辻 仁成が新作『父 Mon Pere』で描く父子の物語 「小説なので、現実に僕らに起きたこととは無関係ですけど…」

辻 仁成が新作『父 Mon Pere』で描く父子の物語 「小説なので、現実に僕らに起きたこととは無関係ですけど…」

一番モチベーションが高いのは息子のことだと語る新作小説『父 Mon Pere』の作者・辻 仁成

芥川賞作家、ミュージシャン、映画監督、演出家…など様々な顔を持つ辻 仁成――。その新作小説『父 Mon Pere』(集英社)はフランス・パリに住む日本人の父子の物語を息子視点で描いた作品だ。

パリで生まれた「ぼく」は、「パパ」の男手ひとつで育てられた。大人になり語学学校の教師として働いているが、70歳を過ぎたパパに健忘症の症状が出はじめ、街で迷子になった場所から「すまないが迎えに来てくれないか?」と電話が入る日々…。

異国で暮らし続ける老いた父と、その面倒を見る息子の間には複雑な過去のドラマがある。ぼくの中国系の彼女とその家族、やはり移民のメイド一家までを運命は巻き込み…。

「パリで息子とふたり暮らし」という自身の境遇とも重なり、必然的に紡がれた大切な一作。5月20日には原作小説を監督として映画化した『TOKYOデシベル』も公開されるが、常に意欲的に挑戦し続ける創作者・辻 仁成の“今”と生き様にロングインタビューで迫った。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)。

* * *

―まずは今回、“父と息子の物語”という題材で書こうと思われたきっかけから教えてください。

 小説家っていうのは、自分の周りに題材を探すんですけど、僕にとって今、一番モチベーションが高いのは息子のことなんですよ。この『父 Mon Pere』という作品では、父親がパリで生まれ育った息子と暮らしていて、周りに親戚もいない。息子自身は「そこで生まれたかったわけじゃない」という気持ちがあって、その責任を感じている父親がいる。そんなふたりを書くのが今の自分の大切な仕事だろうと思ったんです。

―実際、ご自身もパリで13歳の息子さんとふたり暮らしされているということで、やはり重ねてしまいます。

 (笑)ただ、そのまま自分たちのことを書くわけじゃありませんよ。小説ですから。今のことを書くとリアルなので、作品では「20年後の世界」にしたわけです。これは小説だからできるトリックなんですけど、20年後の自分たちがどんなふうになっているのか知りたいと最初思って。自分自身への予言のようなものですか。

まあ、パリに住み始めて15年目で、20年後なんて生きてるかどうかさえもわかんないんですけど。もう57歳だから、20年後は77か…想像するに「我が強くて頑固で、イヤなオヤジになってるんだろうなぁ」(笑)。

―どんなガンコ親父になってるかと?(笑) 息子さんについて書くということでは、2016年にもTwitterでつぶやいたメッセージをまとめた『息子に贈ることば』を出されていますよね。

 あれは文藝春秋さんがツイートをまとめてくださったもので、小説ではありません。でも、ずっと小説を書きたかった。パリを舞台に父子の物語を。今度公開される『TOKYOデシベル』は東京を舞台にした映画で、『父 Mon Pere』はパリを舞台にした小説。パリと東京、僕にとっては両方大事な都市なんです。

『TOKYOデシベル』は東京の人しか出てこない東京の話で、最初に「今、外国に住んでいる自分が東京を映画にしたらきっと日本人が知らないカッコいい東京を描けるだろうな」ってことで作り始めたんです。その一方で、自分のパリでの実生活を書くことも今、必要なんじゃないかなと。基本的に僕は“私小説”でスタートした作家ですから。小説のタイトルは『息子』でもよかったんだけど、それだと普通なので、逆手をとって『父』にしてね(笑)。

―作品中では“息子”として登場する「ぼく」は真面目で大人しい青年という印象ですが、実際に息子さんはどんな性格なんですか?

 すごく真面目でね。いいやつ。僕がこんな風に変わり者で、そんな親が心配だからこそ、子供は真面目にならざるをえない(笑)。

この間、フランス人のカメラマンに「キミはとっても変わってるから、息子くんも大変だよな」とからかわれたんだけど。確かに、僕は相当頑固で偏屈だし、自分の思うところにしか向かわない人間で、そういうのを一番見てきている子供なんでね。そんな父親がおじいちゃんになったら?と思いついたんですよ。頑固ジジイになった自分を想像しながら書くのはとっても面白い経験でした。














―反面教師にして親とは逆の方向に育つというか…。

 僕自身、自分の親が苦手だったんです。言葉も交わしたことがなかったし、本当に怖い人でしたから。遊んでもらった記憶もなかったもんだから、その反面教師もあって息子にはべったりしちゃって。でも、それが反抗期の息子にとってはきっとイヤなんだよね。

―「親父、うざいんだよ!」とか言われたり?

 うちのは静かな反抗期で、静かにキレるんです(笑)。いやぁ、ドキドキしますよ。

―今どきのコっぽいですね。やはり、コミュニケーションの難しさもありますか?

 いや、僕が作ったご飯を一緒に食べるし、毎日会話もするし、一緒にいる時間は長いんでね。でも最近は、会話よりも一緒に運動することでお互いにコミュニケーションを取ってます。僕がジョギングする時には横についてくるし、毎日1時間ぐらいはバレーボールをやったり。彼はバレーボール部のキャプテンだから。あとは、チェスですね。毎日、食後に息子とチェスをやるんですけど、「こいつは人に勝ったり負けたりした時にどんな反応をするのかな」って観察するんですよ。

まぁ、学校でも友達は多いし先生にも可愛がられてて。そつがなくていいヤツで安心してるんだけど、同時に「本当に本音を出してるの?」みたいな。日本人で白人社会の中に入って、「相当、我慢してるところもあるんじゃ…」って思うこともあるんですよね。

―いい子の仮面を被っているというか。

 いいやつです。仲間に慕われてるし、しょっちゅうフランスの中坊がうちにやってくるから、おやつ出すのが大変なくらい。でも、みんな礼儀正しいんだよね(笑)。フランス人って対等だから、学校にイジメも滅多にないし。偏差値教育なんかもなくて「こうじゃなきゃいけない」ってのがない。だから逆に息子が「日本に行ったら僕はいじめられるかもなぁ。パパみたいなぶっとんだ親だから」って(笑)。この子にとって、パリはのびのびできる環境なのかなと思いますね。

―作中の「ぼく」も感情を押し殺すような一面があって、そういった思いを投影されているのかなと。リアルな部分も含めて、自分の“肉”を削いで書かれてらっしゃるというか。

 自分をさらけ出すのが作家の仕事だから、イヤな商売ですね。嫌われるわけだ(笑)。でも小説家はどこかで覚悟が必要で、醜い自分の裸さえも書けないとならないし、どん底にいる時にこそ書きたいという気持ちがせりあがってくる。

―そういう作品作りをされているからこそ、ご自分の痛みや思いを伝えられるというか。

 この作品は小説なので、現実に僕らに起きたこととは無関係です。読んでもらえればわかりますが、これはあくまでもフィクションで。ただ、父親に育てられた息子の気持ちを想像することでヒントを得ることができたんです。ふたりで寄り添って生きた時期が、小説を書く上で僕にモチベーションを与えてくれた。現実とは全く違うんだけど、どこか不思議なリアリティを持ち込んで、そこに苦心しました。

―現実とリンクする部分もありながら、設定を20年後にすることで距離を置いて客観視できたところも?

 作品の中の「パパ」はカッコよくもなく、いいオヤジでもありません。どっちかというと駄目おやじ。現実の自分に似ています。主人公の「ぼく」はいいやつですけど、悩みが多い。

たぶん、現実の息子も僕のことを超うるさい親父だと思ってるでしょうね。今は反抗期で、無視されることもあるけど、ふたりきりで暮らしているんだからしょうがない。というか、僕にしかね、甘えられない、爆発できないんですよ。白人社会に彼は生きているし、父子家族だから。

本当はもっと逆らいたいでしょうけど、僕のことを哀れに思う時があるのか、反抗しながらもどっかで気を遣ってる。気を遣わせてるっていうか。「いつになったらひとりで暮らしできるかな」とか突然言い出したり、なかなかいい感じに脅されてます(笑)。











―13歳にして自立の道をすでに歩み始めてるんですね。作中のパパは「いつまでも親の傍にいるといけない」と自立を促すタイプでしたが、ついついカマってしまう?

 そうそう。ただ、僕も好き勝手に生きてきた人間だからこそ言えるのかもしれないんだけど、死ぬ前に少し、「とりあえずこの子を世に送り出すまでは頑張ってみようかな」という思いがあって。それから嘘がない主夫の日々が始まったんです。ただ、そこの労苦はみっともないから小説には書いてませんけど。

―だからこそ、作品を読んでいても自然に入り込めた感じがします。「嘘がない」という意味で、作中でも父と息子のふたり暮らしが続いてるわけですが…。

 ふと悪い夢を見てるんじゃないかって思う瞬間はあります。けれど、現実の僕と息子の間で自分たちに起きたことを話し合ったことは今日までほとんどないんです。これは本当に不思議だけど、どっちからも自分たちの境遇については語り合わない。どこかで勝手に自分たちは幸せだと思って生きてきたようなところがある。息子は今でも「チャチャ」という名前のぬいぐるみを家族同様に大事に傍に置いて生きています。

―小説の中でも「ぼく」が「ノノ」というぬいぐるみに自分の気持ちを語りかけるシーンが…。

 最初に書く時は、ノノを語り部にしてもいいかなと。ふたりで無言で生きているような、モノトーンな感じで書いてみたいとも思ったんだけど。でも、それではしみったれた小説になってしまうのでサスペンス要素を入れたり、フランスの移民問題を入れたりしながらね。

―確かに、パパが移民の家政婦とトラブルを起こしたりと、社会的な問題も深く描かれています。

 ヨーロッパで暮らしていると、東京に帰ってくるたびに「幸せな国だなぁ」と思うんですよ。向こうはテロも多いので。だから今回、最小の単位の“家族”を描くことで移民文化と隣接する現代の欧州を一方では描きたかった。

日本人は移民に対しては初心者ですから。パリで暮らしていると、いい意味でもそうじゃない意味でも大変さを知るようになるし、経済を活性化させるために日本が世界中から移民を招き入れる時がもし来るなら、きちんと知る必要があるなと。そんな未来のためにこういう本も読んでもらって「移民とは何か?」を知ってほしい思いもあるんです。

―家族の物語というだけでなく、そうしたグローバルな視点もあると。

 世界の全体を見て、そのあり方を考える中で「最小の家族という単位を描けば、最大の世界が見えるようなものを描けるはず」という思いもあって。世界で一番小さな家族を描くことがまずは大事だと。この小説には15年間パリで生きた僕自身と、パリで生まれた日本を知らない日本人の男の子の経験が含まれていて、国籍、民族、人類の問題も複合的に関わっている。そういう意味でも今回、作家としてのアドベンチャーができたと思うんですよ。

―まさに、パリに住んでいる自分たち親子だからこそ描けるっていう。

 扱うモチーフとしては、そこに自分の強い動機、世界情勢があったから書けたんだなと思います。

―ちなみに、作中で「ぼく」の恋人が研究している“死なない虫”ウォーターベアの話も興味深かったです。環境が劣悪になると、自ら“乾眠”という死んだように眠る状態になって100年以上も生き延びるという。喪失感を引きずり続け、ある意味、“死んだように生きてきた”父子をこの虫になぞらえたり、物語のキーともなっていますよね。

 日本では「クマムシ」と呼ばれる虫ですけど、そういう科学や歴史の要素も入れてね。…実は、このアイデアは息子からもらったもので、彼はよくYouTubeを見てるんですけど「パパ、これ知ってる?」って動画を見せてくれて。調べてみたら「何年も乾眠状態の虫が蘇る」「中には何世紀も眠ったままのものもいるんだ」って。これは小説に使えるなと。

そういういくつものメタファーを使って小説を立体化させて、読者にスリリングなものを与えていくんです。表層だけを読まれてしまうと「寂しい父子の話なのかな」で終わっちゃう。でも、実はこれまでで一番野心的な作品なんですよ。

◆後編⇒異端児・辻 仁成が今、語る過去と未来「波風はあるし、敵もいるけど“自分に対して嘘がない”人生が大事」

(構成/岡本温子[short cut] 撮影/五十嵐和博)









●辻 仁成




東京都生まれ。1989年、「ピアニシモ」で第13回すばる文学賞を受賞。以後、作家・詩人・ミュージシャン・映画監督と幅広いジャンルで活躍している。1977年、「海峡の光」で第116回芥川賞、1999年、『白仏』の仏訳版Le Bouddba blancでフランスの代表的な文学賞であるフェミナ賞の外国小説賞を受賞。『日付変更線』『まちがい』『右岸』ほか著書多数

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