎりに衰えはない。端的に言って、カッコいい!

――『G-レコ』シリーズは、数千年後の未来を想定した地球環境、エネルギー、テクノロジー、政治経済、宗教といった事象を描くことを目標にした作品でした。今回の第4部、第5部でその監督の思いの丈をすべてを描くことはできたのでしょうか?

富野 描けただろう、と自負しています。そもそも『G-レコ』は現在の宇宙開発も含めた、行きすぎた科学技術とそれを利用して成長をもくろむ経済人、政治家を全否定する作品です。

産業革命以降、特に20世紀の人類が愚かなのは科学を盲信し、テクノロジーも経済も成長することが当然だ、という発想を信じ切っていることです。

例えば今、経済の最前線にいる人たちは宇宙を目指してるよね。民間宇宙開発会社・スペースXのイーロン・マスク氏が火星移民を提唱したりもしている。だけど、現実はそう甘くはない。宇宙に住むためには空気がなくちゃいけない。

月の地中に水があるから、それで酸素が作れるなんていうけれど、それで数百万、数千万からの宇宙移民者の空気を賄うことができる? そこまでちゃんと調べてる? それに宇宙には重力がないから筋肉が落ちるし、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)になって歩けなくなるんだよ? 宇宙から降り注ぐ放射線の影響で、なんらかの病気にかかってしまう可能性だって否定はできないんだ。

そういう現実があるにもかかわらず、アイツらはまだ宇宙にロマンがあると思ってる。そんなロマン、『2001年宇宙の旅』の頃で終わってんだよ。

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主人公のベルリ・ゼナム(上)と、謎の男「マスク」(下)の宿命の対決の行方にも注目!(どちらも劇場版『Gのレコンギスタ Ⅴ』「死線を越えて」より)

――時代遅れだと。

富野 それにテクノロジーというものは恐ろしいもので、たいてい悪事に使われることを想定して作られてきた歴史がある。原子力ひとつを取ってみても、初めに開発されたのは爆弾です。発電のためじゃないんです。科学技術の発展の陰には、そうした負の面が常に背中合わせになっている。

だから僕は科学や技術の進歩を信用しませんし、ITでいえばAI(人工知能)が人類を豊かにするなんて妄言はまったく信じていない。むしろ、そういった進歩や成長といった言葉の呪いが、全人類を不幸にしているのではないかという感覚すらある。

『G-レコ』の世界では科学技術の発展をある程度のレベルで止めるべきだ、でないと人類は滅ぶぞ、とはっきり言っています。その限られた技術のなかで、成長という言葉の足かせを解き放ち、どうすれば人類は地球と共に歴史を刻んでいけるのかを想像しました。これが僕からの最終回答です。

そしてこれって、ガンダムでニュータイプを描いていた頃にはまったく思いもつかなかったことなんです。なので、こういう作品を残せて本当に幸せです。

――お話を聞いていると、富野監督の思考は80歳にしてネクストレベルに達してしまった気さえします。となると、どうしても次の新作についてのお話を伺いたくなってしまうのですが。

富野 今「ネクスト」という言葉を聞いてゾッとしたんだけれども。あのね、アニメを作ることはだてじゃないの!

――では、本作でご勇退なされると?

富野 そういううかつな言葉遣いはしたくない。宮﨑 駿監督じゃないんだから。ただ、前にも週プレで言ったけど、僕に残された時間は、そう多くはないでしょう。

――昨年8月の週プレ本誌のインタビューでは、「現場で仕事できるのは残り3年でしょう」とおっしゃっていましたね。ということは残り2年になります。

富野 その数字が当たるかはわからないけど、少ない時間の中で何ができるかを今、見極めています。ところが、僕は次から次へとやりたいことが見つかってしまう性分でね。しかも、やりはじめると止まらない。こんなんで大丈夫なのかしら? 本当に困った年寄りでしょう?

――いやいや、それでこそ富野監督です! それでは新作の発表、お待ちしております。また近いうちに週プレにもご登場ください!

富野 ばかは休み休み言いなさいって。老人に無理をさせるもんじゃあない!

●富野由悠季(とみの・よしゆき) 
1941年生まれ、80歳。64年、手塚治虫が設立したアニメーション制作会社「虫プロダクション」に入社。『鉄腕アトム』(63~66年)などの演出や脚本に携わる。67年退社。79年に大ヒット作『機動戦士ガンダム』を作り、以後40年にわたって同シリーズは続編や関連作品が生み出され続けている。ガンダムシリーズ以外の監督作に『無敵超人ザンボット3』(77年)、『伝説巨神イデオン』(80年)、『ブレンパワード』(98年)、『OVERMAN キングゲイナー』(02年)など。21年、文部科学省より文化功労者に選出 

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●劇場版『Gのレコンギスタ IV』「激闘に叫ぶ愛」全国公開中 

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●劇場版『Gのレコンギスタ V』「死線を越えて」8月5日(金)全国公開 
総監督・脚本:富野由悠季 原作:矢立 肇、富野由悠季 声の出演:石井マーク、嶋村 侑、寿美菜子、佐藤拓也ほか 
2014~15年に放送されたテレビシリーズ『Gのレコンギスタ』を再構築した劇場版全5部作の第4部と最終章となる第5部。人類が生活圏を宇宙にまで広げた「宇宙世紀」からはるか未来、戦争で多くの科学技術やその知識が失われた「リギルド・センチュリー(R.C.)」と呼ばれる時代。宇宙から地球へとエネルギーを運ぶ「キャピタル・タワー」を守る組織「キャピタル・ガード」の候補生であり、モビルスーツ「G-セルフ」の操縦者である少年ベルリ・ゼナムの冒険を描く

取材・文/尾谷幸憲 撮影/榊 智朗 ©創通・サンライズ

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